第8話.推しの様子がおかしい
だって――調合台を背にして立っているのは、正真正銘のエルヴィス様だったのだ。
私が見間違えるはずもない、癖のないさらさらの茶髪も、深い翠の目も……。
「なんだ。お前かよ」
「……」
「そういや怪我は平気、じゃなくてなんか言え。人の実験の邪魔しといてダンマリは――」
「…………じゃない」
「は?」
「私の知ってるエルヴィス様じゃない!」
「あ? 何言って」
「私のエルヴィス様を返せ~!」
号泣しながら駆け寄った私は、背伸びをして偽エルヴィスの胸ぐらを掴む。怒りに任せてぶんぶん揺らしてやるつもりが、体幹がいいのか男の身体はびくともしない。
「意味わかんね。そもそもオレ、お前のじゃねえし」
「やめてそのチンピラみたいな喋り方! ほ、本物のエルヴィス様はねっ、純粋で裏表なんかなくて、清らかで穢れを知らないぽやぽや天使ちゃんで、誰に対しても分け隔てなく優しいんだけど、私にだけはとびきり甘くてぇ――っ!」
キャラ崩壊に苦しむ私は両目から滂沱の涙を流しながら、言葉を尽くして語った。
どれほどエルヴィス様が素敵な人なのか。私にとっての憧れであり、愛すべきキャラクターなのか。息切れをする頃にようやく我に返れば、目の前のエルヴィスはすっかり黙り込んでいる。
し、しまった。勢いに任せてとんでもないことを口走ってしまったような。
私がだらだらと汗をかいていると、ふいにエルヴィスが柔和な笑みを浮かべる。
「すみません。驚かせてしまいましたね、アンリエッタ嬢」
何度も画面越しに見つめた笑顔に、私の呼吸が止まる。胸ぐらを掴んでいた手も思わず離してしまった。
「えっ、嘘。エルヴィス様? ほ、ほほ、本物なの?」
やっぱりさっきまでのエルヴィスは、ただの幻? 高熱のときに見る悪夢?
降って湧いた希望に縋りつくように目を輝かせる私の前で、やおら天井を見やったエルヴィス様が顎に手を当てる。
「なるほど、"エルヴィス様"ってのはこんな感じか」
なにて?
私に視線を戻した美青年は、ぺろっと舌を出して意地悪く笑う。
「――案外簡単だな、お前の"エルヴィス様"」
その顔は、私の知るエルヴィス様とはほど遠いものだった。
「……うぇ……!」
こ、この男、私を騙したんだ!
いろんなショックで絶句する私を置いて、エルヴィスは調合台の鍋を覗き込む。
「オレが作ってたのは、人格反転の魔法薬だ。成功例もほとんどない稀少な魔法薬でな。うまく調合できたら自分で飲んでみるつもりだったのによ」
鍋を掻き交ぜながら残念そうに言うエルヴィスの言葉を、立ち尽くした私は繰り返す。
「人格、反転……」
まず大前提として、今はゲーム本編が始まる一か月前である。
エルヴィスがアンリエッタを助ける出来事自体は、ゲーム内世界でも起こっていたとする。本来のアンリエッタなら、わざわざお礼を言うためにエルヴィスを捜したりはしなかっただろう。
でもアンリエッタに転生した私は彼に会いに薬学室までやって来て、調合の邪魔をしてしまった。エルヴィスは人格反転の魔法薬を作るのに失敗し、それを飲むことができなかった。
じゃあ『ハナオト』に出てくる朗らかなエルヴィス様は――魔法薬によって作りだされた人格だった、ってこと?
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