第10話〈連れション会談〉
男子トイレの中。藤太と貴陰は小便器の前に二人横並びになって用を足していた。とは言っても、藤太は緊張で一雫たりとも出ないため、ただ立っているだけ。室内には貴陰の排泄音のみが響いていた。
「これは自論なのだが……」
貴陰が口を開いた。
「私はラブコメにおいては幼馴染至上主義でね。幼馴染大勝利過激派。幼馴染同士がくっつかないなど、あってはならないと思っている人間なのだよ。故に昨今の幼馴染イコール負けフラグという風潮には我慢がならない。私が草葉家を継いだ暁には、真っ先にこの風潮を改革するつもりさ」
もっと他にやることがあるだろ。という言葉を藤太は飲み込んだ。貴陰はニヤリと笑うと、さらに続ける。
「くだらないと思うかね?しかし、私はこの写真を見て、やはり幼馴染は尊いものなのだと、改めて気づかされたよ」
貴陰が差し出した写真を見て、藤太は顔面蒼白になった。そこには、クレープを差し出す彼岸と、それをかじる藤太の二人の姿がはっきりと写っていた。さながらその光景は、仲睦まじいカップルのようであった。
微笑ましい写真ではあるが、問題なのはその写真の持ち主が彼岸の許嫁であるという点であった。
「い、いつの間に……?」
まさか、あの政治家……草葉陰尋に見つかっていたのか⁈いや、あの時は陰尋はいなかったはず……。そんな藤太の心中を察したかのように、貴陰は答える。
「陰尋は関係ない。だいたいあの男は草葉家の中でも鼻つまみ者さ。これを撮ったのは私自身。偶然、あの場に私もいたのだよ」
藤太は何も答えなかった。なんと言って良いのか分からなかった。そもそもあんな、自分や彼岸の地元からも学校からも、草葉家の住む土地からも離れた人混みのクレープ屋の前で、許嫁に見つかるなど、そんな偶然があって良いのか。
しばらく二人は無言のまま、貴陰の排泄音のみが響いていた。
やがておずおずと、藤太は弁明を口にした。
「あのー、違うんですよねー。あれは彼岸さんじゃなくて……彼女の体を借りた霊と一緒に出かけてたんです……。レイコちゃんって言うんすけど……ほら、彼岸さんって霊媒師じゃないですか?だから、彼女の体を借りてレイコちゃんと遊んでたわけなんですよ」
苦しい言い訳に聞こえるが、ほとんど事実である。果たして信じてもらえるかどうか。貴陰は面白そうに笑った。
「知っているさ。確かに彼女にはそう言う能力がある。しかし……だとしても、このクレープを食べさせている瞬間、これは、彼女本人だろう?」
その通りであった。そんなところまで見抜かれているとは、これも霊能力の成せる技なのだろうか。
「だからこそ良いのだよ。だからこそ尊いのだ。キミにこの良さが分かるかい?」
「はあ……」
どう答えれば良いか分からない。この男はどういうつもりでこんな話を俺にするのか。再び無言になり、貴陰の排泄音だけがこだまする。
っていうか、どんだけ出るんだよ。
「私の膀胱は50リッターある」
そう独り言のように呟いてから、貴陰は藤太にある提案をする。
「どうだろう。良ければ私に、キミたちの恋を応援させてはもらえないかな」
「はあー⁈」
藤太は驚きのあまり声を荒げた。
「いやおかしいでしょー⁈っていうか、そもそも俺らはそういうのじゃ無いですし!だいたい、あなた彼岸の許嫁でしょ?俺達をくっつけて、なんの得があるんです?」
「『そういうのじゃ無い』か……なるほど、ツンデレの一種だね」
「人の話聞かないなぁ⁈」
「それと、なんの得があるかって?さっきから言っているじゃ無いか。『幼馴染は素晴らしい』と」
会話にならなかった。
少ししてから、貴陰がゆっくりと話し始める。
「許嫁である私のことなどは気にしないで良い。そもそも親同士が勝手に決めた縁だ。私も彼女も、互いに対する恋愛感情はない」
「……そういうもんですかね?」
訝しげに見る藤太に対し、貴陰は不思議な笑みを向けた。
「私は『
「え?」
初めて聞く言葉だ。困惑する藤太に対し、貴陰はまたニヤリと蛇のように笑いかけて言う。
「しかし、腐っても許嫁。親愛の情はある。故に結衣には幸せになってもらいたいのだよ。私はそのための努力は惜しまない。キミは……結衣のことが好きだったのだろう?」
『好きだった』。その過去形の表現から、貴陰がかなり深く事情を把握しているらしいことが、藤太には理解できた。
貴陰はまた続ける。
「そして今また好きになり始めている。違うかい?そして、結衣もまたキミの事を……」
「それは無いっすよ」
藤太ははっきりと言い切った。
「あいつは俺なんか眼中にない。今はただ、親友のレイコちゃんに付き添ってるだけです」
「ふむ、『レイコちゃん』ね……」
少しの間、貴陰は何やら考え込んでいたが、やがて意を決したように口を開いた。
「これはもしかしたら無粋なことかもしれないが……しかし、私は空気を読まないということに関してあらゆる人間からお墨付きを頂いている。そんな私から言わせてもらうが——」
長い首を亀のように伸ばし、真っ黒な目でまじまじと藤太の顔を覗き込みつつ、貴陰は言った。
「キミは本当に——『レイコちゃん』なんて霊が実在しているとでも思っているのかい?」
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