死神が生きる日々
もうしばらくで川
プロローグ
第1話「1人の少女の終わり」
影はいつも私を見ていた。
◇ ◇ ◇
「ミザリー!ご飯よー!」
意識が覚醒する。
隣を見ると、もう父と母の姿ない。
私は眠い目を擦りながら立ち上がると、寝巻を脱ぎ、制服に着替えた。
鏡を見て、おかしなところが無いか確認する。
「これでよし」
母さんは身だしなみにすこぶるうるさい。少し糸がほつれているだけで「だらしがない」だの「嫁の貰い先が無くなる」だの言ってくる。
「おはよう」
「おはよう、ミザリー」
「おはよう、父さん、母さん」
リビングには既に父さんと母さんが揃っていた。テーブルにはパンと羊肉のステーキ、野菜がたっぷり入ったスープが並んでいる。私の家はそれなりに裕福だ。毎朝こんなに豪華な朝食を食べられる家なんてそうそうないと思う。
「ミザリー、学校はどうだ」
父さんが羊肉をナイフで切りながら言う。父さんは無口のくせに沈黙が苦手だ。
「普通かな」
「そうか」
会話が終わる。
「ちょっとあんた、お父さんがせっかく話しかけてくれたんだからもっと気の利いたこと言えないの?」
「だって普通なんだも―ん」
母さんは昔から父さんの顔色ばかり窺ってる。
最近、父さんや母さんの言動に不満を感じることが多くなったように思う。
理由には心当たりがある。年齢のせいだろう。友達にも最近「ママが口うるさい」だの「パパが臭い」だの言ってる子がいる。その子たちは気付いていないかもだけど、私には分かる。人は大人になるまでに一度くらい親に反抗的な態度を取ってしまう時期があるのだ。
しかし、それが分かってるからと言ってどうもしない。
私にはこのイライラを止める理由も無いし、術も無いのだ。
「何達観したような顔してるのよ」
おっと顔に出ていたみたい。
「ご馳走様―。行ってきまーす」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい!気を付けるのよ!」
鞄を手に取り、家を出る。
その時、家の扉の隅に黒い何かが見えたような気がしたが、気付かないふりをして、私は学校に向かった。
◇ ◇ ◇
「おはよう、ミザリー」
学校に到着し、自分の席に腰を下ろしたところを隣の席のライナーに声を掛けられる。
「お、おはよう、ライナー…」
何とか返事をする。
私の若干挙動不審な態度を気にした素振りも無くライナーは私に爽やかな笑顔を向けてくる。何回見て見ても端正な顔立ちだと思う。王都にもここまでの美男子はそうそういないのではないだろうか。これで学力も魔法も、それに剣術も学年でトップクラスの実力だと言うのだから世の中は不公平だ。
「ミザリー、今日の戦闘訓練、よかったら僕と組んでくれないかい?」
ライナーの笑顔に見とれていると思いもよらない提案をされる。
「え!?私でいいの!?ライナーだったらもっといい相手がいるでしょ?」
「ミザリーがいいんだよ!確かにミザリーは運動神経も戦闘のセンスもイマイチ……というかかなり最低に近いと思うけど……わわっ!ごめん!」
私の絶望したよう表情を見て、ライナーが慌て始める。
「でも魔力量だったらピカイチだろ!?校長先生も言ってたよ!この魔法学校ができてからミザリーほど膨大な魔力量を持つ生徒は見たことがないって」
「でも私、運動神経最低で戦闘センスだって……」
「わー!だから一緒に才能を伸ばして行こうってことさ!頼むよ!ミザリーは魔力が多い分、経戦能力が高いから良い訓練になるんだ!」
「ほんと……?私、ライナーの役に立てるの……?」
「立てる!立てる!」
「よし!じゃあ一緒にやろうかな!」
「よろしく頼むよ……」
ライナーが冷や汗を拭い、胸をなで下ろす。
その時、教室に担任のアレックス先生が入ってきた。
「おーい、お前らホームルームを始めるぞー」
先生の一声で賑やかだった教室は静寂に包まれる。
よし、今日も一日頑張るぞ。
◇ ◇ ◇
戦闘訓練の時間だ。約束通り私はライナーと組むことになった。
「ミザリー、負けないよ」
「こちらこそ」
正直に言う。私はライナーが好きだ。この学校に入学したころからずっと。でもそれは勝ちを譲る理由にはならない。むしろ好きなら負けてはいけないと思う。
クラス中の視線が集まる中、私たちは訓練場の床に描かれた円の中に入る。
「では両者、礼!」
エスメラルダ先生のよく通る声がこだまする。
相変わらず美人だなーエスメラルダ先生。年齢はもう100を超えているはずだが、肌のツヤなんて私とそう変わらない。
「始め!」
「ファイアボール!」
開幕早々、ライナーの得意魔法、ファイアボールが猛烈な熱量を持って飛んでくる。
「マジックバリア!」
間一髪で、私の無属性障壁魔法マジックバリアが間に合う。
相変わらず容赦がないなー、ライナーは。
確かに私たち人類は不死身だ。腕がちぎれても頭が爆発しても死ぬことはない。数分も経てば再生してしまう。
動物や魔物は別だが、人間の死はほとんど空想、または学問における仮定のなかだけに存在する物だ。でも、あんな炎の塊がまともにぶつかれば痛いものは痛い。
「ファイアボール!ファイアボール!」
ライナーが火球を乱れ打ちする。一見不格好だが、その判断は間違ってない。
マジックバリアは私を球状に囲んでいる。普通の学生に前後上下左右全ての方向から身を守れるような完璧な障壁を展開することは不可能だ。
必ずいずれかの方向に対する防御力が甘くなってしまう。だから、普通ならその“ほつれ”を探してそこだけを一点集中で攻撃すればいいのだが、生憎、私は普通の学生ではない。
学生特有の魔力操作の拙さを膨大な魔力量で補っているのだ。つまり、全ての方向に全力の魔力注入を行い、無理矢理、強固な障壁を成立させている。
ライナーはそれに気付き、まずは様々な方向から断続的に攻撃を行い、私の集中を乱すことを選んだようだ。確かに、いくら私の魔力量が優れているとはいえ、様々な方向から同時に狙われれば集中が乱れ、どこかに“ほつれ”が生まれてくる。
案の定、私の丁度右手の辺りの障壁にヒビが入り始める。ライナーはそこを狙ってくる。
「ファイアアロー!」
ライナーが自身の決め技の1つ、ファイアアローを“ほつれ”に向かって放つ。ファイアボールが爆発力に特化した魔法とするなら、ファイアアローは貫通力に特化した、超強力な魔法だ。正しく、今の状況にぴったりな魔法だ。コンマ1秒の行動が生死を分ける戦闘において適切な判断を取り続けることは難しい。やはり、ライナーは強い。
だけど、私だってこんなもんじゃない。
ライナーの魔力が障壁に着弾する。
「何!?」
しかし、障壁は壊れない。それどころか“ほつれ”は無くなり、障壁は最初の力強さを取り戻している。
「マジックバレット!」
すかさず私は魔力で出来た弾丸をライナーに放つ。
「チィ!」
ライナーは身を翻し、避けようと動くが敢え無く弾丸は小指に着弾し、指先が吹き飛んだ。
「そこまで!」
エスメラルダ先生の声を受けて、私たちは構えを解く。一瞬遅れて拍手が辺りに鳴り響く。
どうやら、勝つことができたようだ。
私はポケットからハンカチを取り出し額の汗を拭った。
「ミザリー、最後、どうやって僕のファイアアローを受け止めたんだい?」
エスメラルダ先生から治療魔法を受けながら、ライナーが問いかけてくる。
「ああ、あれはね」
簡単なことだ。確かにファイアボールの乱れ打ちによってできた“ほつれ”を攻撃されれば障壁は簡単に砕け散る。
しかし、その“ほつれ”が意図的に作り出されたものならどうだろう。
私は敢えて一部だけ障壁の強度を下げていた。そうすれば予め“ほつれ”の位置、つまりライナーが攻撃してくる地点を予測することができる。後は障壁が割れたらきるように魔力を練っておけばいい。
「そんなことって……」
ライナーの顔が驚愕に染まる。ライナーの言いたいことは分かる。この戦術では、障壁の強度を少しでも間違えれば私はライナーの魔法で丸焦げになってしまう。
戦闘センスに乏しい私にそこまでの精密な魔力操作や状況判断ができるとは思えないのだろう。
「そう、今までの私だったらね。ライナーやクラスの皆んなと戦うために私だってちょっとは努力したのよ!」
私はクラス全員の戦闘における癖や特徴をノートに纏め、対策を練り続けた。特に、癖が少なく、突出した戦闘センスを持つライナーに勝つ方法を編み出すにはかなり長い時間を要した。
「そうか……心構えの時点で僕は負けていたんだね……完敗だよ、ミザリー」
ライナーが握手を求めてくる。先程の戦闘で弾け飛んだ小指はもう再生を終えているようだ。
ライナーの手を握ると、男の子らしくゴツゴツした感触が伝わってきて、思わず赤面してしまう。
「わ、私、ライナーには絶対負けたくなくて!いや!悪い意味じゃなくて!そ、そう!気になる子には負けちゃだめだって母さんが……って、何言ってるんだろう私!」
焦ってとんでもないことを口走ってしまった……。もうこれ告白したのと同じじゃん……。
「ありがとう!僕もミザリーが気になっていたよ!」
「え!?」
ライナーのまさかの一言に私は驚愕する。
「何を驚いているのさ!そうじゃないと戦闘訓練に誘うわけないだろう?ミザリーの魔力量には前々から一目置いてたのさ。それに加えて今日の戦い方!もう戦闘センスに乏しいなんて馬鹿にできないね。また是非戦っておくれよ!」
……ああ、気になっていたってそういうことか……。でも、私の気持ちがバレていなくて良かった……。
……でも、また戦ってくれるって言ってたし、このまま努力を続ければもっと仲良くなれるかもしれない。
うん、もっと頑張ろう!
なんとか自分の心をポジティブな方向に持っていくことにも成功し、戦闘訓練の授業は終わりを迎えた。
影はその瞬間も私を見ている。
◇◇◇
「ミザリー、そろそろ灯りを消すわよ!」
「はーい」
時刻は23時を回ったところ。
私たち家族はいつもキングサイズのベッドで川の字になって眠りにつく。
私は明日の授業で使う教科書を鞄に詰めると父さんと母さんが待つ布団の中に潜り込んだ。いつも通り真ん中は私だ。
「ミザリー、学校は楽しいか?」
父さんが問いかけてくる。
「うん、楽しいよ」
「そうか」
そこで会話が止まる。
話すのが苦手なら話しかけてこなければいいのに、沈黙も苦手だなんて相変わらず変な人だ。私はなんだかおかしくなって吹き出してしまう。
「どうしたの?」
母が訝しげに聞いてくる。
「別にー」
私はくすくすと笑いながらそれを受け流す。
あー、今日もいろんなことがあったな。ライナーに模擬戦を挑まれて、日頃の訓練のおかげもあってそれを打ち負かして。……ちょっぴり変なことも言っちゃたな……変な子だって思われていないといいけど……。
でも、こんなこといちいち気にしちゃいられないよね!
そんな暇があったらもっと努力しないと!勉強も戦闘訓練も、それに美容だって、ライナーの心を射止めるためにすべきことはまだまだたくさんある。
頑張れ!私!
さて、明日に備えてそろそろ寝よう。
そう思って瞼を閉じようとすると天井に何か黒い染みのようなものを見つけた。
……あれ、あんな染み、昨日まであったっけ。
まあいいや。
明日も早い。
もう寝よう。
再び瞼を閉じようとすると、布団の中で左手を誰かに握られる。
左を見ると父さんが大きないびきをかいて眠っていた。
父さんは寝ている時、たまにこうして無意識に私の手を握ってくる。
この年で、まだまだ甘えん坊らしい。
母さんも言ってた男の人はいつまでたっても女に甘えてばかりいるって。
ああ、全く男ってやつは。
本当に
本当に、気持ち悪い。
私ももう16になる。そもそも家族で一緒に寝ること自体おかしいのだ。でも口答えすると父さんに叱られるし、基本的に父さんのイエスマンである母さんからも渋い顔をされる。
友達に聞いても家族で毎日一緒に寝てる子なんていない。
……ああ。なんか最近、ちょっと楽しくないかも。
あーあ。
「死にたいなあ」
私は何気なくその言葉を口に出した。
……え?
待って、「死にたい」ってなんだ?
そもそも人間の「死」なんてものはこの世に存在しない。
“この世界”は500年前にできたばかり。その時代の老人たちも恐らく全員生きている。毎年、生まれてくる子供の数は極端に少なく、数千人にも満たない。
だからこそ、この世はとても平和で、美しい。
「死」が入り込む余地なんて無い。そもそも私は「死」を知らない。
だけど、今、私はたまらなく死にたかった。
口うるさい母も、気持ちの悪い父も、夜は家族揃って眠るという家訓も。
私の悩みなんて取るに足らないものだ。
そのくらいの不満、みんなが抱えているだろう。
だが、この毎日は永遠だ。
「死」が無い限り、永遠に続くだろう。
そして、その不満を打ち消してしまう程の「幸福」を私は知らない。
ライナー。彼は私の幸福になり得ない。彼は蓑だ。私の不幸を隠すための蓑。
彼を好きだと自分に言い聞かせることで恐るべき「永遠」から目を逸らす。
彼は私が彼を好きだということを知っている。私は、彼が知っているということを知っている。
そして私が知っているということを、彼は知らない。
つまりはその程度の男だということだ。
今日の彼のセリフ。僕もミザリーが気になっていたよ?
笑ってしまう。
鈍感な男を演じることで、他の女を見つけるまであわよくば私をキープするつもりでいるのだろう。自尊心を満たすためでもあるのかもしれない。
ほら、やっぱり死にたくなってくる。
そんなことで死にたくなる私はおかしく見えるだろうか。
変だろうか。
私にとって「死」は重くて軽い。
丁度、父親のように気安さと厳格さを併せ持っている。
私は、私の見せかけの幸福のために様々な準備を行ってきた。
しかし、私が畏怖し、敬愛する“あなた”の前では全て無意味だった。
天井の染み、いや「影」と目が合う。
父さんは好きだ。母さんも好きだ。ライナーだって、嫌いなわけではない。
だが、彼らとの「毎日」が「永遠」がたまらなく怖い。
絶望はしていない、だが、希望は無い。
恐らくこんなことを考えた人間は私が初めてだろう。普通の人間はそもそも「死」について考えることなどない。
だけど、私からしたらそっちの方が余程狂っている。この世は狂人の巣窟だ。
それならば、私は“あなた”を選ぶ。
確かに少し怖いけど
“あなたなら、私をライナーより、愛してくださるでしょう?”
天井から、「影」の塊がぼとり、ぼとりと落ちてきた。
それらは集まり、長い時間を掛けて白髪の美しい少年の形を作った。
一糸まとわぬその姿は天使のように可憐で、犯しがたい静謐さを持っていた。
「ああ、あなた……」
私は感涙し、右手を両手で包み込むように握る。
「ッ痛」
突然、彼の手を握る手に激しい痛みを覚える。
手を開くと、彼の右の手のひらには美しい装飾の施された銀のナイフが置かれていた。
「ああ、赦してくださるのですね」
私は恭しくナイフを受け取ると、それを自分の首筋に軽くあてる。
これで終わる。全てから解放される。
彼は何も言わず、ただ私を悲しそうな顔で見ていた。
「どうして、私をそんな顔で見るの?」
私の言葉に彼は一瞬、狼狽したように視線を左右させると、今度は私の目をじっと見て答えた。
“死ぬのは悲しいことだから”
私は驚いて目を丸くする。
「あはは、あなたがそれを言うのね。……でも、いいの。あなたの隣はとても落ち着くから。私は“生”が怖い。終わらない毎日が怖い。今は耐えられても、いつか必ず限界を迎える。それなら私は“あなた”を選ぶ」
私はナイフを持つ手を強く握りしめる。
さようなら、そしてこんにちは“死”よ。
“生”ではなく、“死”こそ永遠であれ。
こうして、私の人生は終わった。
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【後書き】
ここから死の概念そのものであり、主人公の「シロ」の冒険が始まります。励みになりますので、少しでも面白いと思ったらフォローや感想、評価をよろしくお願い致します。
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