第6話.ゲームの景色


 私は早急に医務室から退散することに決める。これ以上ここに留まっていては、私の心臓が持たないだろう。第二の生を生き抜くと決意した直後に、心臓発作で死ぬなんていやすぎる。


「それじゃあ、どうもお世話になりました」


 頭を下げれば、フェオネンが思いがけない名前を口にする。


「そうだった。キミ、同じクラスのエルヴィス君にお礼を言っておくといいよ」

「エ、エエ、エルヴィス様っ? ですか?」


 突然出てきた推しの名前に、声が裏返る。心臓はみっともないくらい、ばくばく騒いでいた。


「ああ。階段から落ちたキミを医務室まで運んできたのは、彼だからね」


 そんなイベントあったっけ、と首を傾げるが、ゲーム本編はまだ始まっていないのだ。『ハナオト』クリア済みの私でも知らない出来事なのは当然だった。


 それにしても、まさか本編開始前のエルヴィス様とアンリエッタの間に交流があったとは。だけどアンリエッタみたいな嫌われ者のアンリエッタを助けてくれたというのは、いかにもエルヴィス様らしい。


 エルヴィス・ハントはフェオネンと同じく、『ハナオト』の攻略対象のひとりだ。柔らかそうな茶髪に宝石のようにきらめく翠色の瞳を持つ彼は、由緒正しき辺境伯家の次男である。


 優しくて穏やかで、清く正しく美しい美青年。そんな彼こそ私の推し。

 アクの強い攻略対象が多い中、最初はあまり期待していなかったエルヴィス様のルートに心底癒やされて、きゃーきゃー言いながら悶えていた。普段はぽやぽやして弟っぽいところがあるエルヴィス様だが、いざというときはきっちりヒロインを守ってくれるし、ときどき見せる嫉妬や独占欲が堪らないキャラクターなのだ。


 そうか。アンリエッタに転生したってことは、フェオネンだけじゃなくエルヴィス様にも会えるってことなのね。

 しかも二年生に進級する前の、一年生のエルヴィス様に、だ。


 それってだいぶ役得なのではなかろうか。自分でも現金だとは思うけど、むくむくとやる気が漲ってくる。


「すぐにお礼を言いにいきますっ!」

「ボクに対する態度とはぜんぜん違うね。妬けちゃうなぁ」

「はい。失礼しますっ!」


 推しとの出会いという奇跡を前にした私は、鼻先に人参ぶら下げられた馬も同然である。今だけはフェオネンの甘い言葉にも翻弄されることはない。

 しかし医務室のドアを開けて外に出た私は、そこですぐに立ち止まった。


 なぜかというと、ゲームの背景で何度も見た広い廊下が私を待ち受けていたからだ。


「う、うおお……」


 野太い呻き声を出しながら窓に駆け寄って、周囲の景観を見る。医務室は一階にあるが、窓枠に両手を置いて見上げてみれば、その偉容の一部が目に入った。

 込み上げてきた唾をごくりと呑む。頭上の外壁や尖塔に見覚えがあったからだ。

 ひとつの街かと見紛うほど広大な敷地の真ん中に立つ、お城か宮殿かというくらい豪奢なレンガ調の建物。


 ――間違いない。OPムービーや背景イラストでしょっちゅう見たエーアス魔法学園だ!


「カメラ! スマホスマホ!」


 これも現代人の性なのか。性懲りなくポケットを探ったところで「ないんでした……」と肩を落とす。


 王都にあるエーアス魔法学園は、魔術大国であるカルナシア王国を代表する二大魔法学園のひとつである。

 私の前世でいう高校と同じで、入学できるのは十五歳から十六歳の少年少女で、修学年数は三年間。魔法の力で世界を開くという校風で、生徒それぞれの才能を伸ばすことを謳っており、特徴のひとつは平民だろうと貴族だろうと入学できるということ。ただし、たとえ貴族でも入学試験を合格しなければ入学を断るため、完全実力主義の学園ともいえる。


 余談だが、現時点で平民の生徒はひとりもいないはずだ。入学試験に合格できても、平民だと高い入学金や授業料を払うのは難しい。とんでもない有望株であれば特待生制度でそれらが免除されるが、数年ぶりに特待生に選ばれるのは来年度入学してくるカレンである。さすがヒロイン。


 高所に建つ校舎からは、夕暮れに染まっていく古めかしい街並みを一望することができた。


「本当にここは、『ハナオト』の世界なんだなぁ……」


 頬に冷たい風を受けながら、呟きを漏らす。アンリエッタに転生していなければ、もっと心躍っていたことだろう。


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