第7話.いま、推しに会いにゆきます


 私は胸元に垂れる銀色の髪をかき上げて、目の前の階段を上っていく。

 一段を上るたびに、繊細なレースのついたスカートの裾がふわりと広がる。白を基調としたエーアス魔法学園の制服は上品でかわいらしい。コスプレ人気が高かったのも分かるというものだ。


 それに自分でいうのもなんだけど、ひとつひとつの動作が淑やかである。どうやら記憶は戻っていなくても、アンリエッタの身体に染みついた貴族らしい歩き方や所作は、私も問題なく駆使することができるらしい。


 これは助かる、と素直に思う。一般的な中流家庭の生まれだったはずの私が、貴族の令嬢として振る舞うのは不可能だ。すぐに様子がおかしいと周りから疑念を持たれてしまう。


 自分の教室の位置もなんとなく分かっていたので、迷わず一年Aクラスの教室へと辿り着く。ドアに手をかけたところで、胸にもう片方の手を当てて深呼吸をした。


「っ……ふぅ……」


 落ち着け。落ち着きなさい、私。


 推しを前にして理性を飛ばすのはNGだ。今の私は、エルヴィス様のクラスメイトのアンリエッタなんだから。気持ち悪い言動を取って引かれてしまうのは、ぜったいに避けたい。

 それでも、このドアの向こう側に彼がいるのだと思えば思うほど、際限なく胸が高鳴っていく。私は意を決して、がらりと教室のドアを開いた。


「あれ? いない……」


 広い教室に人の姿はなかった。

 とりあえず自分の席で鞄を手に取った私は、にやりと口の端をつり上げる。


「ふっ、エルヴィス。乙女ゲーマー舐めんなよ……?」


『ハナオト』のシステムでは、放課後になるとプレイヤー独自の自由行動を取ることができる。薬学に傾倒しているエルヴィス様の行き先は、自ずと絞られるのだ。

 最も確率が高いのが、実験を行う薬学室。次点で薬学の先生や有志の生徒が管理している薬草園。教室から近いのは薬学室なので、まずそちらから見てみるのが無難だろう。


 これぞ統計学の勝利である。ふっふふふ、と私は不気味な笑みを浮かべながらスキップして特別棟へと向かう。放課後の遅い時間だからか、他の生徒とすれ違わなかったのだけが救いだ。


 そうして薬学室前に到着した私は確信する。教室のドアには実験中のプレートが下げられていたのだ。こんな遅い時間に実験なんてしているのは、十中八九エルヴィス様。乙女ゲームで学んだ。

 焦らされたせいもあってか、私は緊張も忘れて意気揚々とドアを開け放っていた。


「エルヴィス様ぁ~!」

「うわッ」


 ドアを開けたとたん、こちらに背を向けていた男性の悲鳴が上がる。顔が見えずとも私の鍛え上げられた鼓膜は、一瞬にしてそれをエルヴィス様(人気上昇中の若手声優)の声だと認識したが……同時に、全身が黒い煙に包まれていた。


「わぶっ。な、何これ?」


 目を白黒させつつ、とりあえず口元を押さえる。危険なガスとかではないようで、ちょっと吸い込んでしまっても身体に異変はなかった。


「【コール・アニマ】――払え!」


 そこに魔法を詠唱する凜とした声が響いたかと思えば、室内を満たしていた煙が勢いよく廊下へと逃げていく。

 しかし初めての魔法に感動している暇はなかった。煙が晴れた向こう側で咳き込んだ人物が、髪をぐしゃりと掻きながら大きく舌打ちしたからだ。


「おいおい。こっちは実験中だったつーのに、おかげで手元がくるっちまったじゃねェか。間違いなく調合失敗したぞ」

「ご、ごめんなさい! 人違いで声をかけてしまっ、」


 とっさに謝りかけた私だったが、中途半端なところで唇の動きを止めてしまう。

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