第3話「月」

 次の日から、俺は行動を開始した。


 ゴレムを殺害した以上、もうスラムにはいられない。それに今の俺は力も弱く、未熟だ。


 まずは拠点を手に入れ、力を蓄える必要がある。


 あとは金だ。飯を食うにも、服を買うにも金がいる。教会のゴミみたいな炊き出しはもう勘弁だ。

 

 拠点と金の確保、その両方を達成するには、どこか住み込みで働ける場所で雇ってもらうのが望ましい。


 腹の傷は起きたら治っていた。不死身とまではいかないが、この世界の人々が持つ回復力の高さは、俺も同様に持ち合わせているらしい。


 俺はスラムを抜け出した。


 ここイリスの街は魔物から人々を守るため、城壁に囲まれており、区画整理された街並みは派手さこそ無いが、人々が不自由なく暮らしていけるだけの設備がきちんと整っているように見える。


 大通りには様々な屋台が立ち並び、店主が声を張り上げて競うように呼び込みを行っている。


 時折、けたたましい音と共に竜車が通り過ぎる。この世界では馬よりも遥かに頑丈で賢い地竜に積荷を引かせるのが普通なようだ。


 どこもかしこも人、人、人。


 その誰もが自分の人生を精一杯生きている。

 

 とすれば自然と街が発する音の総量も大きくなるというものだ。


 騒がしいのは苦手だが、それら全てが人々の営みによる結果だと考えればそこまで不快ではない。


 俺は人々の間を縫うように歩いていく。


 衛兵に呼び止められることこそ無いが、ボロ布を纏っただけの今の格好はこの街では酷く目立つ。


 なんとか早く雇ってくれる場所を探さなくては。


◇◇◇


 状況は芳しくない。


 酒場、八百屋、鍛冶屋、飯屋、様々な場所を訪ねて回ったが、俺を雇おうというところは1つも無かった。

 

 なんでもしますと土下座でもすれば何とかなるのではないかと踏んでいたが、どうやら見通しが甘かったらしい。迷惑そうに追い払われるだけだ。


 既に空は暗くなり初め、月が顔を出している。


 今さらスラムに帰るわけにもいかず、途方に暮れ歩いていると、通りの奥の方が女性たちの声で賑わっていることに気付いた。


 そこは色街だった。


 艶やかな格好をした魅力的な女たちが言葉巧みに男を誘惑し、店の中に案内する。


「なるほど。ここがそうか」


 知識としては知っているが、訪れたことは勿論無かった。


 俺の容姿はどう見ても10かそこらの子供だし、こんなところにいてはそれこそ呼び止められてしまうかも知れない。


 踵を返そうとするが、何か予感めいたものを感じ、とある建物に目を向けた。


 そこは煌びやかなの建造物の中でも一際強い輝きを放つ、豪奢な娼館だった。


 一見して、大富豪や貴族が訪れるような、俺には一生縁がないような高級店だと分かる。


 俺の目はその店のとある一室の窓の中に吸い寄せられていた。


 そこにいたのは魔性。


 男なら年齢を問わず魅了されてしまうような、眩く、しかし妖しい輝きを放つ女だった。


 長い黒髪にゾッとするほど白い肌。狐のような細い瞳に薄い唇。起伏に富んだ体は髪色と同じ漆黒のドレスに着飾られている。


 彼女は月を見ていた。


 泣いている。


 そう思った。


 月とは得てしてそういうものだ。見ているだけで、その儚い輝きと自分を重ねて物悲しい気持ちにさせられる。


 しかし、彼女は少し違った。


 彼女は月に慰められているのではない、月を慰めているのだ。


 だから彼女は泣いている。


 寄り添うように、お前は1人じゃないと優しく諭す母親のように、泣いているのだ。


 俺はしばらくその様子に見惚れていた。


 この世にこれ程、美しい光景があるだろうか。


 男は、女の涙を拭うために生まれてきたのではないだろうか。そんな気さえしてくる。


 その時、女がふと俺に気付いた。


 2人の間に沈黙が流れる。


 彼女はその端正な顔をみるみる内に強張らせると、乱暴に窓を閉めて部屋の中に引っ込んでしまった。


 彼女の瞳には明確な嫌悪の色があった。


 見窄らしく、不潔なスラムの子供に向けるにふさわしい目だ。


 面白い。


 俺は”死”だ。


 その性質は酷く粘着的。


 自分の気に入った者を文字通り死の淵まで追いかける。


 俺は彼女を殺すことに決めた。


◇◇◇


 俺は街を流れる河川に飛び込み、顔や体に付着した泥や汚れを落とした。


 あまり目立ちなくは無かったが、それももういい。


 目的ができたのだ。


 これからのことを思うと楽しくて仕方がない。


 月が辺りを照らす中、俺は水と戯れるように泳いで回った。


 ああ、どうしてこの世はこんなに素晴らしい物で満ちているのだろう。


 ああ、どうして俺はそれを強く壊したいと思ってしまうのだろう。

 

◇◇◇


 その日、イリスの歓楽街で随一の高級店『赤い月』を1人の少年が訪れた。


「下男としてここで働かせてください」


 齢10にも満たないであろう彼の一言は本来ならば一笑に付す類のものであるが、あろうことか、『赤い月』はこれを受け入れた。


 少年はあまりにも、そう、あまりにも美しかった。


 まるで神が寝食を忘れて彫り上げたかのような鼻梁に、国宝級の輝きを放つ赤い瞳。


 極め付けは白亜の髪だ。高級な絹のようにきめ細かく、滑らかである。


 『赤い月』の店主、ザバスは男色家ではない。しかし、少年の輝きに完全に魅入られてしまった。高級な調度品のように、ただ側に置きたいと思ってしまった。


 客室でザバスが少年に仕事の説明をするのを娼婦たちが寄ってたかって見物している。


 普段は男を魅了する側の娼婦たちも、少年のあどけなさの残る、しかし、どこか淫靡な魅力には逆らえなかった。


「何の騒ぎだい」


 そこに店一番の娼婦、ローゼが通りかかる。


「ああ、ローゼ、いいところに来た。この子はシロ。今日から下男としてここで住み込みで働くことになる」


 ザバスが頬を紅潮させて言う。


「……ふん」


 ローゼは少年の顔をジロリと見つめると、興味が無さそうに部屋から出て行ってしまう。


「全くあいつは。シロ、気を悪くしないでくれ。シロ……?」


 ザバスの声は既に届いてなかった。少年の頭には先程のローゼと呼ばれた娼婦のことだけがある。


ーーやはり美しい


 やはり欲しい。


 俺は彼女を”死”として魅了し、籠絡する。


 俺と共にありたいと、そう思わせる。


 これは”勧誘”だ。


 人を殺すとはそういうことだ。



 赤い月を隠すように、暗雲が立ち込めようとしていた。

 

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