第7話「綻び」
今日、俺とガウルは久しぶりにイリスの大通りを訪れていた。辺りには様々な屋台が立ち並び、それぞれの店の店主たちが声を張り上げて呼び込みを行っている。
この街にいると俺が“死”であるという事実がどこか他人事のように思えてくる。まるでこの街に、この世界に受け入れられているような、そんな錯覚を覚えてしまう。
「おい、シロ。何ぼうっとしてやがる。早く行こうぜ」
ガウルの声で我に帰る。
「ああ、行こう」
今日、俺たちはとある目的の為にこの街を訪れていた。
「あそこの雑貨屋だ」
ガウルが1つの店を指差す。
「いらっしゃい」
店を覗くと、人当たりの良さそうな老婆がこちらに微笑みかけてきた。
「店主、この店に新作の化粧品が入荷したと聞いたんだが、あるか?」
ガウルが問いかける。
「ああ、それなら丁度さっき売り切れてしまったよ。すまないねえ」
「マジかよ……」
俺たちの目的はアズール商会が新しく開発した化粧品の購入だった。貝殻に含まれる成分を原材料にした化粧品はこの世界では珍しく、巷では大変話題になっていた。それがこの小さな雑貨屋に卸されているという情報を耳にし、やって来たのだが、どうやら一足遅かったらしい。
「ガウル、諦めて帰ろう」
すると老婆が細い目をさらに細めて、こちらを睨んできた。
「坊や、せっかく来たんだ。ちょっとは見ていってくれてもいいんじゃないかい」
くっ、何か買えということか。優しそうに見えて、意外と抜け目が無い。
仕方なく店の中を見渡す。
大して高価な物は置いてはいないが、他の店ではあまり見たことない物が当たり前のように置かれていた。ガウルも物珍しそうにキョロキョロと辺りを物色している。
「これは何だ?」
ガウルが細い棒の束を指差す。
「これはトレントの亜種の枝を加工したものだね」
トレントとは木の姿をした魔物だ。炎の魔法を使えれば比較的簡単に狩ることができるため、初心者冒険者御用達の雑魚モンスターとして知られている。
「トレント亜種は通常種よりはるかに厄介でね、枝や葉から催眠作用のある毒ガスを放出するんだ。その性質を利用してお香に加工したものがそれだ。室内で焚けば心を落ち着かせたり、安眠を手助けする効果が期待できる」
「なるほど、落ち着きが無いガウルにはぴったりだな。1つ買っておくか」
「なんだとコラ」
「ほう。ずいぶん色んな種類の首飾りがあるんだな」
ガウルを無視して店主に言う。
「まあ一応うちの看板商品だからね」
青や赤は勿論、ピンクやグリーン、ゴールドまで、色とりどりの宝石が使われた首飾りが棚に並んでいた。
その中で最も眩い輝きを放つ赤い宝石の首飾りを俺は手に取った。
「それはアークライトの石だね。そこまで高いもんじゃない。石言葉は『恋』だね」
「石言葉?」
「まあ願掛けみたいなもんさ。そんなに深い意味は無いよ」
「そうか」
値札を見る。確かにそこまで根は張らない。俺の少ない給料でも十分に購入できる。たが、
「では、トレント亜種の枝を1束購入したい」
店主に言う。
「……その首飾りはいいのかい?気に入ったんだろう?」
「ああ、“今は”大丈夫だ」
「あー、なるほどね」
店主は意味深長な表情を浮かべて俺を見た。
ガウルはそんな店主の意図を計りかねているのか、困惑した様子で俺と店主の顔を見比べていた。
◇◇◇
その後も俺たちは休日に託けて様々な店を冷やかして回った。
途中で入った飯屋で軟派な男たちがガウルに絡んで来たが、彼女が一度睨み付けると蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
最近、娼館でのガウルの人気は急激に高まりつつある。
生活習慣などの見直しにより、彼女の健康的な美しさには益々磨きがかかっていた。
しかし、本当に重要なのはそこではない。
オーラとでも言うのだろうか、言葉では説明しようのない、女性の魅力そのものとも呼ぶべき、彼女の『根幹』が途方もないスピードで成長しつつあった。
そのせいか、街を歩いていても、俺と彼女の元に自然と視線が集まってくる。
時刻は18時、空には下弦の月。
「あー何だかんだ楽しめたな」
ガウルが中央公園のベンチに腰をかけながら言った。
「そうだな」
「この街に住み始めてそこそこ経つけど案外行ったことないとこもあるもんだな」
「ガウルはイリスの出身じゃないのか?」
「ああ。10数年前、母さんが幼い俺と弟を連れてこの街に移住してきたんだ。母さんは今この街にいないし、弟とは喧嘩別れしてそれきりだけどな」
「そうか……」
「ははっ。シロ、お前がそんな顔をすんなよ」
ガウルが俺の頭を撫でる。俺はどこかやるせないような気持ちでいた。
「こうしてお前を撫でていると弟のことを思い出すよ。種違いで見た目も性格も全く似ていなかったが、それでも大切に思ってた」
ガウルが懐かしむように目を細めた。
「ガウル」
「ん?」
小首を傾げるガウルの表情はいつもよりどこか優しげだった。
「お前に見せたいものがある」
俺は懐から先程、雑貨屋で見つけた赤い宝石の首飾りを取り出した。
「これは……」
ガウルが他の店に夢中になってる間に購入したものだ。
「さっき聞いてただろ?この宝石の石言葉は『恋』だ。だからこれはお前の物ではない。俺のだ」
俺は首飾りを自分の首にかけた。
「俺はお前の弟じゃない。お前を狙う1人の男だ。お前に恋をする者だ。この首飾りにかけて、お前への永遠の恋を誓おう」
次に俺は銀色の、しかし、どこか素朴な輝きを放つ宝石が使われた首飾りを懐から取り出し、ガウルの首に優しくかけた。
「これはクェート鉱石の首飾りだ。石言葉は『無垢』。特別な意味を持たない代わり、持ち主のどんな想いも受け入れる。どんな感情も込めることができる」
ガウルは黙って俺の話を聞いている。
「ガウル、俺はいつか、いつか必ずお前を振り向かせ、この石に俺への『恋』を込めさせてみせる。俺の持つこの赤い宝石の首飾りと同じ意味を持たせてみせるよ」
ガウルの顔が月の光に照らされる。そこでやっと気付いた。
笑っていると思っていた。しかし、違った。
彼女の瞳は濡れていた。
喜びとも、悲しみとも付かない表情で俺を見つめていた。
彼女は今、何を思っているのだろう。
ギュッと胸が苦しくなる。
俺はローゼを手に入れる為、ガウルを利用しようとした。
今もその気持ちは変わらない。
だが、この瞬間だけでもいい。
俺の言葉が彼女の心に“響かなかったら”どれだけ、どれだけいいだろうか。
どれだけ救われるだろうか。
俺は卑しくもそれを願った。
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