第15話.伯爵邸での食事


 ごはんを食べればもっと頭が回って、他のことも思いだすかもしれないしね。希望的観測を抱きながら、二十近くある席のひとつに腰を下ろす。


「――んー、おいしい!」


 運ばれてきた料理は期待通り、とてもおいしいものだった。


「前菜の盛り合わせまでも、おかわりしたいレベルだわ。ピンチョスもたくさん種類があってかわいいし……こっちは真鯛、によく似た魚のポアレね。身がたっぷり詰まって、ふわふわしてる。レモンのソースがさっぱりしててよく合うぅ……」


 カトラリーを手に、私は豪勢な料理に舌鼓を打つ。

 中流家庭で生きてきただろう私には、数年に一度、何かの記念にお目に掛かれるかどうかという豪華なディナーだ。もちろんというべきか洋食で、今日は魚料理が中心だった。


 おいしい。もう、どれも感動レベルでおいしい!

 身悶えするくらい料理を味わいながら、ぽつり、と小さく呟く。


「でも、なんか……」


 どうしてもそれが味気ないものだと感じるのは、ひとりでの食事だったからだろう。


 アンリエッタの両親は馬車の転落事故で数年前に亡くなっている。そして残されたリージャス家の二人兄妹は、仲良しこよしという関係ではなかった。

 広すぎる屋敷では偶然出会すことなんて滅多にないし、食事や家族団らんの時間もない。ただでさえ当主である彼は多忙なので、会って話をするには使用人を通したほうが早いくらいだ。


 私は薄味のトマトスープをスプーンで掬いながら、ぼんやりと思う。

 広すぎる食堂。埋まらない椅子。美しいだけの、他人行儀な調度品。食べきれない量の食事。


 この屋敷には温かみがなくて、寂しい。

 でも、それが当たり前のことだと私は知っている。私というより――アンリエッタは、この寂しさをよく知っている気がした。


 疼く胸を、ぎゅっと服の上から押さえる。孤独を紛らわせようと、私は給仕に話しかけた。


「ねぇ、良かったら一緒に食べない?」


 駄目元での提案だったのだが――次の瞬間、年若そうな彼の瞳にぶわっと大量の涙が盛り上がる。


「何か……何か粗相がございましたか!」

「え、違うわ、そうじゃなくて」

「どうか辞めさせないでくださいお嬢様! リージャス家を追いだされたら、自分に行き場はありません!」

「ち、違うんだって」


 わんわんと泣き喚く給仕。騒ぎを聞きつけたのか、厨房から中年の料理長まで泣きながら駆けつける。


「お嬢様、首を刎ねるのであればどうか私の」

「だから、違うわよ!」


 学園で嫌われているアンリエッタは、家の中では恐れられる存在らしい。

 二人を泣かせてしまった私は、すっかり困り果てた。庶民の感覚で発言するのは避けたほうが良さそうだと、今さらのように思う。

 おいおいと泣く彼らに聞こえているかは分からなかったが、とりあえず思ったことを口にする。


「あのね、えっと……どれもおいしいけど、量はもうちょっと少なめでいいわ。こんなに食べたら太っちゃうし」


 余ったら、きっと使用人で分け合って食べるのだろう。それなら、最初から彼らの分に多くの食材を使ってくれればいい。リージャス家の財政についてはよく知らないが、隅々まで手入れが行き届いた屋敷の様子や当主の手腕からしても、逼迫しているということはないだろう。


「はい? 今、おいしい……と?」


 そこを突っ込まれるのかと思いきや、料理長が着目したのは別の箇所だったらしい。

 潤んだ目で見つめられた私は、戸惑いながらもこくこく頷く。


「ええ、おいしいわよ。その、毎日おいしい食事を作ってくれてありがとうね」


 私はアンリエッタじゃないから、彼の料理を食べるのは今日が初めてだ。

 でも今まで、彼はリージャス家の人々のために朝夕の食事を準備してきた。お礼の言葉がなくても手抜きせず、職務に忠実に励んできたはずだ。その姿勢には、きちんとお礼を伝えておきたいと思った。


「アンリエッタお嬢様……」


 泣き止んだはずの二人が、なぜか再びさめざめと泣きだす。

 私は焦った。ひとつだけ、このまま忘れられては困ることがあったのだ。


「ところで、デザートは?」


 すると料理長は涙を拭って、初めて笑顔を見せた。


「すぐにお持ちします、本日はマスカルポーネのプリンですよ、アンリエッタお嬢様!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る