第30話 黒い粒

 その頃、孤児院の食堂ではダイダロスとクロスが子供たちと一緒に食事をしていた。

 ほとんど具が無いようなスープだが、パンだけは山のようにある。


「いただきます」


 子供たちと共に神に感謝をささげ、パンに手を伸ばした。


「うん、今日のは良いんじゃない? 外はカリカリカリカリで、中は生焼けのように柔らかい」


 クロスの感想にカブとサンズは肩を落とした。

 子供たちはというと、嬉しそうに食べている。

 ダイダロスが二人に声を掛けた。


「これって中まで火が通り切らないうちに外側がコゲるってことだよな? 火加減か? でも灰まで全て搔きだしてから余熱で焼くんだろ?」


 カブが唇を尖らせた。


「うん、たぶん灰を搔きだすときに温度にムラができるんだと思う。なるべく手早くするように努力はしているんだけど……」


「灰を搔きだす手間を省けば良いんじゃないか? 搔きだすより奥へ押し込む方が熱が逃げにくい気がする」


 サンズが慌てて声を出した。


「ダメだよ。だって灰が残ったままじゃパン生地が灰だらけになっちゃうもん。それこそ食べられたもんじゃないよ」


 ダイダロスが割ったパンをじっくりと見ながら言った。


「うん……できるかもしれないな。明日から当分はパン焼きを休め。俺にちょっと考えがある。お前らは師匠の手伝いにでも行ってこい」


 二人は顔を見合わせたが、大恩人ダイダロスの言葉に従うことにした。

 食事を終えた子供たちは、それぞれのベッドへと向かい、二人の神とカブとサンズだけが残っている。

 ダイダロスが地面に石でカリカリと石窯の絵を描いていた。


「いいか? ここが焼く面だ。石窯内の温度を安定させるには、なるべく壁面近くに薪を置くよな? 灰はどこに溜まる?」


 サンズが答える。


「ほとんどは燃えた薪の近くだよ。ただ熱が対流し始めると舞い上がってしまうから、パン生地が汚れるんだ」


「なるほど。ということは灰になった端から無くなれば舞い上がるものも無いということだな?」


 サンズとカブが顔を見合わせた。


「灰が無くなるってどういうこと?」


 ダイダロスがニヤッと笑った。


「薪を置く部分だけ格子にするんだよ。そうすれば灰はできた端から下に落ちるだろ? 焼く場所は今まで通りにするから問題ないさ。熱効率が落ちる可能性があるが、網の下に傾斜をつけた銅板を仕込めばいい」


 クロスが感心した声を出した。


「なるほどね、二段式の焼き窯ってことか……さすがだね、ダイダロス。それに熱伝導率の高い銅板を使えば反射熱で、今までより早く釜の温度が上がるかもね」


 カブとサンズはまるで外国語を聞いているような顔をしていた。


「うん、問題は銅板の厚みだが、かなり値が張ると思う。お前らってどれくらい貯えがあるんだ?」


 ダイダロスの声に二人の子供は俯いてしまった。


「僕が出すよ。先行投資だ。儲かったら分け前を貰うから問題ない」


「お前、持ってるの?」


 ダイダロスが親指と人差し指で輪っかを作ってクロスを見た。


「多分大丈夫。それに銅板の購入先も当てがあるんだ。貴族向けの鍋や焼き板を作っている職人なんだけれど、この前市場で助けたおじいさんが、その人の父親でね。それ以来付き合いがある。裏町の子供たちにも雑用仕事をくれたりするようになってね、オペラも世話になっているんだ。とても良き心をもった人間さ」


 ダイダロスがニコッと笑って頷いた。


「ではその交渉はクロスに任せよう。そうなると、明日の午前中には会いたいな」


「うん、ここの作業が無いなら大丈夫。久しぶりに屋台で串焼きでも食べようか」


 四人は頷きあって寝床へと向かった。

 長期滞在中のクロスとダイダロスは、過去在籍していた牧師たちが使っていた宿所に部屋を与えられている。

 石窯近くの部屋にはサンズとカブが、オリーブの木陰になる奥まった場所に二人の部屋があった。


「おやすみなさい」


 そう言って部屋に引き取った二人を見送ったダイダロスがクロスに言った。


「お前って気付いてる?」


 クロスは返事をせずに頷いた。


「うん、甘い匂いと邪悪な気配だよね。ダイダロスは聖堂に行くんでしょ? 今の僕では足手まといだから、今日は孤児院の事務室で寝るよ」


 ダイダロスが頷いた。


「そうだな。もしもの時があったら子供たちの避難誘導を頼む。ヘルメももう来ている頃だろう」


「ああ、来たね。それにこの足音は……ロビン?」


 クロスがそう言った時、ロビンが教会に駆け込んできた。


「僕も手伝うよ! クロス」


「やあロビン。おじいさんとルナは?」


「おっさん達が守ってくれるって。あの落ち着いてるヘルメが急いでいたから、僕もなんだか不安になっちゃってついてきたんだ。カブやサンズも起こす?」


 居ついてしまった例の悪党どもは、いつの間にかトムじいさんの忠実な使用人と化しているのだ。


「いや、彼らは朝が早い。このまま寝かせてやろう。ではロビン、君は僕と一緒に孤児院の事務所に待機だ。何事も無いとは思うが、なんと言うか神だった時と同じように予感めいたものを感じるんだよね。不思議だけれど」


 ロビンは頷き、先に牧師に挨拶をすると言って駆け出した。

 聖堂の外壁を眺めているクロスにヘルメが近づいてくる。


「悪魔を倒すのは神の仕事ですから、任せておいてください。しかし、人を守るのは人の仕事です。そしてクロス、君は今『人』です」


「うん、理解してる。神だった時よりずっと心が解放された気分なんだ。僕って神より人向きな性格だったのかもね。こっちのことは心配しないで」


「ええ、任せましたよ。では我々は聖堂に向かいます」


 ヘルメは聖堂に向かって歩きながら、思いついたように振り返った。


「最近ちょっと無駄遣いが多いですよ? ご使用は計画的に」


 サムズアップしてみせるクロスにウィンクをしてヘルメがスッと消えた。

 その間にも黒の粒はワラワラと溢れだしている。


「合体して何かになるのかと思ったけど、粒は粒のままだな……粒というより煤?」


 ダイダロスが怪訝な顔で言った。

 アプロが続ける。


「ここだけか? 他にも穴があるんじゃないか?」


 その声に呼応してアテナの聖霊が四散した。


「これだけ分かり易かったらすぐに見つかるわ。それにしても……なんて言うか、汚れ?」


「そんな感じですね。天井や床の四隅に集まっていくのも煤とか埃を連想させます。しかし今のところは打つ手がないです。出尽くすまで待つしかなさそうだ」


 入り口からそう言いながらヘルメが近づいてくる。


「同意するよ。下手に騒いで散らばる方が面倒だ。いっそ合体して大悪魔になってくれた方が倒しやすいからね」


 アプロがそう言うと神々は頷いて、手近な椅子に腰かけて緊張を解いた。

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