第38話 クロスの役割

 予想もしていなかった事態に、神々の反応が遅れる。

 一番最初に動いたのはクロスだった。

 小さな青い炎がアンナマリーと子供たちに到達する前に、クロスが体を割り込ませる。

 ズボッという音がした。


「クロス!」


 駆け出したのはヘルメだ。

 次に動きだしたアテナがアンナマリーと子供たちを抱き上げ、クロスから距離をとる。


「クロス……」


 クロスの胸が内側からプスプスと焦げ始めていた。


「お父さん、僕の役割がわかった。今、唐突に理解した。メデューサを呼んで欲しい」


 ゼウルスはその言葉で全てを悟った。

 アプロにメデューサ召喚を命じ、聖堂で怪我人の手当に当たっているクロスの母ヘレナを呼んだ。


「クロス!」


 可愛い末息子に駆け寄ろうとするヘレナを抱いて止めたゼウルスが言った。


「我が息子クロスを取り囲め」


 神々が苦痛に満ちた顔でクロスを囲む。

 アンナマリーと子供たちを守るアテナは、ヘルメに助けを求めるような視線を投げた。


「代わりましょう、アテナ。子供たちを頼みます」


 アテナからアンナマリーの体を受け取ったヘルメが、彼女の肩を抱いてゆっくりとクロスに近づいた。


「クロス……それが役割だと?」


 体を燻らせ、苦痛に顔を歪めながらクロスが頷いた。


「うん、そうみたい。突然なんだね、驚いたよ。燃え尽きる前に石になる。ねえヘルメ、僕だった石をこの地に残してくれない? 僕はここがとても好きなんだ」


「わかりました。そのように計らいましょう。この広場の中央にオベリスクを建てるそうですから、そこにいるのはどうです?」


「ああ……いいね。石になると意識は消えるのかな」


 ゼウルスに付き添われたヘレナが口を開いた。


「神と生まれたのです。何があろうとも役割は全うするしかありません。この地に残りたいのですか?」


「ええ、お母さん。僕はここが大好きです」


「意識は消した方が良いですか?」


「できれば残してください。おそらく意識を保持していないとこの邪悪な炎を取り込み続けるのは難しいと感じます……痛い……痛いです。熱い……熱いよぉ……お母さん……」


 クロスがポロポロと涙を流した。


「クロスさん!」


 アンナマリーがクロスに手を伸ばす。


「アンナマリー、マイエンジェル。僕は君が大好きだ。ずっと前から好きだった。これからもずっとずっと好き」


「クロスさん、私もあなたが大好きです。いつプロポーズしてくれるのかと待っていたのに……あなた何も言ってくれなくて」


「うん、いろいろ事情があってね。ねえアンナマリー、幸せになりなよ? 僕の分も、オペラの分も幸せになってね」


「クロスさん……」


 クロスの吐く息が黒く変ってきた。

 内臓が焼け焦げて炭化を始めているのかもしれない。


「ヘルメ……もう限界だ。アンナマリーを頼む」


 頷いたヘルメがクロスに近づき、その頬にキスを贈った。


「世話が焼ける弟ほど可愛い存在ですよ。また会いに来ます」


 神々が入れ替わり立ち替わりクロスの頬にキスをした。

 ダイダロスがボロボロに泣きながら言う。


「会えないわけじゃない。精神は繋がる。俺もここに家を構えるよ」


「うん、たまには話をしよう。神界のこととかいろいろ教えてね」


 アプロが目隠しをしたメデューサを連れてきた。


「あ、メデちゃん。ごめんね? 寝てたんでしょ?」


 クロスが努めて明るい声を出した。


「大丈夫、珍しく起きていたわ。役割のことも聞いた。全身全霊でやらせてもらうから」


「うん、ありがとう」


 ゼウルスとヘレラがクロスの前に立った。


「お前の役割がこれほど大きなものとは考えもしなかった。お前を誇りに思うよ。クロス」


「うん、ありがとうお父さん。たまには会いに来てね」


 ヘレラがクロスの頬を撫でた。


「精神は浮遊できるようにしておくから。自由に羽ばたきなさい、クロス」


「お母さん、ありがとう。たぶんルシファーの中の神の欠片が、僕の魂とシンクロしたのだと思う。じゃないと堕天使ごときが神である僕の中に入れるはずはないものね」


「そうね、あなたは絶対神ゼウルスの子よ。そして私の子。愛しているわ」


 クロスの意識がふと飛びかけた。

 ゼウルスがヘレラを抱き寄せて距離をとった。

 アプロが大きな声を出す。


「目を閉じよ!」


 それを合図にメデューサが自分で目隠しを解き、クロスの瞳をまっすぐに見つめた。

 クロスはその目を正面から受けながら、優しい笑顔を浮かべる。


「じゃあみんな。ホントにいろいろありがとう!」


 クロスの最後の言葉は風になって消えた。


「終わったわ」


 自分で再び目隠しをしたメデューサが声を出す。


「ありがとう、メデューサ。さあ、送ろう」


 アプロの声に首を振ったメデューサが言う。


「大丈夫、ひとりで戻るわ。最後にクロスの像に触れても良いかしら」


「もちろんだ。さあ、私が手を引こう」


 アプロに手を引かれたメデューサが冷たい石像になったクロスに触れた。


「これから未来永劫、ヒビも入らないほど固い石になったクロス……初めて見たけれど、あなたは本当に美しいわね」


 神々が静かに涙を流している。

 やがてその涙は雨を呼び、三日三晩この地を濡らし続けた。

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