第5話.お色気垂れ流し校医
心臓がどくどくと早鐘を打つ。
ち、近い近い。本当に近すぎるから!
「ちょ、せ、先生っ」
私は声を上擦らせながらも、必死に抵抗する。
真っ赤になっているだろう私の顔を覗き込みながら、フェオネンが緩やかに笑む。
「でも唇からは血が出ているね。落下したときに、自分で強く噛んじゃったのかな。それとも、ボク以外の不届きな男が……?」
「……っ」
下唇を骨張った指先で優しくなぞられて、ぞくりと全身の鳥肌が立つ。
逃げたいのに、慣れない状況にびっくりして身体が思うように動かない。そんな私の唇を、フェオネンの指が好き勝手に弄ぶ。
「や、やめっ……」
「――はい、治療終わり」
え? 治療?
そう言うと、フェオネンは何事もなかったように私から離れる。
「唇によく効く軟膏を塗っておいたよ。一日すれば腫れも引くでしょう」
下唇をちろりと舐めてみれば、苦い味が口内に広がる。呆然自失している私に、フェオネンは軽くウィンクしてみせた。
「それと今日のキミ、なんかいつもよりおもしろくて。つい、からかっちゃった☆」
拳で口元を隠しながら、私は真っ赤な顔でわなわな震える。
この、この……「からかっちゃった☆」じゃないわ、お色気垂れ流し校医めぇっ! と怒鳴りたくなるのを、なんとか堪えた。
フェオネン・シャンテールは相手が女の子と見れば口説いてしまう、生粋のナンパ男である。正直、そんな男は教師になっちゃいけないと思うのだが。
実は彼には隠された過去がある。とある貴族家の妾の子として生まれたフェオネンは、幼い頃より義母に虐げられてきた。そんな義母の支配から逃れるために家を飛びだし、エーアス魔法学園で校医として働く道を選んだのだ。
眼鏡をしているのも、幼い頃にひどい虐待をされて片目の視力がほとんどないからだという。彼の女遊びの激しさは、周囲から愛を与えられなかったゆえの――強烈なコンプレックスの裏返しでもあるのだ。
そんなフェオネンが初めて本気で惚れてしまうのが、ヒロインのカレン。やや天然気味のカレンは、フェオネンに誘惑されてもまったく動じない。むしろわざと奔放に振る舞うフェオネンを怒ったり、案じたりする。
どんな女性と過ごしても満たされなかったフェオネンは、カレンという存在を得たことで初めて、本当の恋を知っていく……そんなフェオネンルートに、私も何度ハンカチを濡らしたことか分からない(エルヴィスルート以外はCG回収のために一度しかクリアしてないけど)。
そしてヒロインのカレンなら余裕で受け流せるのかもしれないが、男性への免疫がなさすぎる私には、フェオネンの度を超えた色気はただの毒である。喰らいすぎたらたぶんHPが尽きて死ぬ。
でもこんな美形に甘く囁かれながら唇を触られたりしたら、誰だって冷静じゃいられないと思う。私は羞恥心を隠すように、ぼそりと呟いた。
「どうせなら、治癒魔法を使ってくれればいいのに」
フェオネンの使う治癒魔法なら、あっという間に傷は治っていたはずだ。独り言のつもりだったが、椅子に腰かけるフェオネンには聞こえていたらしい。
彼は私の唇に軟膏を塗ったばかりの小指に、これ見よがしに唇で触れる。
「だから、最初に言ったろう? ――キスで治してあげようか、って」
ヒェッ。
この校医……スケベすぎる!
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