第19話「死の恐怖」
マタルゴはグラスの中にコインを1枚落とすと、一息に中の葡萄酒を呷った。
「……ふぅ。セーフみたいだなぁー」
すぐに奴の手下がやって来て、空のグラスに葡萄酒を注ぐ。
マタルゴの頬はどこか興奮したように赤くなっている。
「ウラール鉱石とアルコールが結びついた時に生まれる毒は即効性があってなー。一口飲めば即あの世行きだぁー。解毒魔法をかければ助かるかも、なんて甘い考えを持っているならさっさと捨てちまいなー」
マタルゴは顎で「お前の番だ」と促してきた。
「……」
俺はコインを山から1枚取り、グラスの中に落とした。葡萄酒を注意深く観察する。……見た目上は特に変化は無さそうだ。
「無駄だぜー?この毒は色が変わる事もなければ匂いだって変わらねぇ。グビッといっちまいな」
「黙ってろ」
葡萄酒を口に含み、一気に飲み込む。マタルゴが囃し立てるように口笛を鳴らした。
「……なんともないな」
「セーフだなぁー。まあ、あんまり早く終わっても面白くねぇー」
テーブルのコインに目を向ける。正確には分からないが、50枚はあるのではないだろうか。
「次は俺だなぁー」
マタルゴがコインの山から無造作に1枚拾い上げる。
「おい、マタルゴ」
「んぁー?なんだよー?今さらやめようって言ったって無駄だぜー?」
「そうじゃない。お前、今まで生きてきて嫌なことはあったか?」
「あぁ……?」
マタルゴのにやけ面が一瞬だけ崩れる。
「嫌なことだ。小さなことでもいい。今までの人生で嫌なことはあったか?」
「……そんなこと聞いてどうする」
「いいから答えろ」
有無を言わせぬ俺の雰囲気に、観念したようにマタルゴは語り出した。
「嫌なことだろ?正直、あんまり思いつかねえなぁー。俺は生まれてもう72になるー。若ぇだろー?魔力を鍛えれば外見もある程度は操作できるからなぁー。……俺は生まれた時から魔力の扱いが上手かった。魔力の扱いが上手けりゃ身体能力も上がる。そうすりゃ強い奴と戦う機会ができて剣の技量も上がる。戦いに関しちゃ俺は負けなしだったぁー」
俺は黙って続きを促した。
「気に入らないことがありゃあ力でなんとかしてきたぁー。必要な物なんて己の腕と剣だけだったぁー。お前が言う『嫌なこと』なんてのは弱者の言い訳みたいなもんだぁー。強者は常に自らの剣で道を切り開く。自分の不幸を他人や環境のせいにしてる奴は一生雑魚のままなんだよー」
「なるほど、それがお前の主張か。ではいいことはあったか?」
「……なに?」
「いいことはあったかと聞いているんだ。生まれてきてよかった、そんな風に思えるほどのいいことが、お前にはあったのか?」
「……ああ、あったさ、弱者を嬲ることだなぁー。気に入らない者を蹴落とし、そいつの誇りを汚すことで自らの強さを確認し、悦に浸る。強い俺だからこそできることだぁー。この瞬間程、生まれてきて良かったと思う瞬間は無いなぁー」
マタルゴは握りしめていたコインをグラスの中に静かに落とした。
「お前の番だぜー?」
俺はマタルゴの言葉を頭の中で反芻していた。
こいつと話し始めた時からずっと感じていた“違和感”のような物の正体がやっと掴めた気がする。
この男は
この男は……“浅い”のだ。
俺はコインの山からその半数を両手で掬い上げ、グラスの中に落とした。大きなグラスから、僅かに葡萄酒が溢れる。
「……は?お前、何をやっているんだ……?」
マタルゴの困惑する声も気にも留めず、俺はグラスの中身を飲み干す。
「マタルゴ、お前は空っぽだ」
「……何?」
「己の才能にかまけて、何かしているようで何もしていない。何か考えているようで何も考えていない。そんな無意味な日々。分かるか?……分からないよな。なら、今から俺がお前に教えてやるよ。お前の人生の終わりについて」
俺はアルコールでクラクラする頭を抑えながらマタルゴに言った。
◇◇◇
俺——マタルゴに相対する白い美しい少年が笑った。
体中に悪寒が掛け巡る。何か、恐ろしいものを呼び覚ましてしまったような、そんな感覚。
「さあ、お前の番だぜ、マタルゴ」
「……クソが」
——奴の奇行により、コインの数は半分にまで減っている。その数、恐らく20数枚。
……まだ大丈夫。
まだ大丈夫だ……
自分に言い聞かせるようにして、俺はコイン1枚グラスに落とし、一気に呷った。
……セーフ。
その様子を見ていた少年はどこか楽しげに微笑んだ。その姿は、何も知らなければ、まるで神が遣わした天使のように見える。
「俺の番だ」
少年はその真っ白な両手を白鳥の両翼のように広げ、こちらに向けた。
……まさか、こいつ!?
少年はまたしても、残るコインの半数を掬い上げ、グラスの中に落としてみせた。グラスの中はもうコインでいっぱいだ。
なんでも無いような顔で、少年は中を飲み干す。グラスの中のコインがジャランと音を立てた。
少年は顔色1つ変えない。
こいつ、イカれてるのか……?
「お前の番だ、マタルゴ」
首筋から背中にかけて、ゾッとするような怖気が駆け巡る。
何だ?
何がどうなってやがる?
何かトリックを使った……?
もしかして、こいつ、この中から旧金貨を見分ける方法を知っているのか?
それなら納得がいく。
そうに違いない。
「運だ」
こちらの考えを見透かしたように少年が呟いた。
「あ……?」
「旧金貨を見分ける方法なんて俺は知らない。俺が今死んでいないのは完全に運によるものだ。俺は、死ぬのが怖くないなんて言わない。むしろ怖い。だからこそ、お前の命を懸けた勝負に俺は乗ることにした。
さあ、早くコインを選べ」
やばい。
こいつはやばい。
俺は今まで自分の力でどんな強敵も打ち倒してきた。こいつだって純粋な戦闘力なら俺の足元にも及ばない筈だ。
それなのに、俺は今、こいつに恐怖している。
……殺すか。
少し遊びが過ぎた。
剣を抜き、奴の首を刎ねる。
それだけで、俺はこの恐怖から解放される。
そうだ。
そうしよう。
最初からこんな奴の相手をする必要など無かったのだ。
俺は腰の曲刀に手を翳す。
「嫌なことが無かった、そう言ったな、マタルゴ」
少年の言葉にピタリと体の動きが止まる。
「だから浅いのだ。お前は」
「なんだと……?」
少年は唇に僅かに付着した葡萄酒を舌で舐め取り、語り出す。その様子は妙に艶かしく、見る者を魅了する色香を放っていた。
「お前は弱者を踏みつけ、迫り来る“不快”から逃げ続けた。本当の痛みを知る機会を得られなかった。そして、お前は本当の喜びも知らない。“いいこと”とは弱者を嬲ること、お前はそう言ったな。だけど違う。お前は弱者を嬲ることで不快なこと、嫌なことを遠ざけているだけだ。つまり、お前の言う“いいこと”とは“嫌なことが起こらないこと”に過ぎない。分かるか?お前の人生には『嫌なこと』も『いいこと』も1つも起こってないんだよ」
「クソが!」
俺はコインを1枚グラスに入れ、葡萄酒を飲み干す。
……無事だ。
……クソッ!
こんな安い挑発に乗るなんて、どうかしているッ!
はぁ。はぁ。はぁ。
何処かで微かに荒い息の音が聞こえる。
猛暑の中、獣が体の中の熱を放出するために行うような、そんな荒々しい呼吸。
はぁ、はぁ、はぁ。
段々とその音が俺に近付いてきてるような気がする。
「死ぬのが怖くないんじゃなかったのか?今のお前の顔は恐怖で真っ青だぞ。マタルゴ」
はぁ、はぁ、はぁ。
ああ……。
これは……俺の吐息か……。
少年は残る10枚のコインの中から9枚を掬い上げ、グラスの中に入れた。
はぁ、はぁ、はぁ。はぁ。はぁ。
はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。
意識が、少しずつ薄れていくような錯覚を覚える。
「マタルゴ、お前は本能の痛みも知らなければ、喜びも知らない。そんな奴が“死”の恐怖から逃れられる訳がないだろう。様々な苦しみや希望を喰らい、人生に満足し、死んでいく、それが俺の考える正しい人間だ。しかし、それでも人は“死”を恐れ、最期の瞬間まで「死にたくない」と泣き叫ぶ。それなのに、お前が、お前のような空っぽな人間がどうしてその恐怖に耐えられる?どうして満足して死ねると思った?お前は無知なガキだ。死を恐れていなかった訳じゃない。痛みも喜びも知らず、それ故に自らの矮小さを見誤った哀れなガキだ」
はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。
少年の声が、どこか遠くに感じる。俺の体はガクガクと震え、最早、自分がどこにいるかも曖昧になっていく。
少年は一息にグラスを呷る。
「さあ、次はお前の番だ」
少年が残る1枚のコインを俺のグラスに落とした。
はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。
「飲め」
「ああ、あぁー!死神様、俺はぁ!!」
「早く飲め」
もう恐怖と呼ぶのも生ぬるい、負の感情の塊が、俺の脳を穿つ。
涙が、嗚咽が決壊したように溢れ出す。
ああ!ああ!
死にたくない!死にたくない!
死にたく、ない……
瞬間、俺の意識は闇に落ちた
死神が生きる日々 もうしばらくで川 @moushibaraku_
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