第7話 たとえ世界が明日終わるとしても、ナイフとフォークをハの字に置きましょう

……しかし。


「カトラリーは基本的に外側から使うのですわ。ナプキンは襟に挟まずお膝に置くのです。ああダメですっ! お皿に残ったソースは諦めて下さいまし! 決してッ! 舐めてはッ!」


 始まったのはマナー教室だった。あの決意の日からずっと、蓮歌にありとあらゆるマナーを一から叩き込まれていた。


「もっとこう……。気を練るみたいな感じの修行を想像してたんやけど」

「何をおっしゃいますか。これ以外にお嬢様力を身に付ける方法はありませんのよ」

 蓮歌が言うにはお嬢様力とは己の内に秘めたエレガンスから生まれる力。だからこそお嬢様にとってのパワーであると同時に『格』の象徴らしい。


 「小学校で御習いになったでしょうに」と蓮歌は言っていたが、大阪南部には無かった情報だ。

 そして真のエレガンスとはただ着飾ったり、人前での所作を取り繕えられれば良いという事ではではないらしい。つまるところ、うちは付け焼刃ではない本物のお嬢様になる必要があるという事らしかった。


「美味しく食べればええんとちがうん?」

 うちはツルツル滑る豆をフォークで食べようと悪戦苦闘しながら言う。

「『たとえ世界が明日終わるとしても、ナイフとフォークをハの字に置きましょう』というお言葉がありますのよ。マナーとは同席者のみならず、生産者の方々や頂く生命に対する敬意なのです」

 蓮歌が自分の豆を一発で捕まえ、音もなく口に運び小さく咀嚼した。


「マナーとは覚えるのではなく、身に付けるものです。マナーが人を作るのです」

「もうそれ百万回聞いたわ……」

 うちは少しぐったりしながらそう言った。


 ニコニコと笑顔を浮かべた酒寿さんが次のお皿を運んでくる。

「ははは、ご立派な御心掛けですな。流石は山手町家のご令嬢」

「もったいないお言葉、痛み入りますわ」

 酒寿さんはうちが友達を連れてくるようになって心底嬉しそうだ。

「ではこちらはいかがでしょうな」

「あら、望むところですわ」

 酒寿さんが差し出した皿にはフライドチキンのように骨付きの、何か高級な丸焼き系の料理が載っていた。これって手づかみで食べる物じゃないの?

 しかし横では蓮歌が天才外科医のメス捌きを思わせる手際で可食部を取り分けていた。

「春瑠子様も、さあ」

 うちは絶望に満ちた唸り声を響かせた。


「そうそう、いつかベッドやお風呂のマナーもお教えしなくてはですね」

「ベべべべべべッド⁉ 風呂⁉」

「一人でいる際にもマナーは存在するのです」

「なんや一人の時か、びっくりした」

 蓮歌がキョトンとした顔をする。

「わたくし、何かおかしな事言いましたか? いいですか、マナーとは覚えるのではなく……」

「わかってるわかってる」

 うちは掌をむけてお小言を遮った。


「そうですわ! 今度わたくしのお家にお泊りしに来ませんか!? 普段お教えする機会の無いあれこれもお泊り会であればご教授できますもの」

「ええ、悪いわ。こっちが先生頼んどるのに、お邪魔した上に合宿なんて」

「いいえ、わたくしが春瑠子さんとお泊りしたいのです。良いでしょう?」

 蓮歌が大きな瞳をウルウルとさせてこちらを見つめる。うちはこの表情に弱い。

「……じゃあ、今度の週末にお邪魔させてもらいますわ」


 蓮歌がパッと笑顔になる。うちはこの表情にもっと弱い。

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