第25話 アンナマリーの過去
そうして石窯は順調に稼働し始め、カブとサンズの努力により約十日ほどで商品となりえる品質のパンを焼くことに成功した。
孤児院の子供たちはパンだけは困ることも無くなり、常に腹を空かせているという状態からは脱却できたにだ。
出来の良いものは市場のパン屋で売ってもらい、カブとサンズは少ないなりにも収入を得ることができるようになってきた。
その金を貯めておいて次の小麦や薪を仕入れる。
残った現金は孤児院へ寄付するのが二人の楽しみだ。
しかし、天候や季節によって石窯の機嫌は変わる。
釜内の場所によって温度にムラがあり、固くなったり焦げたりするのだ。
それを師匠であるパン職人に聞くと、火元となる薪の置き場所を変えてみろと助言を受けた。
「そう言えば煤切れしている場所としていない場所があるよね」
サンズの声にカブが頷いた。
「うん、備蓄する熱が均等でないということか」
それからも二人の試行錯誤は続く。
クロスと並んでその様子を見ていたダイダロスが言う。
「もう一回ヘスティアでも呼んで調整してもらう?」
「いや、彼らのためにはならない。やってみて納得した方が良いんじゃない?」
クロスの返事にダイダロスが目を丸くした。
「お前……成長したなぁ。いや、驚いたよ」
クロスが照れくさそうに肩を竦めた。
「毎日さぁ、市場を回って困っている人を探してるだろ? でもね、本当に困っている人って意外と少ないんだ。困っているほとんどの人は『思い通りにならないから困っている』だけなんだよね。それを助けちゃうと結局は本人のためにならなかったりするんだ」
「へえぇ、そんなもんなのか? 俺ならさっさと手を貸してやって、さっさと終わらせた方が良いと考えるだろうな」
「僕も最初はそう思ってそうしてた。でもね、ある日アンナマリーに言われたんだよ『それでは本当に助けたことにはならない』って」
「どういうこと?」
クロスが秋らしい高い空を見上げながら言った。
「また同じことを繰り返しちゃうんだってさ。気を付けて見ていると、確かにそうなんだよね。お金に困っているとか、食べ物に困っているからって、それを与えてしまうとさ、無くなるとまた同じように困る。もっと言えば、誰かに不幸を訴えれば何とかなるって考えちゃう人間もいる。そしてもっと状況を悪くするんだ。犯罪に走るとかね」
「根本的な解決ってことか。なるほどなぁ……時間も手間も金もかかるけれど、本当の手助けってそういうものなのかもしれないな。良いこと言うじゃん、アンマリーちゃん」
嬉しそうな顔でクロスが何度も頷いた。
「彼女はね、この国の王太子妃候補になっていたこともあるほどの子なんだよ。でも当主が病弱なうえに騙されちゃってね。没落が始まると歯止めはきかないらしい。最初は助けてくれていた親族もいたのだけれど、そのうちに誰も手を出さなくなったんだってさ」
「まあ、それはそういうものかもしれんな」
ダイダロスは眉を寄せたが、手を引いた親族たちの心情もわかるようだ。
「誰だって自分がかわいいもの。そこでアンナマリーは考えたんだ。いったい何にこれほど金がかかっているのかってね」
「おおっ! 抜本的改革に乗り出したんだな? それで原因は何だったの?」
「貴族としての体裁維持と貴族税の支払い。だけど、それを止めてしまえばアンナマリーの稼ぎだけでも暮らせる。まあ、贅沢はできないし、今までのように使用人を雇うことはできないけれど、父親と二人なら食べてはいけるんだ。要するに貴族ってことが原因だった」
「しかし貴族令嬢がそれを決断するっていうのは、なかなか勇気が必要だったろう」
「切っ掛けがあったんだ。無理して王太子妃候補のお茶会に行った時、他の令嬢が競うように王太子にプレゼントを贈っていて、何も持ってこなかった自分は末席に移動させられちゃったんだってさ。あれほど好きだった王太子と、それに群がるように媚を売る令嬢たちを見ていたら、もうどうでも良いって心の底から思えたって笑ってた」
「なるほどなぁ。それで今の暮らしを?」
小さな女の子がどこからか摘んできた野花を受け取りながらクロスが頷く。
「うん、使用人たちには紹介状を渡して暇をだし、爵位も屋敷も土地も全部売ったんだ。抱えていた借金をそれで全て返済し、残ったお金で食堂街の南に小さな家を買った。驚くほど小さな庭のある赤い屋根の家だ。一階に父親の寝室とリビングと水回りがあって、アンナマリーの部屋は二階さ。二階っていっても屋根裏部屋のようなものらしい」
「お前ってまだ行ったこと無いの? あれほど熱烈にアプローチしてるのに?」
「うん、僕って今まで女性関係で苦労したことが無いでしょ? どうすれば次に進めるかが良く分かんないんだよね。でも今の関係が心地よいっていうか……話を続けるね? 最初はどこか商家の家庭教師をしようと思ってたらしい。でも、心労が祟ったんだろうね、病弱だった父親が寝付いてしまった。持っていた金は全て治療費で消え、その日に食べるものも困るようになったんだよ」
「そりゃ災難だったね。それで今の職を?」
「うん、何か食べ物を分けてもらえないか頼みに行ったら、働けるなら自分で稼げって言われたんだってさ。それで雇ってくれたんだからあの店主夫婦もいい人だよね」
「なるほどなぁ、それで最初の言葉か。まあきっとその店主もあんな別嬪さんが必死で食べ物を探してる姿に同情したんだろう。もしその時に食べ物を貰っていたら、今頃彼女は裏町に立っていたかもしれない」
「そうだよね……でもね、アンナマリーは貴族でいた時より平民になった今の方が、生きているって実感できるって言ってたよ」
「生きるってそういうことなんだよな。必死で命を繋ぐという営みだもんな。贅沢とかそういうのは趣味趣向で、生きるために必要なものではないもん」
ダイダロスの言葉にクロスが大きく頷いた。
「そうだよね、だから神々はあんな暮らしをしてるんだ。生きようとしなくても生きてるから、趣味趣向とか快楽とかそういうことしかすることが無いんだ」
ダイダロスがニヤッと笑った。
「そうでもないぜ? 俺たちにはそれぞれ役割というものがあるだろ? サボるとすぐに人が死ぬ。甘やかしすぎてもダメだし、放置し過ぎてもダメ。なかなかさじ加減が大変だ。そう言えばお前の役割ってまだ知らされてないの?」
「うん、知らない。どこからか通達が来るの?」
「いや、ある日突然わかるんだ。何というのかな……唐突に理解するんだよ。ああ、これだって感じで。そうかぁ、まだなのか……それも辛いな」
「誰が決めるんだろ。父上とか?」
「いや、ゼウルス様も絶対神という役割を知らされたからやっているんだ。ヘレラ様もそうさ。お前の兄や姉もね。もしかしたらお前ってとんでもない役割なのかもよ?」
「まあ、待つしかないってことだよね。待つっていえば、ダイダロスは帰らなくていいのかい? 半年くらいここに居るでしょ?」
「うん、今の俺はここの聖堂を維持管理することが役割だから、ちゃんと仕事はしてるんだ。どうやらあの聖堂にはとんでもないものがあるみたいだぜ?」
「え? 何があるの?」
クロスの問いを攫うように、一陣の風が二人の髪を揺らした。
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