第17話「金蛇」
廃墟から姿を現した新手が俺に切り掛かってきた。速さはそれ程でもない。俺は余裕を持ってナイフの鍔でそれを受け止めようとする。しかし、突然、奴の剣筋がブレた。
「!?」
血飛沫が舞う。
肩口を切り裂かれた。俺は鋭い痛みに傷口を抑えながら、後退する。
「あれー?首を狙ったつもりだったんだけどなー。お前すばしっこいなー。やるなー」
奴は語尾を間延びさせた様な独特な喋り方でそう言った。
——こいつは危険だ。一体どんな技術を使ったのかは分からないが、こいつは俺の動きを完全に読み、傷を負わせることに成功した。
何が起きた……?剣術……?いや、何かの魔法か……?全く分からない。このまま戦っては確実に負ける。俺はアレックスの方に目を向ける。彼は今、ウォーレン、エリナと共に複数の賊を相手に大立ち回りを演じていた。俺には力があっても戦闘経験がまるで足りない。身体能力でゴリ押しているだけで動きは素人同然だ。アレックスならばこいつの相手ができるのではないかと期待したが、どうやらそれどころではないらしい。
「余所見かー?なんか妬けちゃうなー」
奴が長い舌を垂らし、不満を漏らした。
「俺はなー、『青鬼』のマタルゴっつうんだー。この喋り方かー?これは気にしないでくれー。俺はなー。舌が長いからなー。言葉を切るのが苦手でなー。こうして喋ると楽なんだー」
聞いてもないのにマタルゴが好き勝手に喋り始める。
というか、こいつ、今『青鬼』と言ったか……?『青鬼』と言えば、今回俺たちが討伐を依頼された『大鼠』の元締めとされている犯罪組織だ。
「お前は『青鬼』の一員なのか?だとしたら、なぜここにいる?」
俺は問いかける。こいつは戦闘中でも気にせずペラペラと喋るタイプだ。まずは時間を稼ぎ、こいつの攻略方法を考える。そして、できれば『大鼠』や『青鬼』に関する情報をここで探っておきたい。
「なんだー?お前、『青鬼』を知っているのかー?」
「……ああ」
「まあ、有名だもんなー。俺はなー、『青鬼』の“
「金蛇……?」
「『青鬼』ってのはなー、本来はなー、組織の名前じゃないんだぜー。『青鬼』は親分の渾名、そして親分はいくつかの動物たちを使役しているんだー。『大鼠』もその1つだー。他にも動物の名を冠する組織は数組あるがー、『青鬼』には個人でその称号を手にしている幹部がいるんだー。ただ1人で組織と同等の権力と実力を持ち、動物の名を冠することを許された存在ー
つまり俺だなー」
マタルゴの姿が消える。気付いた時にはもう奴の刀は眼前に迫っていた。
「くっ!」
俺は両手のナイフを強く握り込み、刀を防ごうと構えた。再び、奴の剣筋がブレる。
またこれだ!
俺は防御を諦め、身を翻す。しかし、避けきれない。今度は逃げ遅れた左腕を切り裂かれる。深手には至らなかったが、このままではまずい。失血により、少しずつ俺の体は動かなくなっていくだろう。
「お前本当に速いなー。ここまでやる奴は久しぶりだなー。ここには用があってたまたま来ていただけだけど、お前みたいな奴とやれるなんて運が良かったなー」
感情の無い声色でマタルゴが言う。
「クソッ!」
思わず吐き捨てる。俺はこの世界の住民と違って不死身ではない。“死”は死から最も近い存在。高い自然治癒力は皆と同じく持ち合わせてはいるが、このまま断続的に攻撃されては、いつか殺されてしまう。
……そんなこと、あってたまるか。
奥の手を隠している場合ではない。
『ミザリー』
俺は再び、あの罪深く、愛らしい少女の名前を呼んだ。少女と共に、俺の背後にどす黒い魔法陣が6つほど出現する。
マタルゴの顔から余裕の色が消えた。
「アースウォール!!」
奴は瞬時に地面に手を突き、魔力を流し込んだ。奴の魔力に応えるように、巨大な岩の壁が地面から迫り上がってくる。
「いけ」
俺は無数の銀のナイフを岩壁を目掛けて放った。轟音を響かせながら次々とナイフが着弾する。
しかし、アースウォールは物理攻撃に対して無類の強さを誇る鉄壁の障壁魔法だ。
そう簡単には崩れない。
「ちィ」
奥の手も失敗か。俺は内心で毒付いた。しかも、アースウォールで対処可能だと奴に知られてしまった。きっともうこの攻撃は通用しない。
「止めろ」
俺はミザリーに指示を出し、ナイフの発射をやめさせた。その瞬間、壁裏から1つの影が躍り出た。
まずい!
マタルゴは雷のような複雑な機動を描いて俺に接近すると、曲刀を下段に構え、切り上げるような動きを見せた。
——殺される。直感する。
脳に電気のような衝撃が走る。
殺される恐怖、全てが終わるという安堵感、
……そして後悔。
様々な感情が綯い交ぜになり、脳から、神経を通って俺の全身を駆け巡る。
その衝撃が、想いが、俺の体のとある部分を強制的に動かした。
足だ。
特に理由があった訳ではない。
ただ、たまたま、言うことをきいたのが足だけだった。
もしかしたら、「死から逃げろ」という脳からの命令に、体が最大限に応えた結果が、足を動かすことだったのかも知れない。
だが、俺は足に、後ろに逃げることを許すつもりはなかった。
直感に従って、俺は無理矢理、右足を前へと動かした。
マタルゴの右足を、俺の右足が踏み抜く。
「ぐあぁッ」
マタルゴの口から苦悶の声が漏れる。
だが、奴はすぐに曲刀を構え直し、下段から俺の腹を狙って切り上げてきた。
剣筋は——
ブレない!
奴の一撃は速さだけなら大したことはない。向かってくる方向が分かれば防ぐのはそう難しくはなかった。
俺は両手のナイフをクロスさせ、下段からの一撃を受け止めた。
「クソがぁ!!」
マタルゴは罵声と共に小刀を腰から抜き放ち、俺の顔面を目掛けて突きを放ってくる。
やはりブレない!
俺は半身になってそれを躱すと奴の首筋にナイフを添えた。
マタルゴの動きがぴたりと止まる。
「部下に投降するように言え」
俺の言葉にマタルゴは嘲笑うように口を歪ませると、再び刀を強く握り込み——
「俺は死だ」
俺は耳元でそう囁いた。
また、奴が動きを止める。
「聞いたことくらいあるだろう。今、教会が敵と定める唯一の相手、それが俺だ。このままナイフで頸動脈を切れば、お前はこの世から完全に消え失せる。当たり前だが、治療魔法でも治らない。お前は本当の意味で“独り”になるのだ。一か八かで戦ってみるか?だが、それもお勧めしない。お前の戦い方は理解した。あの剣のブレ。最初、あれはお前の魔法か、剣の技術に秘密があるのではないかと推察したが、それは半分間違いだったな。あれは歩法だろう?」
「ッ」
「小さなフェイント、ステップを相手に気取られないよう、無数に組み合わせながら、攻撃を繰り出す。それだけではないな。お前は腕のみをその歩法に“のせなかった”。攻撃の瞬間、腕の動きを歩法から切り離し、完全に独立させることで、歩法に慣れた敵の目を欺く。特殊な歩法とわざとリズム感をずらした腕の動き、それがお前の技の正体だ」
マタルゴは黙って俺の話に耳を傾けている。
「俺がお前の足を踏み抜き、動きを制限させることができなかったら、絶対に気付くことができなかっただろう。恐ろしいまでに研ぎ澄まされた技術とそれを可能にする体の柔軟性。正に蛇の名に相応しい。でも、もうそれも見切った。お前は俺に勝てない。もう一度言う、投降しろ」
マタルゴは観念したように深く息を吐いた。
「お前ら!もういい!剣を捨てろ!」
アレックスたちと激戦を繰り広げていた賊共は、驚いたようにこちらに目を向けるが、マタルゴの首筋にナイフを当てる俺を見て、瞬時に状況を理解したようだ。諦めたようにそれぞれの武器を手放した。
「これでいいだろー?ナイフを収めてくれよー」
「そうはいかない。まずはウォーレンに『告解』を使わせねば……」
『告解』が成功すればこの依頼は解決したも同然だ。武器を手放した賊共には、しっかりと効果を発揮してくれることだろう。
俺はウォーレンに視線をやろうとして——
「ッ!?」
右足に鋭い痛みが走る。
見ると、俺の右足はマタルゴの右足に踏み抜かれていた。
「意趣返しって知ってるかー?」
マタルゴは柔らかい体を滑らせるようにして、俺の拘束から抜け出した。
クソ!とんでもない油断だ!やはり俺には戦闘経験も覚悟も圧倒的に足りてない!
俺は浮かんだ後悔を振り払うように再びナイフを振り上げるが、奴の刀は既に俺のすぐ側まで迫っていた。
「な!?」
今度は剣筋だけではなく、奴の体全体が大きくブレた。
なんだこれは!?こんなの避けられるはずがない!どうしてこんな物を最後まで隠してやがったんだ!?
マタルゴの瞳が俺の感情を見抜いたように怪しく光った。
「奥の手ってのは最後に使うから奥の手なのさー」
奴の刀は一瞬にして俺の体に到達した。
俺は自分の目の前で、まるで鯨の潮吹きのように血飛沫が舞うのを、何処か他人事のように見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます