第8話〈駅前選挙演説〉

「駅のあたりがなんか騒がしくない?」


 藤太が呟くと、彼岸が答えた。


「選挙演説でしょ。都知事選が近いじゃない」


 彼女の言う通りであった。人通りの多い駅前に、二つの選挙カーが停まって候補者が演説を行っている。それに耳を傾ける支持者の集まりが道を狭め、通行人によるちょっとした渋滞ができていた。


 二つの異なる政党が並んでいる。よくよく聞いてみると、それぞれの主張は完全に真逆の内容であった。


 片方の政党、仮にA党とするが、そちらは現在の与党に当たる、歴史ある大きな党である。支持者は中年から高齢者が多く見られ、全体的に年齢層が高く感じられる。演説の内容を大まかにまとめると、自殺者増加や、人命の軽視による人口減少への危機感を煽る内容、そして、それらへの対策を打ち出し、人口減少を止めるといったことをマニュフェストとして掲げていた。


 対するもう片方の政党、B党と呼ぶが、こちらは最近できたばかりの比較的新しい党であり、そのメンバーもいわゆる政治家のみならず、インフルエンサーや芸能人を含む多種多様な職種で構成されている。支持者の年齢も20代後半から30代といった感じで若者が多く見られる。演説で語っている内容はと言うと、誰でも自由に『自死』という手段を選べる世の中を作るといったもので、具体的には『自ら命を断つ自由』を国民の基本的人権に加えること、苦痛無く死ねる安楽死薬の薬局店舗での販売を許可すること、などをマニュフェストとしていた。


 互いに正反対の主張を行う対立陣営同士。故に両者の間には緊張感が漂っており、それぞれの支持者の間にもどこか不穏な空気が漂っていた。


 こんなとこ、さっさと離れるべきだなー。


 そう思った藤太だが、道が人で詰まっているために思ったように進めなかった。ふと横を見ると、彼岸が帽子を深く被り、下を向いていた。心なしか、その体は少し震えている。


「おーいおい、どうした?」


 藤太の問いに、彼岸は震え声で答えた。


「あれ、草葉家の関係者よ。分家筋の……」


 そう言って指したのは、B党の選挙カー上で熱く演説を行う候補者。まだ若く、30代中盤ほどに見える。その顔にどこか見覚えがある気がして、藤太はしばし凝視した。


「あの人、前なんかやらかしてニュースに出てなかった?」


「ええ。草葉くさば陰尋かげひろ。もともと国会議員だったけど、霊盲の人に対する差別発言が度々問題視されて、議員の席や所属してた党から追い出されたのよ。それから、今はあの政党に移籍して都知事選に立候補してるってわけ」


 彼岸が怯える理由が理解できた。草葉家に嫁ぐはずの彼女が、男と二人で出かけている姿を草葉家の人間に見られてしまえば大問題となってしまう。


「そんじゃあ、さっさと離れないとね」


「そうしたいけど、動けないじゃない」


 いつのまにか、前も後ろも人で溢れ、簡単に抜け出せる状況では無くなっていた。仕方なく、彼岸をそっと自分の背後に隠しつつ、藤太はB党の、草葉陰尋の演説に耳を傾けていた。しばらくして、陰尋は何やら選挙カー上の、誰もいない空間に向けて話し始めた。


「霊を車の上に立たせて、演説させてる……」


 彼岸が小声で言った。


「え?なんで?」


「応援よ。霊達の主張と、彼の主義が一致してるから」


 草葉陰尋の主義、すなわち自殺の自由を国に認めさせること。


「霊の中には、死んだ方が快適で幸せだから、早く死んだほうが良いよって誘ってくるやつも多いのよ。おそらく善意なんでしょうけど」


 そして実際にその誘いに乗ってしまう者が後を絶たない。故に人類は減少の一途を辿っているのだ。


 藤太はポケットから飲むヨーグルトを取り出してストローをパックに刺した。


「にしても分からないんだけどさー」


ストローを咥えつつ、藤太は聞く。


「霊にそんなこと勧められたからって、はい分かりましたって死んじまうってのが、理解できないんだよね。そんなに魅力的な誘い方をしてくるのん?」


 藤太の疑問に対し、彼岸はしばらく黙って考えた後に、一つの例を出した。


清水きよみずくん、猫になりたいって思ったことある?」


「え?……あー、まあ、あるかも」


「それと同じ。普段、のんびり気ままに暮らしてる猫たちが、忙しく苦難に揉まれながら毎日を過ごす私達に対して、「君も猫になりなよ。楽しいよ」って声をかけてくる。それと同じ感じなのよ」


 なるほど、藤太はなんとなく理解した。見たことはないが、霊というものは自由気まま、のんびり穏やかに漂っているという。心が疲れて限界という時に、その誘いに乗ってしまう可能性があるということも分かる。


 分かるが……それでも、やはり藤太は自殺という行為を認められなかった。それで父親を失った身としては。


 拍手が湧き起こった。B党の選挙カー上で何やら語っていたらしい霊の話がどうやら終わったようであった。よほど感動的なことを言ったのだろうか、支持者からは賞賛の声が上がっていた。


 それらの拍手や、声援がちょうど収まった直後、一瞬しんと静まり返った瞬間に、藤太の前に並んでいた中年の男がぼやくように呟いた。


「馬鹿馬鹿しい。そんな言葉に踊らされるから、人口減少は止まらないんだ」


 その一言は、発した本人も予期せぬほどに周囲の耳に届いたらしい。B党の支持者と思われる何人かの若者達が、その男を取り囲んだ。


「おい、今の素晴らしい演説に何か文句があるのか⁈」


「俺たちの仲間に暴言をはいたな?許せない!謝罪を要求する!」


「俺たちは一方的な暴言や中傷には屈しない!謝罪しろ。頭を下げて、謝れ!」


 中年男性を取り囲んで詰問する若者達。男性は強気に何か言い返そうとするが、若者達の怒気に押されて声にならない。何もできずに一方的に罵倒されるその様を見て、流石に見るに堪えなくなった藤太は、おずおずと両者の間に割って入った。


「あのー……」


「あ⁈」


 若者の一人が藤太を睨む。藤太はため息を吐いてから、言葉を続けた。


「そーんな、一人に対して囲んで暴言とか……言わなくても良いじゃないっすか……ねェ、落ち着いて、落ち着いて。耳が痛くなるんで、もっと静かに平和に話し合いましょー……なんて……ははっ」


「清水くん⁈」


 藤太の行動に、彼岸が驚きの声を上げる。若者達の視線が中年男性から外れて藤太へと移った。


「なんだ?有権者でもない子供は引っ込んでろ!」


 B党支持者の一人が藤太を怒鳴りつけた。


「確かに……」


 藤太はストローを咥え、ヨーグルトをチューっと吸った。


「でもまぁー……その、選挙権持ってたとしてもあなた達には投票しないと思うんで……同じことかなぁ……」


「なんだと?」


 藤太の態度が、どうも気に入らなかったらしく、若者の一人が顔を顰めて大声を上げた。


「だいたい、お前も霊の皆さんの演説を真面目に聞いていなかっただろ⁈そんな精神じゃ、将来碌な大人にならないぞ!」


「いやあ、聞いてなかったわけじゃないんすよね——」


 藤太はストローから口を離し、ため息を吐く。


「まあ、聞こえてはないんですけど、意図して聞かなかったってわけじゃなくて、その、聞きたくても聞けないっていう感じなもんで、ねェ……」


 頭を掻きつつ言う。若者達は少しの間訝しげに藤太を見ていたが、やがて彼の言葉の意味に気づいたらしく、表情を変えた。


「まさかお前、霊盲か?」


それはまるで、別の生き物を見るような、哀れみと侮蔑とが混ざったような目で藤太を見下ろした。霊盲の人間に対する、彼らの感情がこもった視線であった。


遠くからこの騒ぎに気づいたらしい草葉陰尋が、選挙カーを降りた。どうやらこちらへ向かってくるらしい。それに気づいた彼岸は、藤太の手を引いた。


「行くわよ!」


 そう言って、かなり強引に人混みを押し除けて、無理やりにその場を脱すると、そのまま二人は逃げるように走り去った。


「バカじゃないの?なんであんな、人目を引くようなことするのよ?」


 駅前の混雑から離れた路地裏の影で、息を切らしながら、彼岸が言う。


「いや、ごめんて。でもさ、放っとくのもまた違うじゃない」


 息を整えながら藤太は答えた。


「……けど、まー軽率な行動だったよね。実際、俺なんもできなかったし」


 自嘲気味に笑う藤太を見て、彼岸は少しバツの悪そうな顔をした後、一言呟いた。


「……勇敢だった」


「え?」


「結果はどうあれ、あの状況で助け舟を出そうと動けるのは……その、かっこいい、と思う」


 しばし二人は無言で立ち尽くした。彼岸結衣が自分のことを褒めた。藤太にとってそれは青天の霹靂であった。


「あの——」


 何か言おうと口を開く藤太のその言葉を遮るように、彼岸が言う。


「——と!レイコちゃんが申しております‼︎」


 急に敬語になった。藤太は目をぱちくりとさせて彼岸を見る。


「レイコちゃんが」


「そうよ!今のは、レイコちゃんの言葉を伝えただけだから!勘違いしないでもらえる?」


 彼岸はプイと藤太から顔を背けた。彼女の耳が紅潮しているのを見て、今の言葉が嘘であろうことが藤太にも理解できた。



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