第18話〈今、この瞬間だけは〉

ゆっくりと動く観覧車の中で、二人は何も話さなかった。それぞれが過去のことを思い返し、その感傷に支配されて何も言えなかったのだ。やがて一番上に着いた時、結衣が口を開いた。


「あの時は……その、ごめんなさい」


「え?」


 藤太が驚いて聞き返す。


「ごめんって、何が?」


「色々と酷いことを言ってしまって」


 気まずそうに口ごもりつつ、続ける。


「あの時の私は子供だったから、酷いことを言って嫌われるっていう手段しか思いつかなかった。でもそれって、藤太くんの心を無意味に傷つけるってことで、それは絶対に良くないことだったはず。だから……」


「良いのよ、別に」


 自身の頭をわしゃわしゃと掻きながら、藤太は言った。


「あの時のお前の言葉はキツかったけどさ、でも、事実なんよ。俺が『霊盲』で、他の人達より一段劣った人間なのは事実だし、それを最初に教えてくれたのがお前なのよ」


「そんな……」


「俺は感謝してるんだよ」


 藤太の諦観したような表情から、これまで藤太が経験してきたことの重みが見えたような気がして、結衣は思わず泣きそうになった。そして間違いなくそのきっかけの一つは自分なのだ。何も言えない結衣をじっと見ていた藤太であったが、やがてこの悪い流れを断ち切るために話題を変えた。


「そういや、お前さ〜さっきから俺のこと下の名前で呼んでるのよね。どうしたん?レイコちゃんに影響された?」


 結衣はハッとした様子で自身の口を指で触れた後、開き直ったように言った。


「そうよ!悪い?……嫌?」


「別にーけどさ。なんつーか、ちょっと昔に戻ったみたい」


 若干照れたような笑いを浮かべる藤太をジトリと見ながら、結衣は聞く。


「そっちは?」


「え?」


「呼び方よ。藤太くんは私のことなんて呼んでくれるの?」


 少しの沈黙の後、藤太は外の景色へ目を向けつつ答えた。


「……結衣?」


 結衣はジロリと藤太を睨んだ後に「ふふっ」と小さく笑った。腕を組んで、高飛車に言う。


「許可するわ」


「ああ、そう……そりゃまたどーも」


 少しだけ、ほんの少しだけでもかつての関係に戻ったようで、藤太はほんのり嬉しくなる。しかしすぐに現実を思い出して、口元の笑みが薄れていった。


「でも俺なんかと仲良くして、父ちゃんは大丈夫なの?」


 結衣の顔面から表情が消えた。


「……大丈夫じゃないわ。だから、私はもうあなたと仲良くなんてできない」


 その声色は冷たく感情のない、操られた人形のそれだった。


「私はお父さんに逆らえないし、私の体は草葉家に売り出される商品みたいなもの。でも——」


 結衣は席を立ち上がって、藤太の元へ歩み寄り、そのすぐ隣に座った。


「——でも今だけは、今、この瞬間だけは、これはあなたの手にも触れられる」


 肩と肩で触れ合い、藤太の体にもたれかかって、耳元に口を近づけながら囁く。


「レイコちゃんはあなたを愛してる。そして私はレイコちゃんに体を貸している。あなたがレイコちゃんを愛せば……私の体も愛することができる」


「……やめなよ。そんな、自分の体を物みたいに言うのは」


 手でそっと結衣の肩を押し、彼女を自身から離れさせた。結衣は小さく笑った。


「私にとって『これ』は、私の心を縛って離さない牢獄みたいなもの。本当はずっと解放されたかった。でも……」


 結衣の顔を見て、藤太は息を呑んだ。彼女は静かに涙を流していた。


「……『この場所』に私の魂をより深く縛り付けたのは藤太くんなんだよ。あなたが……あなたが、私を捕らえて離さないから、私はいつまでたっても自由になれない」


 藤太は背筋が凍るのを感じた。


「藤太くんには、その責任を取ってもらわないといけないの。あなたはただ、レイコちゃんを愛してくれれば良い。彼女は、あなたが大好きだったかつての私。あの時果たせなかった愛を、レイコちゃんで果たせば良いの」


 藤太はなんと言って良いか分からなかった。ただ、上手く説明はできないが、結衣の言っていることが間違っているということだけは分かった。彼女の言う通りにしても、誰も幸せにはなれない気がした。


 やがて観覧車が地上に戻り、二人は降りた。夕陽が沈んで薄暗くなる周囲の様子は、二人の心境を表しているようであった。


「……藤太くん、見て」


 結衣に言われ、藤太は顔を上げた。次の瞬間、薄暗い目の前がパッと明るくなった。


それは色とりどりに輝く華やかなイルミネーションであった。


「おいおい、どういうことなの……これって冬季限定とかじゃなかったっけ?」


「私もそう思ってたわよ。なんでだろ……でも、とても綺麗」


暗闇を美しく照らすその光は、藤太の心に強く焼きつくようだった。先ほどまでの暗いモヤモヤを吐き出すように深く息を吐いた後、おもむろに、結衣にむかって手を差し出した。


「……なに?」


「そのさー、手ぇ繋がない?たまには昔みたいに……なんて。今、この瞬間だけはさ……レイコちゃんじゃなくて、お前と繋ぎたい気がするのよね」


 結衣は少し戸惑い、またためらった後、ゆっくりと左手を伸ばして、藤太の右手に触れた。


「しょうがないわね。今日だけは特別、大サービスよ」


「そいつぁどーも、ありがとうございます。お嬢さん」


 藤太はニヤッと笑った。結衣がどんな顔をしていたのかは、光と闇のコントラストでよく見えなかった。


 暗い木の後ろに隠れながら、二人をじっと見送る影がある。その影はスマホを胸ポケットにしまった後、小さくため息をついた。


「全く。急遽光らせるのって大変なんですからね」


 そうぼやきつつ、糸目の男はその場を去った。




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