第10話 人間界にも天使がいた
そうこうしている間に野菜はすぐに売り切れてしまった。
トムじいさんの屋台はそもそも評判が良かったが、今日の客筋はいつもと違ったとロビンは言う。
「だっていつもはこの辺りの食堂の親父さんとかの方が多いのに、今日は女性客ばかりだったもん」
さすがに神界でも人気の高いクロスとヘルメが並んでいると否が応でも目立つ。
特に通りすがりの女性たちが吸い寄せられるように屋台に近づいてくるのだ。
クロスはにこやかに女性たちを褒め、ヘルメは王女を扱うがごとく女性達に接する。
このふたりなら腐ったキャベツでも売れるんじゃないかとロビンは思った。
「ただいまぁ」
ルナとトムじいさんが戻ってきた。
「なんと! もう売り切れたのか。まだ昼前だというのに大したものだ。疲れただろう?」
ヘルメがニコッと笑いながらルナを抱き上げて言う。
「いいえ、ちっとも疲れてはいませんよ」
「今日は早じまいにして美味しいものでも食べに行こうかの。明日からは苗の植え付けで忙しくなるぞ」
トムじいさんの声にロビンとルナが歓声を上げた。
テキパキと片づけをして、荷物を台車に積み込んだ一行は、市場の南へと移動していく。
この町の市場は北側に衣料品の店、東側に食料品の店が並んでいる。
西側は広場になっていて、南側が食事を提供する屋台が連なり市場全体がコの字に形成されているのだ。
「今日は何を食べるの?」
ルナがヘルメに抱かれたまま嬉しそうな声を出す。
屋台を引いていたクロスの腹の虫がぎゅるっと鳴き声をあげた。
「そうじゃなぁ、いつもは屋台で簡単に済ませるが、今日はクロスとヘルメの歓迎会じゃから、あの食堂に行こうか」
トムじいさんの声にロビンが泣きそうなほど喜んでいる。
クロスがロビンに聞いた。
「そんな泣くほど旨いの?」
「うん、あそこのミートパイとミートパスタはたぶん世界で一番うまいよ」
「そりゃ楽しみだが、ロビンは肉が好きだなぁ」
まだ食べてもいないのに満足そうに頷くクロスにロビンが耳打ちをする。
「安くて旨いって評判だけれど、僕たちにとってはかなりの贅沢さ。ヘルメとクロスがきてくれたお陰だね。だって今までは誕生日にしか行けなかったんだもの」
「誕生日か……ロビンはなぜ誕生日を祝うか知っているかい?」
珍しくまじめな声を出したクロスの顔を見上げるロビンが小首を傾げた。
「生まれた日を忘れないため?」
「そうだね、それもある。でもね、一番の理由は君が生きているというだけで嬉しいほど尊い存在だということを君自身に示すためなんだよ」
「僕が? 尊い?」
「ああ、そうさ。おじいさんが君の誕生日にごちそうを食べさせてくれるのは、君がこの1年を生きていてくれてありがとうっていう気持ちを表しているんだ」
「そうなのかな……僕はおじいさんに負担ばかりを掛けているような気がしてる。ルナもそうだよ。僕たち兄妹を引きとらなければ、おじいさんはもっと楽な暮らしをしていたはずさ」
クロスがロビンの頭を撫でた。
「うん、確かに金銭面ではそうかもしれない。でも君たちがいることでトムじいさんはひとりでいるよりずっと楽しい人生を送っているぞ」
「そうかな……」
ロビンは少し嬉しそうな顔をした。
「さあ、ここだ」
トムじいさんが食堂の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
明るい声が一行を出迎えた。
その声の主を見た瞬間、クロスは固まったように動けなくなってしまった。
「拙いぞ、ヘルメ。僕はどうやら恋をしたようだ」
頬を染めるクロスの戯言をマルっと無視した4人は、それぞれに注文を始めた。
トムじいさんがにこやかな声で言う。
「遠慮せずに好きなものを頼みなさい」
ロビンはミートパスタを、ルナはチキンジンジャーを頼む。
トムじいさんとヘルメはポークステーキを注文し、ミートパイは人数分ということで落ち着いた。
「クロスは頼まんのか?」
「僕は星海魚のフライを」
そう言ったクロスの頭をパコッと叩いたヘルメが代わりに言う。
「白身魚のフライをお願いします」
忙しくホールを行き来するその女性をガン見しているクロスの横で、ロビンとルナがせっせと料理を口に運ぶ。
「可愛い……」
「あの子はアンナマリーという名前だよ。本当はこんなところで働くような子じゃないんだが、親が騙されて借金を抱えてしまってのぅ。貴族の令嬢だというのに可哀そうな娘じゃ」
ゆっくりと肉を咀嚼しながらトムじいさんが言った。
「へぇ、貴族令嬢ですか。なるほど所作が美しいですね」
ヘルメが自分の肉を半分ロビンに渡してやりながら、視線をアンナマリーに向けた。
じっとその動きを目で追っていたヘルメがふと言う。
「なるほど、借金を返済するために屋敷を手放したわけですか。母親はすでに亡く、父親も働けないほど体を壊している……よくある没落パターンですね」
神が持つ能力なら全てが見えるのだが、今のクロスには使えない。
「そうなの? それで働いているってことか。健気だねぇ、ますます惚れてしまった」
料理に手を付けることも忘れてアンナマリーを見ているクロスの皿から、フライを一切れずつ子供たちの皿に移しながらヘルメが言った。
「指を動かしても何も起きませんよ。さっさと食べてしまいなさい」
その声も耳に入らない様子でずっとアンナマリーを見ているクロス。
ヘルメは溜息を吐いてクロスの皿を子供たちの前に移動してやった。
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