第4話.今後の方針


「あの、私のスマホは?」


 薬品棚を見ていたフェオネンがこちらを振り返る。


「すまほ、というのはなんだい? 何か大事なもの?」


 フェオネンの表情からして、しらばっくれているわけではなさそうだ。

 その顔を見て、私は観念した。ここは本当に乙女ゲームの世界で、私はアンリエッタに転生してしまったのだ。


 それならまずは情報収集しようと思い立つ。現状をベッドの上で嘆いているよりは、よっぽど有意義だろう。


「ところで、今は何年何月の何日でしたっけ?」


 突っ込まれる前に付け加えた。


「自分の記憶と照らし合わせたくて」


 きりりとした表情で誤魔化せば、困った顔をしながらフェオネンが教えてくれる。


「今日は月花暦六百二十年。二の月の三十日だよ」

「なるほど。私の記憶通りでしたわ、おほほ」

「……これは冗談抜きに、なんだけど」


 そこでフェオネンが、真摯な面持ちで私を見つめる。


「異常は見つからなかったけど、頭を打っているわけだからね。記憶の混乱や混濁があるなら、正直に言うこと。隠しちゃだめだよ」


 フェオネンの言う通り、私はけっこう混乱していると思う。生前の記憶についてというより、階段から落ちるまでのアンリエッタ自身の記憶についてまったく思いだせないからだ。

 それはアンリエッタが事故で頭を打ったからなのか、私がアンリエッタに転生したのが原因なのかは、はっきりしないけど。


 だからといって、実は私、別の世界からやって来てアンリエッタに転生しちゃったんです、ここはそもそもゲームの世界なんですよ――なんて、率直に話したところで信じてもらえるはずがない。頭がおかしくなったと思われるのがオチである。


「大丈夫です。何かあったら、ご相談しますから」

「それならいいんだけどね」


 フェオネンがにっこりと微笑む。うっ、なんというまぶしさ。やっぱりこの人、本物のフェオネンなんだわ……。

 彼の視線が逸れたところで、私は自分の置かれた現状に改めて思いを馳せた。


 ゲーム本編は魔法学園の入学式から始まる。アンリエッタがふつうに生きて学校生活を送っているということは、まだその日は訪れていないわけだから……月花暦六百二十年、四の月の一日が本編開始日ということだろう。

 つまりアンリエッタが死ぬまでには、約一か月の猶予が残されていることになる。


 それならなんとか足掻いてみよう。わけのわからないまま二度も死ぬなんて、絶対にごめんだ。

 決意を固めてベッドから出る私に、フェオネンが声をかけてくる。


「起き上がって大丈夫かい?」

「はい。そろそろ教室に戻ります。ありがとうございました、フェ……オネン先生」


 ぎこちなく敬称をつければ、出来の悪い生徒を見るような表情で微笑まれる。


「それにしても」

 と言いながら、フェオネンが近づいてくる。


 立ち上がって制服の皺を伸ばす私の前にやって来ると、上背のある彼は少し屈んで――。


「顔に、目立つ傷がつかなくて良かった」

「……っ!?」


 その骨張った指先が、私の顎を掴む。


 驚きのあまり呼吸が止まる。そんな私に構わず、フェオネンは整った顔を躊躇わず近づけてくる。

 起き上がった直後と同じ、キスされるのではないかと錯覚するほどの距離。眼鏡のレンズ越しに注がれる視線。酩酊しそうなほど甘い香水の香りが、私の鼻腔をくすぐった。


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