第12話.SIDE:エルヴィス2


「なんだ。お前かよ」


 なんでこいつが薬学室に……と眉を寄せたところで思いだした。そうだった。オレ、さっきこの女を助けたんだったな。


 お礼でも言いにきたのかと思いきや、アンリエッタは飛び掛かるような勢いでオレの胸ぐらを掴んできた。


「私の知ってるエルヴィス様じゃない! 私のエルヴィス様を返せ~!」


 ……何言ってんだ、こいつ?

 きょとんとするオレに構わず、アンリエッタは泣きながら一生懸命に意味不明のことを口走る。


 エルヴィス様は純粋ぽやぽやでまるで天使のようだの、私が他の男子と話しているときの嫉妬丸出しがおいしいだの、キャラソンでの甘噛みが堪らないだの、休日デートのときは私服のセンスがちょっとダサいところも愛おしいだの。


 聞けば聞くほどに、オレの混乱は深まっていく。私の知ってるエルヴィス様も何も、オレもそんなオレは知らん。私服を見せたこととかたぶん一度もないし。別にダサくないし。


 もしかしてこいつ、頭を打っておかしくなっちまったのか?


 少なからず責任を感じてしまい、いやいやと胸中で否定する。この女がおかしくなったところで、オレには関係ない。むしろ医務室まで労力を割いて運んでやったのだから、感謝されたいくらいだ。


 そもそも、こんなにぺらぺらと表情を変えてはきはき喋るやつだっただろうか。クラスメイトに絡まれて逆上するところしか見たことがないので、妙に新鮮な気持ちだった。


 満足がいくまで語り尽くしたのか、それとも少しは冷静になったのか。アンリエッタはぜえぜえと荒く呼吸して、華奢な肩を震わせている。


 そんなクラスメイトを見下ろしながら、オレはふいに思いつく。

 こいつの言うエルヴィス様、とやらを演じてみてはどうだろうか――と。


「すみません。驚かせてしまいましたね、アンリエッタ嬢」


 単なる冗談のつもりだった。

 それなのに反応は劇的なものだった。アンリエッタはオレの服を掴んでいた手を離し、食い入るようにしてオレのことを見つめてきたのだ。


 作り笑いで見返してみれば、一度は乾いたはずの青い目が、再び込み上げてきたいっぱいの涙で潤んでいく。それが先ほどまでとは異なる歓喜の涙であることは、紅潮した頬や、花のように綻んだ唇を見れば明らかだった。

 溶けそうだ、と思う。オレがこのままエルヴィス様とやらの演技を続ければ、こいつの大きな両目は溶けてなくなってしまいそうだ、と。


 その実感になぜか小さな苛立ちを覚えて、オレはすぐに演技するのをやめた。


 人格反転の魔法薬について説明すれば、アンリエッタは大きな衝撃を受けたようだった。

 オレはそんなアンリエッタを問い詰めることにした。よくよく考えれば、こいつが頬に朱を注いで語ってのけたのは、人格反転したあとのオレのことではないかと思えたからだ。

 だが、オレは今日の実験について教師にしか話していないし、アンリエッタも魔法薬については知らないようだった。


 様々な違和感を覚えながらも、オレは疑いを口にする。


「花乙女は未来を予知することができる、だったか。なァ――暫定・花乙女さんよ」


 容赦なく問い詰めれば、壁に頭を押し当てたアンリエッタは、目を細めてにっこりと笑ってみせた。なんとも高位貴族の令嬢らしい、上品で淑やかな笑みだった。


「……それが、私には妄想癖がありまして」


 しかし、そこから彼女が語ってみせたのは荒唐無稽な話である。

 嘘だな、とすぐに看破した。普段から嘘をつき慣れているオレには分かる。

 だが、悪意があっての嘘ではないとも思った。というか悪意がある人間なら、もっとまともで説得力のある嘘を考えつくだろう。間違っても、妄想癖があるとかアホみたいなことを言いだしたりはしない。本気で言っているなら酔狂の域だ。


 だからオレは、その嘘を否定しなかった。代わりに乗っかることにした。そうすれば、きっと次から次へとボロを出すことだろうと直感したのだ。


 そんなオレの態度に、アンリエッタは目に見えてホッとしていた。本当に分かりやすすぎる。普段の態度から感情的だとは思っていたが、それとはまた違っていて……なんというか、からかいたくなるような隙が多いというか。


 気がつけばオレは、こそこそ逃げようとしているアンリエッタ相手に口を開いていた。


「オレで妄想して、自分を慰めてたんだろ? 実力もないくせにお高く止まった女だと思ってたが、少しはかわいいところがあるじゃねェか」


 わざと下品な物言いをしてみれば、茹で蛸の色になりながら怒鳴り返してくる。オレは途中から頬が緩むのを押さえられなくなった。

 エルヴィス様とやらではなく、オレ自身の言葉がこいつを翻弄しているなら、存外悪くはない。


 そのあともアンリエッタは、また魔法薬を作ってほしい、材料は手に入れてみせるからと、好き勝手なことを宣って薬学室を出ていった。

 その勢いに圧倒されたオレだったが、アンリエッタの気配が遠ざかってから小声で呟く。


「しばらく監視してみるか、あいつのこと」


 本当にアンリエッタが花乙女だ、などと思ってはいない。魔力自体は高くとも、アンリエッタの魔法の実力はクラスでも下から数えたほうが早いくらいだ。そんな人間が、百年に一度だけ選ばれるとされる花乙女に相応しいとは思えない。あれを花乙女に選ぶなら、女神エンルーナとやらは眼力がなさすぎる。


 それに一応口止めはしたものの、オレの本性について、アンリエッタがクラスメイトにバラさないとも限らない。


「……つか結局、何しにここまで来たんだよ」


 実験を失敗に追い込み、騒ぐだけ騒いだ挙げ句、大慌てで出ていった少女。

 そんな彼女の一挙一動を思いだせば、オレはひとりで肩を揺らして笑ってしまったのだった。






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