第15話〈在りし日の二人①〉
【なぜ自殺してはいけないのか】
それは、オレが死にたくないからです。死んだらハンバーグもオムライスも食えないし、ブランコにも乗れません。わざわざ死にたいなんて言うやつはバカだと思います。もしも生きる楽しさが分からなくて、死にたいなんて言い出すやつがいたら、オレが生きることの楽しさを教えてあげたいと思います。
これが、俺が昔発表した作文の内容である。子供らしい単純な内容であり、指定の文字数にすら達していない短文であった。しかしどういうわけだか教師からの評価は高かった。
一方、彼岸の発表内容は教師から注意を受けていた。内容は端的に言うと『法律で決まっているから』。これは逆に考えると『法律が無ければ自殺しても構わない』ということになってしまう。そもそも死んで霊になった時点で、生者の法など適用されない。自殺を禁ずる法などあって無いようなものなのだ。にも関わらず、なぜそんな法律があるのか、そこをもう少し考えるよう、彼女は指摘を受けていた。
その日の放課後、彼岸が俺に声をかけてきた。それまで同じクラスではあったものの、話したことはほとんど無かった。当時の彼女は今のように気の強い性格ではなく、むしろ弱気でいつも教室の隅に一人でいるような子であった。
そんな彼女が、わざわざ俺に声をかけてきたのだ。
「あたしに、生きることの楽しさを教えてほしいの」と。
俺は、発表の際に言ってしまった手前、それを断ることはできなかった。それに当時から彼岸は校内でも注目される美少女であったため、そんな子からの申し出には俺も幾分か高揚した。
「良いぜ!俺が教えてやんよ」
思えば、当時の俺は元気でヤンチャだったなァ。今はすっかり枯れてしまっているが。
俺はさっそく、学校帰りに彼岸を行きつけの駄菓子屋へと連れて行った。
「おばちゃん!いつもの」
俺が元気よく言うと、駄菓子屋のおばちゃんは訝しげに顔を顰めた。
「なんだい、いつものって」
「いつもオレが買ってるやつがあるじゃんよ」
「いちいち覚えちゃいないよ」
今考えると、あのおばちゃんはだいぶ子供嫌いだったように思える。俺は渋々、お菓子の名前を告げた。それは確か、三十円くらいだったろうか、グレープ味の三つのソフトキャンディが入っていて、そのうちの一個が超酸っぱいのだ。
「これで勝負しようぜー!負けた方が罰ゲームな!」
俺は彼岸に言った。彼岸はつまらなそうな目でソフトキャンディを見た後、そのうち一つを口に入れた。ゆっくり噛んだ後、表情を変えずに「……すっぱい」とだけ言った。
「おいおい、もっとこう驚きとか無いのかよ」
「別に無いよ。つまんない」
小声で言う。その冷めた様子にムッとした俺は、背負っていたランドセルを彼岸に押し付けた。
「じゃ、罰ゲームな。これから坂の上公園に行くから。それまでお前、荷物持ち!」
「ちょっと……女の子にこんな荷物持たせないでよ……」
「女だ男だなんか、関係ねェだろ。勝負に負けたんだからさー。ほら、行くぞ」
駆け出した俺の後ろを、彼岸は不満げな顔で着いてきた。
坂の上公園は、俺達の地元にある小さな公園だ。文字通り坂を登った先にあり、近所の子供達の遊び場となっていた。とは言え、サッカーなどのスポーツをできるような広さは無いため、そういったことをしたい場合は自転車で少し行った先にあるグラウンド付きの公園を使っていた。坂の上公園は主に集まってだべったりゲームをしたりする場所なのだ。
クラスの男子達は今日、野球をしに行くと話していたのを聞いた俺は、坂の上公園には知り合いはいないだろうと考えたのだ。可愛い女の子と二人きりでいるところなんて、男友達には見られたくなかった。
「着いたぜー!ほら、早く来なよ!」
公園から、彼岸へ声をかける。彼女は坂の中腹くらいで息を切らしながらよろよろ歩いている途中であった。
「清水くんのランドセル、重すぎない……?」
「そんなことねーってー」
そういえば当時の俺は、全教科の教科書を常に持ち歩いていたっけ。
やっと登りきった彼岸を手招きで呼んで、俺は坂の上からの景色を見せた。夕陽に照らされる住宅街だ。麓のあたりには駅と電車も見える。
「良い景色だろー?」
「まあ……これがなに?」
相変わらず白けたままの彼岸にムカついた俺は、なんとかして彼女を笑わせたいと思った。そのために俺がとれる行動は一つであった。
彼女の背後に移動して、いきなりその脇に手を突っ込んだのだ。今やったら間違いなくセクハラ。逮捕案件。当時は小学生だったので、許してやってください。
「ひぃゃあ!」
当然、彼岸は驚いて悲鳴をあげた。俺は構うことなく、彼女の脇をこしょこしょとくすぐった。
「ちょっ……!いひっ、何するのうふひっはひひひひっ、やめっうぁははは!」
涙を流して笑いながら、彼岸は身を捩らせて俺から逃れた。息を整えながら俺を睨む。
「な、何するの!」
「なにって、つまんなそーだったから。くすぐって笑わせてやったのよ」
「そんな、無理やり笑わされても楽しくないから!」
怒る彼岸をまじまじと見つつ、俺はまたニヤリと笑った。
「そーでもねーって。笑えば、ちょっとは気分も良くなるってもんだぜ。少なくとも退屈では無くなっただろー?」
ムスッとしたままの彼岸を真っ直ぐに見ながら、俺は唐突に変顔をした。彼岸は思わず吹き出した。
「んふっ……!」
「ほーら。笑いの沸点が下がってら」
「そんなこと……ない……ぁはははっ!」
彼岸はひとしきり笑った後、また涙を拭いて、少しスッキリしたような顔で俺を見た。
「でも、死んだって笑うことはできるよ」
「くすぐることはできないだろ?ああいう風に戯れ合うことは、霊にはできないって」
「くすぐられたくなんかないって」
「そうか?」
俺達二人はベンチに座って、色々と話した。
「うまいもんが食えなくなるのは嫌だろー?」
「別にあたしはそんな、食い意地はってないし。それに霊って食欲とか無いっていうもん」
「オレはヨーグルト食えんくなるのは嫌だけどなー」
「知らないよ」
「そうだ、あと押し相撲ができなくなるな」
「押し相撲なんて、別にしなくて良いし」
「それはお前、本気の押し相撲をしたことがねーからだろー?」
そう言うや否や、俺は立ち上がってその場で四股を踏んだ。
「ほら、かかってこいよ」
「えー、いやよ」
困惑する彼岸を煽るように俺は言う。
「なんだよ、オレに投げ飛ばされるのが怖いのか?」
「そんなことはないし……」
渋々といった様子で、彼岸もまた俺の前で構える。はっけよーい、のこった。俺たちはがっぷり組み合った。異性と密着して押し合うなど、今でこそ色々意識せざるを得ないが、クソガキだった当時はあまりそんなこと関係なかった。男子とはちょっと違うな、とは思ったが。
当時は男子より女子の方が背の高い子が多かった。彼岸もその時は俺より少し背が高く、俺たち二人の実力は割と拮抗していた。そして少しの油断を突かれて、俺は押し返されて尻餅をついてしまった。
「だ、大丈夫?」
彼岸が駆け寄る。俺は苦笑いをしながら立ち上がった。
「なんだよ、お前、細っこいのにつえーじゃーん。将来はマッチョかもな」
「ちょっとやめてよ。嫌だよあたし、そんなの」
言いながら二人は笑った。
やがて日も沈みかけて、俺たちは帰路につく。
「見てろよ、今度はもっと良いのを考えてくるから。彼岸が、死ぬより生きてた方が良いなって思うような何かを持ってくるから!」
俺は妙に意気込んでいた。新しい遊びを見つけたような気分だった。彼岸は笑顔で頷いてから、俺に言う。
「あたし、『
「嫌い?ああ、そう。じゃあ『
「うん」
彼女は嬉しそうに笑ってから、別れ道で手を振った。
「またね
そう言ってかけていく後ろ姿が消えるまで俺は見ていた。
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