7
自分の感情が分からない。
その感覚は、ソラにも覚えがあった。狂った母親と暮らしたあの家で、ソラは感情を失って、ただ部屋の隅やどこかの路上で膝を抱えていた。喜怒哀楽、そのどれも当てはまらない感覚が胸の中にあって、それに名前を付けることも、片づけることもできず、いずれはそれらの感覚に飲まれるみたいに自分も狂っていくのだろう、と、半ば諦めみたいに思っていた。
だからか、と思う。
だから、イズミはソラに優しかったのだろう。ソラのために泣いてくれて、勉強を見てくれて、住込みの仕事まで探してくれていた。それは全部、ソラに自分と同じ匂いを感じたからだったのだろう。
このひとは、苦しんだのだ。とてもとても、苦しんだのだ。
ソラは、イズミの首に両腕を回した。その行動を見て、ユウが驚いたように喉を鳴らすのが分かった。それは、そうだろう。ソラはずっと、自分から誰かに触れたことはなかった。それは、ユウにさえ。拒絶が、怖かったのだ。それに、自分が誰かに触れていいような存在だとも思えなかった。でも、今は、イズミに触れたいと思った。
驚いたのはイズミも同じだったようで、ユウとイズミは揉みあいをやめ、ソラに視線を落とした。
「……ソラ?」
ユウが、なにかを恐れるみたいにそっと、ソラを呼んだ。この人も拒絶を恐れているのだ、と、ソラはようやく理解した。院長とかいうひとからの拒絶が怖くて、拒絶されたら自分が壊れてしまうと思い込んで、それで自分を絶対に拒絶しない存在に逃げ込んだ。それがかつてのイズミで、今のソラだ。イズミの言う通り、このひともまた、歪んでいる。そして、そこまで理解してまだ、ユウを思い切れないソラだってまた、歪んでいる。ユウから逃れることもできず、どうしようもなく、この部屋を訪れてしまったイズミだって。
「どこが、お勧めですか。」
ぽつん、と、イズミにしがみついたまま、ソラは訊いた。唐突な問いだったけれど、一拍の間の後、イズミは当たり前みたいな声を作って答えてくれた。
「中華屋。やる気があるなら独立できるようになるまで面倒見るって言ってた。」
そっか、と、ソラは呟く。中華屋で働く自分も、独立して店を持つ自分も、全然想像できなかった。だってソラは、ようやく漢字練習帳の五冊目を終えたばかりなのだ。
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