第16話「1人目の信徒」

 切り掛かってくる賊の剣先が俺の顔面に迫る。奴の後ろに目を向けると、同じように3人の男たちが曲刀を上段に構え、怒声を上げていた。普通に避けたのでは後ろの3人の攻撃から身を守れない。俺は体の柔軟性を活かし、急激に体勢を低く取った。地面と腹が密着する程に。獲物を狙う野生動物のように四つん這いになる。


「どこに行きやがっ……!?」


 そこから俺は再び立ち上がり、その勢いのまま賊の顎を下から串刺しにするようにナイフを突き入れた。


「ごぷッ」


 人の視界は狭い。特に下からの攻撃に関しては。急激に低い体勢を取ることで自分を消えたように錯覚させ、意識外からの一撃を放つ。奴は口から大量の血を吐き出しながら地面に倒れ込んだ。


 残りの賊共が瞳を一瞬驚愕に染める。しかし、奴らはもう後には退けないと判断し、尚更刀を強く握り締めた。 

 

 賊2人が一瞬、何かの合図のように目配をした。奴らの顔は瓜二つだった。一卵性の双子だろう。顔の反対側にそれぞれ同じような大きな傷があった。

 

 奴らはそれぞれ、俺の体の右と左に回り込んだ。


「くっ」


 かなり厄介だ。流石に別方向からの同時攻撃には対応しきれない。片方を避けたとしても、もう片方から身を守れない。運良く2人を攻略できたとしても、3人目に切り裂かれて終わりだ。俺は奥歯を噛み締める。


 その時、後方から魔力の高まりを感じた。俺は一瞬、敢えて身体強化に充てていた魔力を抑え、魔力感知の精度を上げた。俺は瞬時に状況を理解し、右からの攻撃への対処を完全に捨て、左の敵に集中することを選んだ。


 俺が敵を切り付けるより、相手の刀が俺に届くまでの方が早かった。俺は奴の攻撃を咄嗟にナイフで受け止める。


 一方、右方では刀が固い何かを叩くような音がしていた。ウォーレンの障壁が間に合ったようだ。刀のような攻撃面積の低い得物から俺を守るように一瞬で障壁を展開する。少しでも狙いが外れれば俺は真っ二つ。この精密性を手に入れ、気の弱いウォーレンが戦いの最中で自由に使えるようになるには血の滲むような修練が必要だったことだろう。


 俺は心の中でウォーレンに感謝する。

 

 その時、俺と相対する賊がニヤリと笑った。


 奴は刀に込めた力に指向性を与え、俺のナイフを絡め取るように振るった。俺のナイフが後方に勢いよく飛んでいく。


 俺は瞬時に構えを肉弾戦のものに移行させ、賊の体に正拳突きを放つ。奴は余裕綽々と言った様子で両手を十字にクロスさせ、俺の拳を受け止めようとする。


「……ぐぉ!?」


 瞬間、奴の両腕から血飛沫が上がる。俺の右手には再び銀色のナイフが握られていた。


「な!?いつの間に!?」


 俺は怯む奴の首にナイフを突き入れ、頸動脈を掻っ切った。また1人、地面に倒れ込む。


「レン!クソ!舐めやがって!」


 双子の残る1人が俺に切り掛かってくる。



『ミザリー』



 俺はその名を口にする。左手にさらにナイフが握られる。俺の背後に、俺を抱きしめるように少女の霊が出現する。




 ミザリー、俺が初めて殺した少女、そして、人類史上初めて“死”を経験した人間。


 彼女はどこにでもいる普通の少女だった。普通に飯を食べ、普通に学校に行き、普通に寝る。そして彼女は普通に死を願った。


 彼女の悩みは取るに足らない物だった。口うるさい母親への不満。思春期特有の父親への嫌悪感。死を願うには不十分な理由に見える。しかし、だからこそ、逆説的に彼女の死への執着は際立った。くだらない、一見して幼稚に見えるような不満が理由になってしまう程の、本能的な生への絶望。


 そして、死への渇望。


 彼女は生まれた瞬間から死を願っていた。現世に誕生したこと自体が、浅ましい彼女への罰だった。哀れな少女、ミザリー。彼女は死を愛した。俺を愛していた。彼女の愛は死を経験した後、さらに成長を続け、やがて信仰へと進化した。


 死そのものである俺を信仰する最初の信徒。それがミザリーという少女だった。


 彼女は自分を生から解放した銀のナイフを同じように敬った。あれは本来、戦いに用いるような物ではない。俺が、愛する者を生から解放する際に使用する儀式用の宝具だった。だが、彼女にとって、あのナイフこそ死と自らを繋ぐ絆の証。自分を生という絶望から掬い上げた光の剣。彼女は生前より持ち合わせていた異常としか言えない程の膨大な魔力とシロの死の力を利用して、銀のナイフをほぼ無制限に召喚することができた。


 彼女はその力をもって、死して尚、己の信仰するただ1人の神のために戦うことを選んだのだ。


 俺は両手に握る、ナイフに力を込め、奴の横を通り過ぎた。


「何!?」


 奴が振り返り、再び体を反転させ、俺に斬りかかろうと刀を構えたところで、奴の首筋から勢い良く2つの血飛沫が上がった。遅れて奴が倒れる。殺してはいない。殺せば俺の正体が露見し、アレックスたちと敵対することになってしまう。『ミザリー』の他にも俺はいくつかの権能を有している。その権能を行使すれば敵を殺さずに傷付けることも可能だ。


 同時に3人目の賊も倒れた。アレックスが剣を勢いよく振るい、刃に付着した血を飛ばした。この男が俺の戦いをただぼうっと見ている訳が無かった。残りの賊共が一斉に後退る。


「観念しろ!今投降すればきっと刑は軽くなる!」


 アレックスの言葉に賊の間に迷うような気配が生まれた。その時、1人の男が廃墟の中から姿を現した。蛙のような潰れた鼻っ柱に毛量の多い黒髪、腰は老人のようにひん曲がり、瞳には何の覇気もないように見えた。


 しかし、それが却って不気味だった。


 奴は地面に倒れ込む双子の1人——レンに近寄ると、刀を抜き、上から彼の頭を串刺しにした。


「ゔぇ゛」


 悲鳴とも似つかない様な間抜けな声がレンの口から発せられる。男はレンの頭を掻き混ぜるように何度も刀を入れる。アレックスたちは完全に絶句した様子でその光景を見ている。


「やれー、俺も手伝うー」


 男は底冷えするような冷たい声で、賊共に言い放った。


 戦いは次の段階へ進もうとしていた。

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