第26話 神々の思惑
その頃ヘルメは白烏に変身し、トラッド侯爵邸の上を旋回していた。
一緒に飛んでいるのはゼウルスの子供たちだ。
「あれから半年、全く動きがないな」
戦いの神であるマルスとアテナが声を出した。
「ええ、毎日必ず見ているのですがまったく動きませんし、成長もしていません」
ヘルメの答えにアプロが声を出した。
「こっちから仕掛けてみる?」
ヘルメが疑問を投げかける。
「目的がわからないので、まだ時期尚早ではないですか? 見張りの使役神は送り込んでいますから、そのうちわかるでしょう」
アテナが頷く。
「もしかしたらあちらも時期を伺っているのかもしれないわ。目的によっては殲滅する必要があるわね。ところであの聖堂はどう?」
「ダイダロスが守っていますよ。それにクロスも一緒ですから」
「でも今のクロスは人間と同じなのでしょう? 足手まといになるだけよ」
「そうでもないですよ? 彼もよく頑張っています」
マルスがヘルメを見た。
「厳しいお前がそういうのなら、わが弟もそれなりに努力しているということだろう。そろそろ戻してやりたいものだが」
ヘルメが口を開く。
「戻すと言ってもまだ役割が降りてないですからね……」
そこにいた全員が小さくため息を吐いた。
「まあ、現状維持ということで。準備だけは怠らないようにしましょうか」
「この状況はこちらで父上に報告しておくよ。ヘルメはご苦労だけれどクロスをよろしく頼む」
「ええ、なかなか気に入ってるのですよ。今回のお仕事は楽しいです」
白烏が一羽だけ軌道を外れる。
それと同時に他の三羽は空に吸い込まれていった。
神界へと帰っていく三人と別れたヘルメはトムじいさんの家へ。
もうすっかり体の調子も戻ったトムじいさんだったが、市場への出店は休んだまま畑仕事に専念している。
三人で細々とやっていた頃に比べると、作付け面積は約10倍になっていた。
「おかえりなさい ヘルメ」
来月の誕生日を迎えると9歳になるルナは、相変わらずヘルメを見ると抱きついてくる。
「ただいま帰りました、ルナ。いい子にしていましたか?」
ポケットからルビーキャンディを取り出してルナにひとつ、ロビンにひとつ渡してやる。
「おかえり、ヘルメ。今日のクロスとダイダロスはどうだった?」
ロビンの声に笑顔で答える。
「相変わらずでしたよ。ダイダロスと一緒に聖堂の修理をしていました。そう言えば牧師さんに聞いたのですが、学校を聖堂から牧師会館に移すそうです」
「そうなの? 人数が増えたのかな」
「いえ、人数はむしろ減ったようですが、聖堂の中を直す工事が始まるからだそうです。そう言えばロビン。学校には行かないのですか? あれほど行きたがっていたのに」
ロビンがもじもじしながら声を出す。
「だって読み書きや計算はヘルメに教わったし、カブたちとも仲良くなったから。それよりやりたいことがあるんだ」
ヘルメが怪訝な顔をした。
「やりたいこと? 畑仕事ですか? それは人手が足りているでしょう」
ロビンがポケットから折りたたまれたチラシを差し出す。
「これ、この前市場で配ってたんだけど、どう思う?」
ヘルメはチラシを受け取りながら荷物を置いた。
「これは……ロビンは騎士になりたいのですか?」
「うん、僕もヘルメやクロスのように強くなって街のみんなを守りたいなって思って」
じっくりとチラシを見ていたヘルメが真剣な顔でロビンを見た。
「これは預からせてください。騎士というのは街を守る立派な仕事ですが、いざという時には武器を持って悪人を成敗しなくてはいけないのです。とても辛い訓練を重ね、精神的にも肉体的にも強靭でなくてはなりません。しかも王城の騎士ともなると戦争に行かなくてはなりませんよ?」
「うん、わかっているよ。だからこそ僕は……」
ヘルメがロビンの言葉を遮った。
「ロビンに人を殺せますか? 悪人だから殺しても良いと? もし間違いだったとしたら? 誤解で罪のない人を殺めたとして、あなたはそれに耐えられますか? ましてや戦争ともなると悪人ではない人間に剣を向けるのですよ?」
いつもなら『凄い』とか『頑張れ』と言って励ますヘルメのシビアな言葉に、ロビンは息をのんだ。
「ヘルメ……」
「良いですか? ロビン。生まれつき悪人という人間はほとんどいません。何かの理由があって悪に手を出してしまうのです。うちの従業員たちもそうでしょう? 貧しさに負けて悪いことに加担してしまった。そしてそんな人間でも親がいて兄弟もいる。友達だっているかもしれない」
「う……それは……」
ヘルメが一歩前に出てロビンと視線を合わせた。
「今から私が言うことをよく聞いて、理解したうえで返事をして下さい。すぐでなくとも構いません。後悔の無い返事を準備できてからでいいですから」
「うん……わかった」
ヘルメが数秒の沈黙の後、低いトーンで言った。
「ロビンは自分の大切な人が殺されそうになった時、迷わずその相手を殺せますか?」
「え? 殺す?」
「そうです。その事象が起こってしまった原因などは関係ありません。その瞬間だけを切り取って考えて下さい。さあ、ご飯にしましょうか」
そのやり取りを黙ってみていたトムじいさんが黙ったまま椅子から立ち上がった。
竈に向かいスープを温めなおす。
パンは教会で焼かれたもので、毎日クロスが届けに来る。
皿を並べ終えたルナが従業員たちを呼びに行った。
「いただきます」
人数が増えたので大きなテーブルに替えたトムじいさんのダイニングは狭い。
肩を寄せ合って同じ料理を和気あいあいと食べるこの時間は、ヘルメの幸せの時間だ。
少し前までなら考えることもなく否定したであろう自分に、この充足感を教えてやりたいとヘルメは思った。
「クロスはいつ帰ってくるの? 毎日顔は出すけれど。教会に引っ越したの?」
トムじいさんがルナの頭を撫でた。
「いや、必ず帰ってくるよ。あの子は光のような子じゃからのう。みんなが離したがらんのじゃろうて」
ふと視線をあげてヘルメがトムじいさんを見た。
「光の子……」
「そうじゃろう? ヘルメ」
ヘルメは薄く微笑んだが、声にはしなかった。
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