第12話.形勢逆転の一手
魔法学園に入学するような生徒なら、何年も前に杖を手放して当然。だから十六歳にもなって杖を持ち歩いている私が、彼らにはおかしくて仕方がないのだった。
たぶん今までのアンリエッタは、こんなふうに周りからしょっちゅう馬鹿にされていたのだろう。
アンリエッタの出身は伯爵家という上等なものだが、この学園では家格ではなく、魔法を使いこなす者ほど他者の尊敬を得る。ひとつも魔法が使えないくせに高慢に振る舞うアンリエッタは、嘲りの対象にしかならなかったはずだ。
『ハナオト』のアンリエッタについて、私は多くを知らない。ゲーム内のスチルだって一枚しかないようなキャラクターなのだ。
花舞いの儀の日。姿を現したカレンに激昂するアンリエッタのスチル。差分では、その身体が黒より濃い闇へと包まれていき、魔に堕ちていることが表現される。私が知るアンリエッタは、たったそれだけなのだ。
「アンリエッタ・リージャス」
そのときだった。不快な笑いの波の向こうから、よく通る声が教室に響く。
現れたのは、一学年上の二年Aクラスに所属する赤髪の青年……ラインハルト・レイ・カルナシアだった。
カルナシアの王太子である彼は短い赤髪に、同色の瞳をしている。攻略対象のひとりだけあり、容姿はやはりびっくりするくらい整っている。
ラインハルトは王族らしい尊大さに満ちた青年で、それだけの実力を兼ね備えてもいる。認めた相手のことは尊重するし大切にするものの、そうじゃない相手に対してはいやみな態度を隠さない。
だが、自分より能力が劣っているか否かで他人を判断する考え方は、上に立つ者として未熟である。そんな自分の至らなさを、異世界からやって来たカレンに教えられ成長していく……という彼のルートは必見ではあるが、今の私はそれどころではなかった。
なんでもいいから食堂に行かせてくれ。私は一刻も早く、温かな食事にありつきたいんだ。
実は私が転生してから、ラインハルトに話しかけられるのは今日が初めてではない。
彼が絡んでくる理由はひとつ。彼がアンリエッタの兄――ノアを敬愛しているからだ。
伯爵位を継いだノアが魔法騎士団の入団試験を受けていたとき、偶然その実力を目の当たりにしたラインハルトはすっかり惚れ込み、自分の護衛騎士になってほしいと人目も憚らず求めた。
王族、それも順当に行けば未来の国王となる予定の人間からのお願い、もとい命令を断れるはずもなく、ノアは魔法騎士団に入ると同時に【王の盾】に選ばれた。
ラインハルトはノアを実の兄のように慕っており、稽古をつけてほしいとせがんでは断られている。だからこそ、私に対していろいろ言いたいことがあるようなのだ。
そんなラインハルトを最初に前にした日、私はなぜか一言も言葉が出なくなった。
ノアを前にしてひどく身体が強張ったのと、たぶん同じ原因だ。血気盛んなアンリエッタも、王太子相手に正面から喧嘩を買うのはまずいと思っていたのだろう。
「また騒ぎを起こしているのか。いい加減、ノアさ……ノアを見習ったらどうだ」
お小言にげんなりしたのが顔に出てしまったのか、ラインハルトが肩を竦める。
「勘違いするな。俺は杖を持つことそのものを否定するつもりじゃない。魔法を使えるようになるための努力、大いにけっこうじゃないか」
気まずそうな顔で、数人の生徒が教室を出ていく。きっと食堂に向かうのだろう。
立ち尽くす私に、ラインハルトが侮蔑の目を向ける。
そう、一部の陰湿なクラスメイトを追いだしてくれたからって、この男が私の味方なわけではないのだ。
「だが、その杖はなんだ? これほどまでに地味で見窄らしく、なんの魅力も感じられない杖は見たことがないぞ。リージャス家の人間として恥ずかしくはないのか?」
すると私の隣から一歩出て、エルヴィスが控えめに口を開く。
「ラインハルト殿下。恐れながら、そのような言い方はアンリエッタ嬢に失礼では」
エ、エルヴィス。私を庇ってくれるなんて、ちょっと見直したぞ。
「この俺に意見するのか。おもしろい男だ、エルヴィス・ハント」
おもしれー男、いただきました。とか思いながら、私は迷っていた。
んー、どうしようかな。言うべきか。言わざるべきか。
迷う私に、ラインハルトがエルヴィス越しにちらりと目を向けてくる。
「今日も一言も喋らないつもりか。ああ、男を盾にする方針に変えたのは正解かもしれないが」
はぁあ?
「盾にばかり喋らせないで、何か言ったらどうだ? 王太子殿下のおっしゃる通りです……とな」
うわー、カレンに出会う前の俺様ラインハルト、やっぱりむかつく。
アンリエッタは立場を弁えて沈黙していたのかもしれないけど、彼女に転生した私は違う。ここまでばかにされているのに、黙ってなんていられない。
ていうか、私は悪くないからね。喋ってほしいって言ったのはそっちなんだから。
私は手にした杖をこれ見よがしに両手で抱きしめてみせる。子どもっぽい仕草だと思われるかもしれないが、それもこのあとの展開を考えれば計算通りだ。
「それでは、畏れながら王太子殿下に申し上げます」
「ふん。なんだ?」
私は油断しきっているラインハルトに、決定的な一言を告げた。
「この杖はつい先日、兄から譲り受けたものなんです」
それだけで、おもしろいくらい教室内が静まり返る。
しわぶきひとつ聞こえない空間の中。最も劇的な反応を見せたのは、ラインハルトだった。
「……な、んだと?」
愕然と呟いた彼の目が、私を見つめる。
嘘だと言ってほしかったのだろう。しかし私は黙って顎を上げて、じろりと見返すだけだ。
なぜならこの杖がノアのものなのは、事実だから。
それが伝わったのか、彼の頬を一筋の汗が伝っていく。尋常でなくラインハルトは焦っていた。
「そ、そんな……いやまさか。冗談に決まって……」
私とノアの仲が険悪なのは、学園でもよく知られている話だ。ラインハルトも、私の持つ杖がノアのお下がりだとは夢にも思わなかったのだろう。
私は胸中でほくそ笑む。早くも形勢逆転。これぞ虎の威を借る狐。ノアに知られたら最悪だが、やつが特別講師として学園に赴任してくるのは再来月の五の月のことである。ラインハルトが話すとも思えないので、知られる心配はないだろう。
私は頬に手を当てて、きゅるるんとした瞳で嘯く。
「ええと、なんでしたっけぇえ。確か地味で見窄らしくて、なんの魅力も感じられない杖、でしたっけ。王太子殿下からの率直な感想は、家に帰ったら兄にしっかり伝えておかなくちゃ!」
「なっ!」
「兄は【王の盾】として殿下に仕えていることを誇りに思っています。そんな殿下からのありがたく貴重なお言葉ですもの、それはそれは喜ぶことでしょう」
それでは、と私はラインハルトを置いて颯爽と教室を出ていこうとする。
そんな私の肩を、とっさに掴むラインハルト。痛みに顔を顰めて振り返れば、彼は狼狽したように手を離した。
「ま、待て。さっきのあれは……違うっ」
「違う、とは?」
はて? はてはてはて? いったい何が違うんでしょう? と右に左に首を傾げる私に、ラインハルトは唇を強く噛み締めながらも、必死に言葉を探している。
「よ、よく見れば――その――そう! とても品が良く、高潔そうな杖だ。まさか生きているうちに、これほど上等な杖にお目に掛かれるとは思わず……混乱のあまり、真逆のことを口にしてしまったようだ」
私はぷるぷるしながら、噴きだしそうになるのを堪えた。
さすがに、言い訳にしたって苦しすぎる。それを本人も重々承知しているのだろう。先ほどから全身が小刻みに震えていた。
「えー、そうなんですね! 王太子殿下ともあろう方が一本の杖にそこまで心を乱されて支離滅裂なことをおっしゃるなんてぇ、よっぽどすばらしい杖なのかしら!」
「……そ……」
ラインハルトの顔が紅潮し、両目が憤怒に染まる。やりすぎたかと一瞬焦るが、ラインハルトは口元に笑みを浮かべた。
「そう、だな。……俺も、まだまだだな。はは」
ギラついた目で笑うラインハルトは、悪夢のように恐ろしい。
ちょっとからかいすぎたか、と私は反省する。この様子だと、私がノアから直接指導を受けていることを知れば問答無用で斬りかかってきそうである。調子に乗って、口を滑らせなくて良かった。
「はは、はは、はははは」
「う、うふふ。うふふ。そ、それじゃ私はこれで……」
バグったように笑い続けるラインハルトを置いて、そそくさと立ち去ろうとしたとき――ばさっ、ばさっと頭上で強い羽ばたきの音が聞こえて、思わず立ち止まる。
もう、次はなに! と目を向けた私は、ひえっと悲鳴を上げそうになった。
どこから入ってきたのか。教室の天井付近を旋回しているのは、一羽の大きな鳥だった。
その正体は、ノアの従魔である。
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