「じゃあ、中華屋にお世話になります。……絶対、そうします。だから、今は、少しだけ、」

 ユウさんと二人にしてください。

 抱きついたままのイズミの身体は、熱かった。生きている温度だと思った。ソラはその温度を手放しがたいと思ったけれど、そっと腕をほどいた。

 イズミはどうするべきか逡巡しているようだったけれど、やがて黙って、部屋のドアを開けた。隙間から射してくる晩秋の日差しは、もうすっかり朝で、そのまぶしさにソラは目を細めた。

 一瞬振り返ってソラを見つめたイズミは、けれどなにも言わないまま部屋を出て行った。そうして、ソラとユウは、二人きりで残されたのだ。

 「中華屋って、なに? ソラ、本気で出ていくつもりなの?」

 低くくぐもったような声で、ユウが問うた。ソラは、泣きたい気持ちで、一度だけ頷いた。

 本気だった。本気で、出ていくつもりだった。気持ちはまだ、ここにある。多分ずっと、ここにある。イズミが言ったように、それはまだソラが赤ん坊みたいなものだから、母親代わりのユウに依存しているだけだとしても、同じことだ。気持ちはここにあって、ずっと変わりはしないだろう。それでも、行くのだ。

 「……嘘でしょ?」

 ユウの声は、半ば涙声のようにも聞こえた。ソラは、そのことに驚いた。だって、ソラがここにいることは、ユウになんの利益ももたらしてはいないのに。

 「……俺、ほんとは、もう15なんですよ。」

 だから、心配しないでください。

 ソラの声も、涙声みたいに震えていた。ずっと詐称してきた年齢を、はじめて口にした。15歳。本当に12歳のこどもだったら、まだここにいられたかもしれない。心身が育って、ユウに欲望を抱くようになるまでは。たとえ身代わりでもいいから、などと、愚かなことを本気で願うようになるまでは。

 ソラにはよく分かっていた。このままここに残れば、あのイズミでさえ、苦しんで抜け出せなかった底なし沼に、自分から踏み込んで行ってしまう。それはもう、ソラが12歳のこどもではないから。

 「心配?」

 ユウの右の頬が、痙攣するみたいにぴくりとひきつった。

 「そうじゃない。そうじゃなくて、俺がただ、ソラを手放したくないってだけだよ。……行かないでよ。どこにも。」

 その台詞は、ソラが望んだものだった。手放したくないと、どこにも行かないでくれと、そんな言葉をかけられることを、ずっとずっと望んでいた。

 

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