第5話〈レイコと結衣の手作り弁当〉

翌日の昼休み。藤太が弁当を開けようとすると、彼岸が声をかけてきた。


「ちょっと来てくれる?」


 片手には何やら巨大な四角形のものが風呂敷に包まれたような物を持っている。それを訝しく思いつつ、藤太は答えた。


「いや、今から俺、飯なもんで……」


「良いから」


「山田と約束してるんだけど」


 彼岸はいつもの冷たい目で、渋る藤太を睨みつけた。


「山田くんには私が話をつけておいたから、大丈夫。良いから来て」


「何よその根回しの良さ……俺は全然大丈夫じゃないってば」


「清水くんの分際で、この私の言うことが聞けないの?......拷問するわよ」


「俺って、割と人権ないかんじ?」


 可憐な美少女から受ける拷問と言うのは、ある種の人間からすれば垂涎ものかもしれないが、あいにくと藤太にその嗜みは無かった。


 そもそも一応はただの女子高生である彼女に拷問の知識も技術もあるとは思えないが、その細腕からぶら下げた謎の風呂敷包みが不気味すぎたため、藤太は重い腰を上げることにした。


「分かった分かった。でも、ヨーグルトだけ、一服させて」


「タバコみたいな言い方するんじゃないわよ」


ストローを紙パックに刺して咥えつつ、藤太は思う。それにしても……山田に話をつけたって、一体何をどう説明したのだろうか。若干の不安を胸に、彼岸の後についてまた屋上へ向かった。


 昨日と同じく結界を張りつつ、彼岸は言う。


「今日はお弁当をあなたに食べてほしいの」


「え、俺もう持ってるんだけど」


 藤太は手に持つ弁当箱を指した。一瞬眉を顰めた後、彼岸は言う。


「それは放課後におやつとして食べると良いわ。昼食はこっちを食べて。せっかく作ってきたんだから」


 言いながら風呂敷を解いていくと、中から黒い漆塗りの、立派な三段重箱が現れた。


 ボーっと見ながら、藤太が問う。


「……これ、お前が作ったのか?」


「何を勘違いしてるの?私が清水くんなんかのためにそんなことするわけないじゃない。私の体を使って、レイコちゃんが作ったのよ」


「そう。でも二人分にしては多くなぁい?」


「これはレイコちゃんからの愛の証よ。あなたが全部食べなさい」


 圧のこもった目で、脅すように言う。少し前に思ったことを、藤太は撤回することにした。彼女には拷問官としての素養が十二分にある。


 藤太はストローを咥えてヨーグルトを吸い、ため息を吐いた。


「俺だってもう歳だからさ、昔ほど食えないんだけど」


「あなたまだ十六でしょ?」


 呆れ顔で言いながら、彼岸は重箱を並べ始めた。没落したとはいえ、彼岸の家は歴史ある名門霊媒師の家系。実際の経済状況はともかくとして使う食器や家具など、所々に『元、良家』らしさが滲み出ている。ちなみに中身はごく普通の非常に家庭的な弁当であった。


「じゃあ、またレイコちゃんを呼ぶから」


「え、おい待ってよ……ありゃー、まあ、いきなりねェ……」


 制止も虚しく彼岸は呪文を唱え始めた。やがて彼女の体から力が抜けたかと思うと、次の瞬間勢いよく顔を上げた。


「こんにちは!藤太くん今日もイケメンだね!」


 レイコちゃんが明るく言った。藤太はどう返したものかと頭を掻く。


「あ、ああ……そりゃどうも、センキュー」


「それでね、結衣ちゃんから聞いたと思うけど、これあたしが作ったんだ!」


 ニコニコと笑いながら、一つ一つのおかずについて自慢げに語る。


「うまそーね」と藤太が感想を言うと、レイコちゃんは嬉しそうに目をきらめかせた。


「でしょ?ささ、食べて!全部食べて!」


 霊というものは、生者の胃袋に限界があるということを忘れてしまっているのだろうか?悪意のない澄んだ眼をしたレイコちゃんを見て、藤太は一人思った。


 そこから先は大食いチャレンジであった。昼休みの間という制限時間内にこの莫大な量の弁当を食べ切らなければいけない。たっぷりの白米や、エビフライ、ハムカツにコロッケ、ハンバーグ、タコさんウインナー、だし巻き卵や芋の煮っ転がし、きんぴらごぼう、焼いた鯖や、シュウマイ、スパゲッティミートソース。味は美味いが、ジャンルはバラバラな上やたらと腹にくるものばかりであった。なぜ揚げ物がこんなにあるのか。


 限界を迎えそうになると、藤太はレイコちゃんに目を向けた。藤太が完食すると信じ切ってる純粋な期待の眼差しが、そこにはあった。


(嘘でしょー……)


残してしまった際の罪悪感を想像し、藤太は箸を進める。ヨーグルトを飲む余裕は無かった。また、万が一食べきれなかった場合に彼岸に何と言って攻め立てられるか、それを想像しながら口を動かす。天使のレイコちゃんに悪魔の彼岸。その二人の飴と鞭——いや、結局『鞭と鞭』か——それを受けて、ついに藤太はあと一口という所までたどり着いた。


「凄い!あと少し!」


 そう言うと、レイコちゃんは予備の箸を持って、最後に残された肉団子を摘んで藤太の口元へ持って行く。


「はい、あーん」


 藤太は深呼吸をしてから口を開いた。こうして、三段重箱大食いチャレンジは達成された。


 苦しげに呼吸をしつつ、藤太は告げる。


「ふー……、いや、まァ美味かったよ……マジで。めっちゃ美味かった……料理上手ねェ……」


「本当!嬉しい」


 レイコちゃんは感激した様子であった。虚な目で彼女を見つつ、無意識的にストローを咥えて、なんとはなしに聞いてみる。


「もともと、料理とか得意だったのか?」


「いや……そんなことないよ。っていうか、これが初めてだし」


 苦笑いをしながら言う。


「マジでー?」


 藤太は驚きの声を上げた。


「これで初めてー⁈凄いねェ天才じゃない」


「いやいや、料理本のままに作っただけだから!」


「にしたって、これは初めてってレベルじゃねーってば」


 ひっきりなしに賞賛する藤太を見て、レイコちゃんは恥ずかしそうに笑った。


「そ、そんなに褒めてくれるなんて……嬉しい。頑張った甲斐があったな」


 そう言う彼女の顔が紅潮してきているのに藤太は気がついた。


「おいおい、もしかしてまた熱?」


「え?あ、そうかも!もう時間だね」


 別れの言葉を口にしながら、レイコちゃんは彼岸の体から離れていった。彼女の目つきがまたいつもの冷たい眼差しに戻るのを確認しつつ、藤太は満タンの腹を抑えて苦しげに息をする。


「ひっひっふー」


「出産するの?」


 彼岸の意識が戻ると、彼女はなぜか自慢げに言う。


「どう?レイコちゃんの手料理、おいしかったでしょ?」


「ああ。美味かったよ」


 藤太の言葉に、彼岸は気を良くした様子であった。


「でしょ?そうでしょう?ふふ、さすが私……の親友ね。天才的!」


「つーかさ、あの子、料理初めてなんだってね。でも上手だったなァ……」


 言いながら、藤太は暑そうに仰ぐ彼岸の手を見る。そこにはいくつかの絆創膏が貼ってあった。


「お前、その手の傷ってさ……」


 藤太に聞かれ、彼岸は慌てて両手を後ろに隠す。


「何?な、なんのこと?」


「ああ、そっか、レイコちゃんはお前の体を使ったわけだから……」


 少しの無言の後、藤太は頭を掻きながら、彼岸に向けて言った。


「ありがとね。美味しかったよ。本当に美味しかったんだ」


「えっと、いや、だからあれはレイコちゃんの……」


「お前のおかげでもあるじゃん?」


 彼岸の顔がまた赤くなる。


「ば、馬鹿ね。私はなにも、あなたのために頑張ったわけじゃないんだから。レイコちゃんのためだから。思い違いも甚だしいわ!」


「あれ、また熱出てる?」


「んぅぅッ⁈」


 小動物の鳴き声のような声にならない声を上げた後、彼女は何も言わずに、急いで霊避けの札を剥がすと、藤太から逃げるように屋上から去って行った。




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