第14話 人間界のルール

 横に並んで歩いているロビンにオペラが話しかけた。


「もう無いかもしれないけれど行くだけ行ってみる」


「僕も一緒に行くよ」


 食堂街に差しかかったオペラが恥ずかしそうにクロスを見た。


「明日のご飯を探してくるからちょっと待ってて」


 笑顔で頷いたクロスが肩に乗せているマカロに聞いた。


「いつもあそこで貰ってるの?」


「ううん、決まってないよ。残ってなかったら食べないだけだもの。でもお母さんが……」


「ん? お母さんが?」


「何かを持って帰らないとお母さんが兄ちゃんを打つの。兄ちゃん痛そうで可哀そう」


「そうか……」


 クロスは平気そうな顔をしながら何でもないように返事をした。

 食堂の裏手に回った兄を心配そうに見ているマカロにクロスが話しかける。


「きっとオペラはお母さんにぶたれるから行くんじゃないと思うぞ? マカロが腹を空かせるのが嫌だから頑張ってるんだ。だからマカロは『かわいそう』じゃなくて『ありがとう』だな。その方がオペラは喜ぶ」


「そうなの?」


「うん、ずっと前に母親に言われたことがあるんだよ。誰かのために苦労するのはかわいそうな事じゃないってね。苦労してまで自分のために何かをしてくれたのなら、ありがとう以外の言葉は当てはまらないんだ」


「クロスのお母さん?」


「そう、僕のお母さん。すごいきれいだけれど、怒ると地獄の門番のような顔になってめちゃくちゃ怖いんだ。体だっていつもの10倍くらい大きくなるんだぜ?」


「きれいだけど怖いの? 僕のお母さんと一緒だね」


「うん、一緒だね」


 マカロはクロスの顔を覗き込んで嬉しそうに笑った。

 食堂の裏手に回ると、廃棄用の箱の前にオペラとロビンがしゃがんでいる。


「良さそうなのあった?」


 クロスが声を掛けると、ゴソゴソと箱の中を漁りながらオペラが首を横に振った。


「腐ってるものしか残ってないみたい。今日は諦めるよ、ごめんなマカロ」


 マカロはプルプルと首を横に振った。


「そうか……この店しかないの?」


「ここが最後。全部見てまわったけどもう何も無かったんだ」


 悲しそうな顔でそう返事をしたオペラの後ろで食堂の勝手口が開いた。


「あら? 今日は遅かったのね。まだ残ってた?」


 その声の主を見たクロスが叫んだ。


「アンナマリー! マイエンジェル!」


 どうやらここはあの日みんなで行った食堂の勝手口らしい。


「あら! 先日はご来店いただきありがとうございました。今日は? えっと……もしかしてこの子たちとお知り合いなんですか?」


「ええ、友達です。アンナマリーは? 今からお帰りに?」


「はい、今日のお仕事は終わりです。ああ、そうだ。ちょっと待ってて」


 そう言うとアンナマリーは店の中に戻って行った。

 しばらく待っていると皿に盛られた料理のようなものを持って出てきて声を出した。


「これは焦げちゃってお客様にお出しできなかった料理なの。焦げたところを剝がせば食べられると思うよ? 良ければ持って帰る?」


 オペラが目を見開いた。


「良いんですか?」


「うん、なんだかもったいなくて捨て損ねたものだから遠慮なくどうぞ」


「ありがとう! 本当にありがとうございます!」


 ニコッと笑ったアンナマリーが自分の籠からパンを二つ取り出した。


「いつも弟の面倒をみて偉いなって思っていたからこれはご褒美よ。仲良く分けて食べなさいね。でも他の子たちには内緒よ? みんなの分までは無いから。お皿は明日でいいわ」


 そう言うと皿の上にパンを置いてオペラに渡した。


「ありがとうございます。明日は早く来てお姉さんの掃除を手伝うね。本当にありがとう」


「あら、お手伝いなんて良いのよ? いろいろ辛いけれどお互い頑張ろうね」


 そう言うとアンナマリーはクロスにペコっと頭を下げて歩き出した。


「マイエンジェル、私にあなたをお送りする栄誉をお与えくださいませんか?」


 クロスがサッとエスコートの手を差し出した。

 クスっと笑ったアンナマリーが言う。


「まだ明るいですし、私より子供たちを送ってやってくださいな。この子たちの住む地域は少し治安も悪いと聞きますし」


 少し迷ったクロスだったが、いつかヘルメとトムじいさんに言われた言葉を思い出した。


「そうですね。頼まれたことを完遂しないと次に行ってはダメでした。残念ですがそうしましょう。責任のある行動をする。これが人間界のルールです」


 キョトンとした顔で小首を傾げたアンナマリーがクロスの顔を見た。


「ええ、その通りだと思いますわ。今を一生懸命に生きていなければ明るい明日は来ませんものね。では私はこれで。ロビン君、またみんなでお店に来てね」


 子供たちとクロスにひらひらと手を振って去って行くアンナマリー。


「ああ……アンナマリー! マイスイートハート!」


 目をウルウルさせて呟いているクロスの服をマカロが引っ張った。


「早く帰ろう?」


「うん、そうだね」


 アンナマリーから貰った皿を後生大事に抱えながら、オペラとマカロは足を早めた。

 その後ろでロビンがクロスに言う。


「きれいなお姉さんは優しいんだね。いっぱい頑張って働けば、またあのお店に行けるよね、きっと」


「きっとそうだよ。明日からも頑張ろう」


 クロスとロビンは幼い兄弟の後を追った。

 ふたりが母親と暮らしている家はとても小さく、同じような家が連なっている路地の奥の方にあるようだ。

 玄関の前に椅子を出して、半裸に近い格好で行きかう男たちに声を掛けている女たちの間を、スルスルと子供三人と神々しいほどの美男が通り抜けて行く。


「あ……もうお客さんがいるみたいだ。僕たちは薪小屋に行かなくちゃいけないからここでいいよ。送ってくれてありがとうね」


 ロビンが一歩前に出る。


「こっちこそ本当にありがとう。オペラもマカロも僕たちの恩人だ。この恩は絶対に忘れないよ。困ったことがあったら必ず助けるから」


 子供たちの会話を聞きながらクロスがカーテンの隙間から中を覗くと、下卑た男の相手をする母親の姿が見えた。

 人間界に来るまでは毎日のようにやっていたことと同じ行動を目の当たりにしたクロスは何かをじっと考えている。


「クロス、帰ろう。もう暗くなっちゃうよ」


 ロビンの声に頷くと、手を繋いで歩いて行くオペラとマカロの姿が見えた。


「さあ、僕たちも帰ろうか。きっとヘルメが指一本で旨いものを作っているはずだ」


 ロビンの手を握って来た道を戻ろうとしたクロスを、女たちが取り囲む。


「ねえ、助けると思って遊んどくれよ」


「サービスするからさあ。あんたみたいな良い男なら半額でいいよ」


 クロスは愛想笑いを浮かべて女たちに言った。


「ありがたい話だが、あいにく僕は無一文なんだよ。ここには子供を送ってきただけだ。もし大金持ちになったらまた来るから、楽しいこといっぱいしようね」


 金がないと聞いた女たちは潮が引くようにいなくなった。


「すごいあからさまだね……まあ商売ってことか」


 妙に大人びたことを口にしたロビンがクロスの手をグイッと引いた。 

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