その日から、時々イズミがユウの家を訪れるようになった。必ず、ユウが仕事で留守にしている時間帯に。

 ソラははじめ、インターフォンが鳴らされたとき、ドアを開けないつもりだった。ただいつものように、廊下のインターフォンのカメラに足をひそめて近づいて、相手を確認し、リビングに引っ込むつもりだった。この家にやってくるのはせいぜい宗教の勧誘やセールスくらいのものだから、対応はそれで済むのだ。

 けれどぞの日、インターフォンのカメラを外からじっと見ているイズミの目を見てしまうと、ドアを閉めているわけにはいかなくなった。イズミが泣いているとか怒っているとか、そういうわけではない。イズミはただ、じっとカメラを見ているだけだ。その目にはなんの感情の色もない。その目が、なぜだろう、ソラに無視を許さなかった。似ていると思ったのかもしれない。すべての物事を、自分の体の外側を流れていくだけのものだと言い聞かせながら、ただ無表情にやり過ごしていた自分の姿と。

 玄関のドアを、そっと開ける、なんだか、悪いことをしている気分だった。ユウは確実に、ソラがイズミと関わることを望まない。

 イズミは平然と玄関にスニーカーを脱ぎ捨て、室内に上がり込んだ。

 「飯、食ってたの?」

 「……はい。」

 リビングのテーブルには、ユウと一緒に作ったスープの皿と、米を持った茶碗が並べられていた。

 「へえ。」

 どうでもよさそうな声を出したイズミは、勝手知ったる他人の家、といった感じで台所に入っていくと、鍋の蓋をぱかりと開けた。イズミがなにか、ユウに存在を隠しておけなくなるようなこをしでかしはしないかと、怖れるように後をついていったソラは、イズミが鍋蓋を持ったまま突っ立っているので、なにをしているのだろう、と首を傾げた。

 イズミは、鍋の中をしばらく覗き込んでいたけれど、やがてその視線をソラに移した。

 「なにこれ。中身、めちゃくちゃじゃん。」

 スープの中身のことを言われているのだ、と、すぐに分かった。スーパーマーケットで、ユウと並んで通路を歩き、お互い首を傾げながら買い物かごに入れた野菜たち。ユウもソラも、正しい家庭料理の姿というものを知らなかった。

 「……そんなに、変ですか?」

 ソラが首を傾げたまま問うと、イズミはいきなり涙を流した。右の目からひとつ、左の目から、ひとつ。それは、泣き出した、というよりは、蛇口を捻ったら水が出ました、というくらいなんの前触れも表情の変化もなく、唐突に。

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