第14話.あなたの杖
授業が終わり、外出許可を得て迎えた放課後。
リージャス家の屋敷に戻った私を、ノアが待ち受けていた。
さながら囚人のように、有無を言わさず彼の執務室へと連行された私は縮み上がっていた。座り心地が抜群にいいソファに座ってからも、正面に座るノアの顔がまともに見られない。
「アンリエッタ・リージャス。申し開きはあるか」
「え、ええと。なんのことだか」
「俺はすべて知っているぞ」
「……ええと……」
具体性はないのにどこまでも不穏な言葉に、顔から血の気が引いていく。
ゆっくりと顔を上げると、ソファにもたれ掛かったノアは鋭い目で私を見ていた。
「週末の夜のことだ。お前、瞑想の最中に菓子を食べていたな」
ギクッ! と私は全身を強張らせる。
というのも二日前のことである。
寝る前に瞑想に励んでいた私のお腹が、ぐううと鳴った。そんな私を不憫に思ったのか、キャシーは厨房からこっそり焼き菓子を持ってきてくれた。私は泣いてキャシーに感謝し、瞑想を一時中断……というか瞑想のことをきれいに忘れて、お菓子を食べてすやすや眠ったのだった。
「それだけではない。昨日、学園に戻ったお前は十分しか瞑想をしていない」
私は汗が噴きだして止まらなくなっていた。
「わ、私の部屋にも寮部屋にも、監視カメラでもつけているんですか?」
キャシーが告げ口したのかと思ったが、それなら寮部屋での様子まで知っているのはおかしい。鎌をかけた感じでもなく、ノアには強い確信があるようだった。それこそ、まるでその現場を目撃したかのような……。
「確かに俺は常にお前を見張っている」
「は?」
「お前に渡した杖だ」
「……はい!?」
「あれには特殊な魔法が仕込まれている。杖を持つ人間の状態を感知することができるんだ。対になるのは、この水晶玉だな」
大しておもしろくもなさそうに、ノアが握り込んだ小さな水晶玉をテーブルの上に置く。
透明な水晶の中で、ゆらゆらと小さく何かが揺れているのが見て取れた。見方は分からないが、この波が私の状態を表しているらしい。
「…………」
私は衝撃のあまり、開いた口が塞がらなくなっていた。
杖を持たせたのは私を笑いものにするためなのでは? とか密かに疑っていたが、それどころではなかった。
ノアは杖を通して、私を監視していたのだ!
「高価なものだが、その価値はある。お前が授業時間中に勉学に励んでいるか、寝ているか、瞑想に励んでいるか、サボって菓子を貪っているか……俺には手に取るように分かるんだからな」
「!!!」
とうとう耐えきれなくなり、すっくと立ち上がって指を突きつける。
「プライバシーの侵害です!」
「ばかを言うな。指導のために必要なことだ」
「セクハラです! セクハラ!」
言葉の意味は伝わったのか、ノアの双眸が険を帯びる。
「それ以上、俺の名誉を毀損するようなら――」
「すみません、私が間違ってました」
その先を聞くのが怖いので、ノアの言葉を遮って謝罪する。
それに私自身、ものすごく真面目な人間というわけじゃない。前世でも適度に勉強して、適度にサボり、たまにサボりすぎて失敗するタイプの人間だった気がする。
花舞いの儀までは、まだ一か月ある。もう一か月しかないとも言える。運命を変えるには相応の努力をしろと、ノアはそう言っているのだ。残念ながら、正しいのはノアのほうである。
「それじゃあ、この杖は私の監視用に新しく買われたものなんですね……」
ノアのセンスなのは間違いないが、ちょっとラインハルトに悪いことをしたかも。
私の持つ銀色の杖を、ノアはつまらなそうに見やる。
「違う。それは正真正銘、俺が五歳の頃に使っていた杖だ」
「えっ」
思いがけない返答に、私は言葉を失う。
それってつまり――両親はノアの様子を、この水晶玉で逐一観察していたってこと?
五歳なんて遊び盛りの頃なのに、ノアは両親に冷たく監視されながら幼少期を過ごしていたのか。
ノアルートでも、彼の過去については語られていた。ノアはどんなに努力して結果を出しても、すばらしい魔法を覚えても、両親にだけは一度も褒められなかったという。
しかし、ノアに冷たく当たる両親はアンリエッタにはとびきり甘かった。花乙女としての能力の開花を信じていたからだ。彼女にへそを曲げられては困る、という思いがあったのだろう。
見事な悪循環だと思う。花乙女になれないノアと、花乙女になるべくして連れてこられたアンリエッタ。二人が仲良くなる道なんて、どこにも用意されていない。
杖を見やるノアの目には、言葉にはしきれない複雑な感情が浮かんでいた。諦めや失望、悲しみや怒り……行き場のないそれらを抱えて、ノアは幼いアンリエッタの前から姿を消した。そんな方法しか、彼には選べなかったのだ。
「今では、古い型の杖だ。買い換えるか」
「……いいえ。私は、この杖がいいです」
意を問うように、ノアが私を見やる。
彼にとって、この杖にまつわる思い出は嫌悪感を催すようなものなのだろう。その思い出を塗り替えることが、自分にできるとも思えない。
それでも私は、これを手放したくなかった。これがアンリエッタの気持ちなのか、私自身の気持ちなのかは、考えてみても分からなかったけど。
「お兄様がいやだとおっしゃるなら、仕方ないと思います。でもお兄様から何かをいただいたのは、これが初めてですから」
ぎゅ、と杖を胸の前で抱きしめる。
それにノアは、この杖を捨てていなかった。認めてほしい、褒めてほしいと願った日々の象徴を、なかったことにはしなかったのだから。
「お兄様の偉大さを噛み締めながら、使いたいんです。……いけませんか?」
上目遣いで見つめると、ノアがため息を吐く。
いかにも煩わしげな顔つきだったが、このときだけは、ノアのことがあまり怖くなかった。
「勝手にしろ」
「……はいっ!」
ぱっと顔を明るくする私を、ノアが無表情で見つめてくる。私は首を傾げた。
「お兄様?」
「……今日以降、しばらく寮には戻るな。毎日屋敷に帰ってこい」
「は、はい」
うう。それだけ厳しく監視の目を光らせたいってことね。
正直面倒に思えたが口には出せない。出来の悪い妹を指導するノアのほうが、よっぽど面倒だろう。ただでさえ多忙な人なのだ。
「俺が時間を取れない日は、今日のように従魔を送って連絡する」
「えっと。それは、遠慮したいんですけど」
「なぜだ」
なぜも何もない。私はじっとりとした目でノアを見つめる。
「一年生の教室では、従魔というだけで目立ちます。お兄様の従魔となると尚更です」
「破った結界はむしろ強固に補修している。教師連中も文句は言わん」
それにしたって多重結界を突破するのって、迷惑な気がするけど。
「それだけじゃなくて、ラインハルト殿下にも絡まれますから」
「……ああ、それは確かに面倒だな」
面倒ときっぱり言いきっちゃうノアは、ラインハルトのことをうざがっている。態度にも露骨に出しているのだが、鈍いラインハルトが察さないのがお約束だ。
「なら、予定ができたときは朝までに伝える。それでいいか」
「そ、それならまぁ」
「急用がある場合は従魔を送る」
「あ、はい」
これが妥協のラインだろうと、私は大人しく引き下がった。
「話は終わりだ。これから魔力制御の訓練を始める。そろそろ、魔法でペンを持ち上げる程度はできるようになったか」
「はい。ええと」
私は銀の杖を握り直して、その先端をテーブルの上に転がる羽ペンに向けた。
目蓋を閉じて、すうはあと深呼吸。かっと目を開けて、魔力を使おうとする。
――今こそ目覚めよ、私の魔力!
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