第12話 大阪人の性分と、お嬢様の本質
自室へ戻ったうちは暫くベッドで膝を抱えていたが、じっとしていられずに屋敷の中をうろうろ歩き始めた。赤坂邸には他の山手町家の人も到着し、身代金の準備のため銀行へ連絡したりと騒がしくなっている。
ふと気が付くと附子ばあの部屋の前に来ていた。うちは思わず扉をノックする。程なくして聞き慣れた声が聞こえた。
附子ばあは酒寿さんから事情を聴いていたらしく、黙って手招きをした。
「附子ばあ、うち……」
「行きたいのでしょう、蓮歌さんのところへ」
附子ばあは前置きもなくそう言った。うちは口をきつくを結んで下を向いた。
「……たくさんの人たちが、こんなうちをお嬢様にしようと頑張ってくれてて」
赤坂家に呼んでくれた附子ばあ。迎えに来てくれた酒寿さん。良くしてくれるメイドさんたち。毛色の違う生徒に四苦八苦の先生陣。純真無垢なクラスメイト。山手町家の皆さん。そして、うちにすべてを与えてくれた蓮歌。
「うちのお嬢様はみんながくれた大切なものや。それをほかすなんてできひん……‼」
目から涙が溢れる。蓮歌のところに行きたいか? そんなの行きたいに決まってる……‼
附子ばあはしばらく目を閉じて、穏やかに口を開いた。
「春瑠子さん。私たちが初めて会った日のことを覚えていますか」
「うん、うちが最初にここに来た日」
「そうですね。でも実は私は貴女の事をずっと前から知っていたのです」
うちは袖で涙をぬぐい附子ばあを見る。
「姉さまが家を出て行方知れずになって、その数か月後にね。大阪から手紙が来たの。差出人は書いて無かったけど、私は元気に暮らしていますよって」
「それって、見子ばあ……?」
「それから姉さまとは秘密で文通していたの。六十年以上ずっとね」
附子ばあは首にかけていた鍵をうちに渡し、書斎机を指差す。引き出しを開けると大量の便箋が綺麗に整頓されて並んでいた。
「だから姉さまが娘……貴女のお母様をもうけたことも知っていましたし、娘以上に自分に似た孫娘が出来たことも教えてくれていました。たまに写真も入っていてね。
……貴女のランドセル姿、姉さまの小さい頃と本当にそっくりなのよ」
手招きに応じて、便箋を端から何枚か抜き取り附子ばあに渡す。その隙間にはうちやお母さんの写真が覗いていた。
「でもね、姉さまは会いたいとは決して一度も書かなかった。赤坂家が姉さまの居場所を知ってしまったら、この家に大きな衝撃があることを知っていたから。互いの生活が大きく変わってしまうことを分かっていたから。
私も会いに行きたいとは決して書けなかった。姉さんから継いだこの家を守ることに躍起になっていたのね」
附子ばあが優しく便箋を撫でる。こんな光景を、この仕草を昔よく見ていたような気がして、それが記憶の中の見子ばあの姿であることに気が付く。
「姉さまの旦那様がお亡くなりになって、姉さまも入院されて、便箋の文字がだんだん細くなって……。その時にやっと、姉さまに会いに行こう、行かなくちゃって決心したの。でも次の手紙は二度と届かなかった」
附子ばあの手の甲に涙が落ちる。うちは附子ばあを抱きしめた。彼女の体は折れてしまうのではと不安になるほど細い。掌に浮いた背骨の突起を感じる。
「だから、酒寿が血相を変えて飛び込んできた時は驚いたわ。あんなに慌ただしい姿を見たのは人生で初めて!
その上『見子様のご家族を見つけました!』なんてわざとらしく言うものだから、私おかしくっておかしくって!」
附子ばあが努めて明るい声を出す。
「私を心配して数年前から個人的に探してくれていたみたいなの。赤坂家には内緒でね。そしてやっと見つけた貴女を赤坂家へ迎え入れませんかって」
「内緒やったなんて、酒寿さんは一言も……」
「……きっと、文通相手には勘付いていた上で、知らないふりをしていてくれていたんでしょうけどね。大阪からの手紙を私に手渡すのは、いつも酒寿でしたから」
きっとあの南大阪でうちの前に現れた日も、赤坂家にはまだ内緒だったのだろう。
あの日うちが赤坂春瑠子になることを了承しなければ、附子ばあと酒寿さんは全て無かったことにして、何食わぬ顔をしていたに違いない。
「酒寿にそう言われて私は悩んだわ。この決断は間違いなく貴女の人生を変えてしまう。姉さんが望んだ普通の幸せを奪ってしまうんじゃないかって。
……でもね、決めたの。あの後悔は繰り返したくない。貴女に逢いたい気持ちに蓋をするのはやめようって」
附子ばあの手が小さく震えているのを背中で感じた。そうか、これは罪の独白なんだ。抱きしめる腕に力を込める。
「春瑠子さん、自分のエゴを大切にしなさい。家が何ですか。周りが何ですか。
お嬢様でなくなっても、貴女は貴女です。貴女のしたいことをしなさい。わたくしが迎えたのは赤坂家のお嬢様ではありません。春瑠子さん、貴女ですわ」
うちは大声を上げて泣いた。附子ばあの肩口に顔をうずめる。
「それに、もしお嬢様で無くなっても、またお嬢様になればいいじゃない。貴女がお嬢様であろうとする限り、貴女はお嬢様で、赤坂家は貴女を支えます。」
「附子ばあ、ありがとう。大好き」
「あ! 附子ばあ、あとね」
うちは開けた扉の前で振り返る。
「うち、『普通の幸せ』も諦めてません。それって、大切な人と一緒に暮らして、好きな人のところは駆けつけられるって事やもん。
大阪人は貧乏性でケチ臭いんです! ワガママ娘ですんません」
附子ばあは不敵にニヤリと笑った。
「ワガママはお嬢様の本質よ。行ってきなさい」
「いってきます!」
今や絨毯の毛足に躓くことはない。うちは駆け出した。蓮歌の元へ。
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