第7話〈クレープを買いに〉
幼い日の夢を見た。
なんの授業だったか忘れたが、とあるテーマで作文を書かされたのを覚えている。
【なぜ自殺をしてはいけないのか】
二百文字程度の原稿用紙だったが、埋めるのにかなり苦労した。なぜ自分を殺してはいけないのか、そのはっきりとした理由が思い浮かばなかったからだ。
(…………なんでだろー?)
もちろん、藤太自身は死にたいとは思わない。しかしそれは、彼が死を恐れているからだ。霊盲である彼には、人間の死後の姿というものがちゃんと分かっていない。故に、他の多くの人々と違い、死ぬということに恐怖心を持っているのだ。
そのことをクラスメイトにからかわれたことがある。
「こいつ、死ぬのが怖いんだって」
「いくじなし、弱虫」
「死んだって、霊になるだけじゃん。それの何が怖いのー?」
結局、一体何を書いたのだったか思い出せない。でも確かその作文はクラスで発表したはずだった。全員が一人一人前に立ち、書いた内容を読み上げた。
多かったのは『死体の後片付けなど、残された周囲の人々に負担がかかって迷惑』という意見だったと思う。特に社会人で、仕事を残したまま死んでしまった場合、それらの仕事は同僚や上司が背負わなくてはならない。そういった迷惑をかけてしまうから良くないといった内容が大半を占めていた。
少し頭の良い子は『人口減少が進んでしまう』という理由を挙げたりする。生者数の著しい減少は社会問題となっており、それをニュースなどで見て知っていた子達は作文の内容に反映させていた。しかしこれも、「なぜ人口が減ってはいけないのか?」という疑問の前には黙ってしまう。これは社会全体で議論されていることでもあった。
それで、結局俺はどんな内容で発表したのだったか。そしてあの時同じクラスにいた彼岸は、どう書いていたのか。思い出せなかった。しかし、ただ一つ忘れずに覚えていることがある。
この発表から一週間後、藤太の父親が自殺したということだ。
嫌な思い出と共に藤太は目を覚ました。その日は土曜日で、学校は休み。寝ぼけ眼で携帯を見ると、彼岸からメッセージが来ていた。
『13時に駅前に集合。遅れたら地獄に落とすから』
藤太は飛び起きて、時間を確認した。時刻は12時過ぎだ。
「おいおいおい、嘘でしょー?」
そういえば昨日、彼岸と約束していたのだった。「レイコちゃんが新しくできたクレープ屋が気になってるそうだから、一緒に行ってあげなさい」と言われ、半ば強制的に出かけることになったのだ。
とりあえず、冷蔵庫から飲むヨーグルトを取り出してストローを刺す。一気に吸って飲み干した後、慌てて準備をして家を飛び出た。自宅とも学校とも離れた、都心の駅の改札に着くと、彼岸が腕を組んで待っていた。
「5分遅刻。終身刑ね」
「重っ!たった5分よ?」
寝坊した割にはよくこの程度の遅れで済んだものだ。むしろ褒めて欲しい気持ちであったが、判決は無慈悲であった。
「反省の色が見られない。情状酌量の余地なし」
彼岸がピシャリと言い放つ。藤太はため息をつきながら彼女の私服に目を向けた。ショートパンツにシンプルなデザインのTシャツ。そして、綺麗な白いキャップ。目元にはサングラスをかけており、その装いはさながら芸能人のお忍びといった感じであった。
藤太の視線に気づいた彼岸は、腕で体を隠しつつ冷たい目を彼に向けた。
「なにじろじろ見てるのよ気持ち悪い」
「お姉さん随分とスター気取りな格好ねェ」
「誰か知り合いに見られたら困るでしょ?」
周囲を注意深く見渡しながら、彼岸は言った。地元や学校からは離れているとはいえ、知人がいないとは限らないし、外なのでお札を貼れないから霊の目もある。許嫁のいる彼岸にとって、男と二人でお出かけというのはかなりのリスクを伴うのだ。
そこまでしてクレープ屋行きたいか?と、藤太は思う。だいたい、霊ってものは食欲が存在しないはずではなかったか。
「味が気になるわけじゃないのよ。ただ、見た目が可愛いから写真を撮りたいんだって」
まさかの鑑賞目的であった。最近新しくできたばかりというだけあって、今流行りの写真映えするカラフルな色合いの盛り付けをしてくれるクレープ屋らしく、女子高生達の間で話題になっているそうだ。
この日は晴天であり、初夏の日の光に照らされながら二人は歩いた。彼岸がハンカチでそっと汗を拭う。
「暑いわね……」
「もうすぐ夏だからなー……」
「そうだ、扇子を持って来たの。いる?」
「扇子って、お姉さん渋いねェ……」
言いながら、藤太は折り畳まれた扇子を受け取った。
「じゃあ、仰いでちょうだい」
至極当然のように彼岸が言った。
「……俺、あんたの召使いじゃないっすよ」
「知ってるわ。奴隷でしょ?」
「よりランクが下がった」
ぼやきつつ、藤太は扇子をぱらりと開く。一目で上質と分かる、それはそれは秀逸で美しいデザインであった。
藤太は思わず呟く。
「これは……センスが良い」
「……」
少しだけ、二人の体感温度が下がった。
そんな話をしながら道を行き、やがて目的の店にたどり着いた。やはり話題になってるだけあって人気店であり、店の外に列ができていた。
客層はほとんどが若い女子。それと一部、付き添いと思われる彼氏や父親のような男性陣もちらほら見られた。
列の最後尾に並びながら、藤太はぼやく。
「長いねェ……」
「楽しみだねっ!」
明るく無邪気な声がした。見ると、いつのまにか彼岸の体にレイコちゃんが憑依しているらしかった。
「ここのクレープ、めっちゃ可愛いんだよ!いちごがいっぱい乗っててー、トッピングもめっちゃあってさ。キラッキラになるの!」
楽しげに語る内容の全てが、クレープの見た目のことばかり。本当に霊というものは、食べることに対する興味が無いらしい。
イートインスペースが無く、持ち帰りのみであることと、人気店であるが故にスピード重視で、ある程度調理課程がマニュアル化されているらしいことから、客の回転は早く、列の長さに対して意外と短時間で買うことができた。
フルーツやトッピングがタワーのように重なった、今にも倒れそうなクレープを嬉しそうに撮影するレイコちゃんに、藤太は尋ねる。
「その携帯、彼岸のやつでしょー?それで撮って意味あんの?」
「ここに残しておけば、いつでも結衣ちゃんに頼んで見せてもらえるよ!」
そう言ってレイコちゃんは笑った。それから悪戯っぽく目を輝かせて藤太にカメラを向ける。
「藤太くんも撮るよー!ポーズとって!」
「え?ポーズ?」
「映えポーズ!」
クレープと共に写真に映る、という経験は藤太の人生で初めてのことであった。それからレイコちゃんとのツーショットwithクレープや、二人のクレープのみのツーショットなど、あらゆる組み合わせで撮影は続いた。相変わらずパーソナルスペースの狭いレイコちゃんは、なんの躊躇いもなく体をくっつけてくる。しかし、その体は彼岸のものであるわけで、若干の申し訳なさを彼岸に対して感じつつ、藤太は心中、二人に礼を言っていた。
それにしても、一体いつ食べれるのだろう……と藤太は思うが、周囲を見ると、似たように撮影を行う者ばかりであり、このクレープの扱い方はこれで正解なのだということは分かった。
やがて満足したらしく、撮影会は終了した。
「じゃあ、あとは結衣ちゃんに食べてもらうから、あたしは離れるね!」
そう言って手を振るレイコちゃんに、藤太が不思議そうに聞く。
「マジで食わんの?」
「一番美味しく食べてくれる人に食べられた方が、クレープも幸せだよ」
「そんなもんかねェ」
「じゃあ、藤太くんまたね!今日はありがとう!」
などと言った直後、レイコちゃんが彼岸の体から出たらしい。脱力した彼岸の手元からクレープが落ちそうになり、藤太は慌ててそれを押さえた。
顔を上げた彼岸は、手元のクレープとそれを支える藤太の手に目を向けた。
「ちょっと、何触ってるのよ」
「いやいや、感謝してよ。お前のクレープを守ってやったのよ」
「そう、ありがと」
そう言って、彼岸はそっぽを向いてクレープをかじった。
二人は無言のまま歩きながら、クレープを食べる。一緒に歩いていて、何も話さないというのもいかがなものか、そう思った藤太が話しかけた。
「それ、どんな味なん?」
「いちご」
それだけ言って、また彼岸は一口食べる。口が小さいためか、なかなか減らない様子であった。
「いちごなのは、見りゃー分かるのよ。美味いとか不味いとか色々あるじゃん?」
「美味しいに決まってるでしょ?」
無愛想に答える彼岸を見て、藤太はわざわざ気づかって声をかけたことを後悔した。ストローを咥えてヨーグルトを吸い、ため息を吐く。そっちがその気なら、もう何も言わんと口を閉ざした藤太に向けて、彼岸はおもむろにクレープを差し出した。
「ん」
「あー?」
「味が気になるんでしょ?ここはまだ口つけてないから」
そう言って、彼岸はクレープを藤太の口元に近づけた。
「良いのか?俺が口つけちゃっても」
「別に良いわよ。そもそも、こういうの昔はよくやったでしょ?今更じゃない」
そう言ってから、クスッとからかうような笑みを浮かべて彼岸は続ける。
「それとも……間接キスだとか言って、気にしちゃったりする?」
その言葉にカチンときた藤太は、大口を開けてクレープにかぶりついた。
パシャリ、というシャッター音が聞こえた気がして、藤太は周囲を見る。辺りはクレープの写真を撮る若者ばかりであり、そのシャッター音が誰のものかは判別できそうに無かった。
彼岸に視線を戻すと、彼女はわなわなと細かく震えていた。
「ちょっと⁈食べ過ぎ!食べ過ぎよ!少しは遠慮してよ!」
「良いあろうあ、うっえいいっえいっあぉあ、おあえあお」
「ああ、もう!口いっぱいで何言ってるのか分からないわよ‼︎」
藤太が浮かべる勝ち誇ったような笑みを睨みつけながら、彼岸はクレープの残りを自身の口元に近づける。一瞬、手を止めた後にクリームをペロリと舐めて、「まったく、もー……」と呟いた。
その頬は心なしか赤味を帯びていた。
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