第4話〈恋する霊のレイコちゃん〉

清水きよみず藤太とうたは現在、非常に不可解な状況にいた。学校内でも屈指の美少女である彼岸かれぎし結衣ゆいの顔が、すぐ目の前にある。尤もその中身は霊のレイコちゃんなわけだが。あと少し前に出れば顔と顔がくっついてしまうのではないかというほどの距離で、二人は見つめ合っていた。


「あの……レイコちゃん?」


 恐る恐る、藤太は声をかける。考えてみると、霊盲である彼にとって霊と直接話すのはこれが初めてであった。


「一旦、離れてもらって良いかな?」


「えーやだよー。せっかく藤太くんとお話できたんだから」


 そう言ってレイコちゃんは無邪気な笑顔を浮かべた。中身が違えど、その体は彼岸結衣のものだ。普段彼女が浮かべる冷たい表情とのギャップが激しく、藤太は戸惑うことしかできなかった。


「まいったなー……」


 顔を逸らしてぼやく藤太をジーッと見つめながら、唐突にレイコちゃんは聞いた。


「触って良い?」


「えぇ?」


 藤太が許可を出す前に、レイコちゃんは藤太の顔を突いた。


「触れるー凄いな!なんか感動」


 言いながらまた笑う。実体を持たない霊にとって、触れることができるということ自体が極めて貴重な体験なのだろう。


「あたしね、ずっと藤太くんと話してみたかったんだ!藤太くん、いつもこっちを見てくれないでしょ?まあ、仕方ないことだけど……でも、寂しくてさ。だから、こうして今、あたしを見てくれてるのがとても嬉しい!」


「そ、そお……良かったねー……まじで……」


 藤太は引き笑いを浮かべた。たとえ霊とはいえ、これほどまでに一人の女性から好かれてるというのは男冥利に尽きるというものだが、それにしても距離が近い。普段、実体を持たないためかは分からないが、パーソナルスペースが著しく狭い。顔も、体も、限りなく近い。


 しばらく何も言わずに藤太の顔を見つめていたレイコちゃんは、やがて小声で言った。


「ハグして良い?」


「はー⁈」


 藤太は驚きの声を上げた。レイコちゃんは上目に見つめて答えを待っている。その顔は彼岸で、だが表情はレイコちゃんのもので、藤太はわけが分からなくなった。


 やがて藤太は無言で頷いた。


「やった!」


 喜びの声を上げた直後、レイコちゃんは藤太の体にくっつき、ぎゅっと抱きしめた。


 そういえば……幼い頃は、こういうことたまにあったなあ——。


 藤太は思った。かつて、まだ彼岸と仲が良かった頃の思い出だ。しかし当時と異なり、彼岸の体は大人のそれに近くなっている。そして藤太自身の頭の中もまた成長しているわけである。幼少時よりもはっきりと感じる凹凸に耐えきれなくなった彼は、慌ててレイコちゃんの肩を押して彼女を自分から離れさせた。


「……もう、良くない?良いんじゃない?サービスタイム終了!」


「うん……そうだね!ありがとう!」


 見ると、レイコちゃんの顔は真っ赤に染まっていた。触れた肩から伝わる体温も上がっている。それがレイコちゃんのものか彼岸のものか、藤太には判別ができなかった。


「あ、なんか……もう時間みたい!」


 紅潮した頬に手を当てながら、レイコちゃんは言う。


「結衣ちゃんが言ってたんだけど、霊を憑依させるのは体に負担がかかるから、長時間は無理なんだって!微熱が出ちゃったり、体調崩したりしちゃうみたいで……」


「じゃあ、今、熱出てるってことか?」


 藤太の言葉に、レイコちゃんは頷いた。


「だから、今日はもう終わりね!でも、藤太くんと話せて良かった!これからも、会いに来て良いかな……?」


 熱により真っ赤になった顔で、不安げに問う。藤太は渋々頷いた。


「まー、良いけど……」


「やった!」


 嬉しそうに言った直後、彼岸の体はまた脱力し、肩を落として顔を伏せた。少ししてから、彼女はゆっくりと顔を上げた。


 そこには、藤太には見慣れた冷たい表情があった。しかし熱がまだあるためか、頬は紅潮したまま、耳まで赤かった。


「…………レイコちゃんとは話せたみたいね」


 落ち着き払った声で言う。藤太はストローを咥えつつ頷いた。


「良い子だったでしょ?」


「まァ。ちょっと子供っぽかったけど……」


 言いながら、飲むヨーグルトをずるずると吸う。中身はもうほとんど無いらしかった。


「あの子は純粋無垢なのよ」


 彼岸が言った。それから「もう授業が始まるわ」と言いながらお札を剥がし、屋上を後にした。前を行く彼岸に、藤太は言う。


「熱あるんでしょ?保健室行かなくて良いのか?」


「これくらい平気。すぐ下がるから」


 それから教室に着いて以降、その日は二人会話することなく終わった。



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