第11話.SIDE:エルヴィス1


 オレは、今日という日を心から楽しみにしていた。


 なぜなら、念願だった人格反転の魔法薬の材料が揃ったからだ。材料はどれも珍しいものばかりで、国内で栽培の成功例がない薬草も含まれている。多額の費用をかけて取り寄せるのにも数年かかっていた。


 その日の授業はほとんど耳に入らなかった。昼休み、クラスメイトのアンリエッタが階段から落ちたところに通りかかり、医務室に運んだりはしたが……記憶に残っている出来事はそれくらいだ。


 アンリエッタと深い関わりはなくとも、同じクラスにいるだけで気性が激しい女なのは分かる。わざとらしく褒めそやされるたびに怒鳴り声で言い返していた。

 悪意を受け流す術すら知らない少女は哀れだったが、手を差しだしてやるほどお人好しでもない。


 だが昼休みのこと。放課後に思いを馳せて廊下を歩いていると、階上から金切り声が聞こえた。


「今のは誰が言ったのよ!」


 何事かと胡乱に見上げれば、宙を舞う銀髪が目に入って――オレはとっさにアンリエッタの名を呼び、駆け寄っていた。


 すんでのところで間に合わず、彼女は頭を打って気を失っていた。どうやら足を踏み外して階段を落ちたらしい。しかし責任を負うのを免れるためか、それまでアンリエッタを囲んでいたらしい生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったので、オレは仕方なく医務室に運んでやることにしたのだ。


 横抱きにしたアンリエッタの身体は驚くほど軽かった。静かに呼吸はしているものの、生気も感じられない。普段からほとんど食事をしていないのかもしれない、と思った。


「命に別状はないけど、頭を打っているからね。意識が回復するまではベッドで休ませておくよ」


 フェオネンは素っ気ない口調でそう言った。女好きで知られる若い校医は、男子生徒には分かりやすくずさんな対応をする。聞いていた通りだと思いながら、医務室を辞した。


 オレは普段、クラスでは極力目立たないように気をつけている。ハント家の立場は盤石のもので、他の生徒との交流に精を出す必要はないし、貴族同士のいざこざに巻き込まれるのも面倒だ。そんな些事に関わっている時間があれば、野原に薬草でも摘みにいきたい。


 自分が整った容姿であるのは自覚しているので、反感を買わない程度の愛想は身につけている。そのおかげで、他人からは遠慮がちで思慮深いと評されることが多くなり、目が合うだけで令嬢たちには頬を染められるようになった。まったく、見る目のない連中だらけで助かる。


 待ちに待った放課後が訪れれば、オレは懇意にしている教師に一声かけて鍵を借り、颯爽と薬学室へと向かった。事前に話は通してあるので、今日は部屋を独占することができる。他の派手な学問と異なり、生徒からの薬学人気はそう高くないのだが。


 ドアには【実験中につき立ち入り禁止】のプレートを下げ、煙出しの窓以外はすべて閉めきっておく。これで、誰にも邪魔されずに調合に臨むことができる。


 調合の準備を済ませて、保管していた材料を目の前に並べるだけでわくわくした。

 調合台の前に立ったオレはすっかり記憶しているレシピを手元に置き、秤に乗せて重さをチェックした材料を鍋に入れては注意深く魔力を流していく。金色の鍋を満たしているのは純度の高い聖水だ。これもなかなか値の張るものである。


「よし、いい感じだな……」


 にじんできた汗を服の袖で拭う。すべての材料の投入を終え、液体は粘り気を増してきた。

 いよいよ調合は最終段階に突入した。あとは鍋の中に魔力を注ぎ込み続ければ――。


 しかしそのとき。

 背後で、がらりと勢いよくドアが開く音がする。


「エルヴィス様ぁ~!」

「うわッ」


 反射的に悲鳴を上げた一秒後、マジか、と頭を抱えたくなった。

 この魔法薬の調合中は、一瞬たりとも気を緩めることができない。それほど繊細な魔力操作が必要なのだ。


 見れば瑞々しい青緑色に輝いていた鍋の中の液体は、どす黒い色に変色している。

 調合に失敗したのは明らかだが、気落ちしている場合ではない。天井付近まで立ち上っている黒煙をどうにかしなければ、毒素が発生してしまう。


「【コール・アニマ】――払え!」


 少し煙を吸ってしまったオレは、詠唱のあとに軽く咳き込む。

 調合が失敗したのは、オレの未熟さゆえだ。ドアに鍵をし忘れたのも、大声によって集中力を切らしたのも、オレ自身である。


「おいおい。こっちは実験中だったつーのに、おかげで手元がくるっちまったじゃねェか。間違いなく調合失敗したぞ」


 それでもやはり、闖入者に一言くらいは文句を言っておきたい。そんな思いでいやみを言うと、声の主はすぐに謝ってきた。


「ご、ごめんなさい! 人違いで声をかけてしまっ、」


 だが、変なところで言葉が止まる。

 何事かと、煙が晴れた向こう側に目をやる。ドアの近くに立っていたのは、誰かと思えば伯爵家の令嬢であるアンリエッタだった。

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