呼びかけた声は、どこか虚ろだった。イズミがここに来ていなくても、この声だけで、ユウになにかあったとソラには多分気が付けた。それくらい、虚ろだった。

 「もう帰るよ。どいて。」

 イズミが、沓脱に立つユウを押しのけるようにして外に出ようとした。ソラの腕を掴んで、引きずりながら。ソラは、もがいてイズミの腕から逃れようとした。その様子を、ユウは数秒間黙って見ていた。そして、はっとなにかに思い到ったみたいに。待って、と、焦った声を出した。

 「待って、連れて行かないで。」

 そしてユウは、ソラの身体に腕を回し、イズミから取り返そうとした。そのことに、ソラが安堵した。ユウに、まだ必要とされていることに。

 「つれてくよ。」

 吐き出されたイズミの言葉には、攻撃的な棘がいくつも生えていた。

 「離せよ。ソラは連れて行く。」

 「待って、なんで、」

 「気が付いてないと思ってる? 院長、帰ってきたんだってね。」

 院長。その単語がイズミの口から出た瞬間、ユウの腕から一気に力が抜けた。ソラは、怯えるみたいにユウを見た。離さないでほしかった。ずっと、離さないでほしかった。その願いが通じたみたいに、ユウは一瞬後にはソラの身体を抱え直し、イズミから取り返そうとした。ユウと揉みあいになりながら、イズミは強い口調で言葉を吐きかける。

 「昔、院長と二人っきりで話せた日の夜には、あんた、俺とセックスしたよね。抱いて、とか言って。今度はソラに抱かせるつもり? こんな、ガキに。」

 あの頃の俺だって、ガキだったんだよ、と、イズミは剃刀の刃みたいに薄い笑みを唇に貼り付けた。

 「自分を絶対に傷つけないガキに院長の代わりさせて、ほんとにあんた、歪んでるよ。そんで、育った俺は用なしで、今度はこんなガキ引っ張り込んでさ。」

 まじで笑える。

 イズミがそう言って、乾いた笑い声を立てた。ソラは、もうどうしていいのか分からず、無抵抗になった。イズミにも、ユウにも。ユウは、きれいな形の唇を噛みしめ、やめて、と低く呻いた。その腕はまだ、きつくソラを抱いていた。

 「やめない。絶対やめない。院長が海外行ったとき、俺がどう思ったと思う? あんたの相手しなくてよくなったって、喜んだと思う? あの聖人の身代わりしなくてよくなったって、喜んだと思う? そうじゃないから。俺もぶっ壊れたから。あのときからずっと、自分の感情が分からないんだよね。」

 

 

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