第28話 グレナデンの実
「うん、冥界の匂いだろ? 甘いグレナデンの香りだ」
「でも冥界と神界の通門はヘレラ様の宮殿の奥にしか無いはずでしょ?」
「俺もそう聞いているよ。でももし冥界への扉が残っていたとしたら……」
「ゼウルス様はなんと?」
「うん、もし本当にあるならハデスも気付いていないのかもしれないと言っていた」
「ではルシファーはここから?」
「おそらくね。出たはいいが、ここの聖なる空気にやられたんだろう。だから今は鳴りを潜めているんじゃないかな」
「トラッドという男の屋敷には、間違いなくルシファーの気配があったわ。体を再生しながらトラッドを操っているってこと?」
「どうだろう。例えそうだとしてもトラッドという奴が相当邪悪でないとルシファーとはシンクロしないはずだ」
「そうよね……とにかくその隙間を探しましょう。今日は使徒をたくさん召喚してきたのよ。二人より仕事が早いわ」
ダイダロスとアテナは祭壇の前に立った。
「さあお前たち。冥界の匂いが漏れ出している穴を探しなさい」
アテナの声で光の粒が一斉に動き出した。
「後は頼むよ、アテナ。俺はひび割れを直しながら崩れそうな場所を修復していくから」
アテナは頷いて祭壇に座った。
ふと天井を見上げると、ところどころ剝げかかった聖画が描かれている。
「随分古いわね……それにしてもあの中央に描かれているのは誰なのかしら。学校の壁にも知らない男の顔が貼ってあったし」
描かれている顔を一つ一つじっくりと見ていくアテナ。
「あら? あれは……ハデス?」
唯一それらしい顔を見つけたアテナは、描かれているハデスが指さす方向に目を向けた。
そこには神界の花々が咲き乱れるように描き出され、その花々が一本の木を取り囲んでいる。
「あの木はグレナデンね。でもまだ実ってないわ。ん? ひとつだけ実ってる? でも大きな虫食いのあとが……あっ!」
アテナは慌てて立ち上がると、壁に漆喰を塗っていたダイダロスに駆け寄った。
「ダイダロス! 見つけたかもしれない!」
「なんだと!」
道具をその場においたダイダロスにアテナが天井を指さした。
「行ってみよう」
二人は白い烏になって天井に飛んだ。
「虫食い痕にしか見えないな……とんでもなく巧妙なだまし絵だ」
「ホントね。これじゃ見落とすのも仕方がないわ。どうする?」
アテナがダイダロスの顔を見た。
「ヘルメに相談だ」
アテナは頷くと、散っていた光の粒を呼び戻し、天井に描かれたグレナデンの実の周りを取り囲むように命じた。
「呼びましたか?」
パッと姿を現したのはヘルメだ。
「うん、呼んだ。見てよ、コレ。間違いないと思うの」
ヘルメはアテナが指さした絵をじっくりと眺めた。
「これは……かなり計画的な犯行ですねぇ。それも描かれてから千年は経っている」
「千年といえばルシファーの反乱の終焉の頃ね?」
「もしかすると、捕縛を覚悟したルシファーが細工をしたのかもしれませんね」
三人は顔を見合わせた。
ダイダロスが声を出す。
「クロスはどうする?」
「いや、今のあいつは人間の体ですから知らせない方がいいでしょう。アテナ、神界に帰ってマルスとアプロを連れてきてください。ゼウルス様への報告もお願いしますよ」
「わかったわ。ヘルメとダイダロスはここに残るのね? それにしてもヘルメは相変わらずクロスに甘いわねぇ」
「そうでもないですよ? 厳しく接しているつもりです。私もここに残りましょう。もしこの穴を通してルシファー派の堕天使が抜けてくるとしたら、使徒だけでは防ぎきれませんからね」
「俺はとりあえずこの穴を塞いでみよう。もしかしたらここだけではないかもしれないが、ひとつずつ潰すしか今は手が無い」
ダイダロスの言葉に頷いたアテナがフッと消えた。
「いよいよですね。ルシファーがいったい何を企んでいるのか……」
ヘルメの声にダイダロスが神妙な顔を向けた。
カチャリと音がして聖堂の扉が開く。
宙に浮いたままだった二人は、一瞬で白烏になり姿を隠した。
入ってきたのはアンナマリーだ。
「今日も静かね。甘い匂いがするわ、パンかしら」
アンナマリーはまっすぐに祭壇へと向かい跪く。
「天にまします我らが父よ。今日も家族に食事を持ちかえることができたことに感謝します。あなた様が遣わして下さったクロスは、今日も頑張って働いておりました。貧しい子供を使う振りをしながら、その子供たちに食事を与え、働くことで得るものの尊さを学ばせていました。昼過ぎには二人だった子供が、夕方には六人に増えていました」
ヘルメはぎょっと目を見開いて、クロスのポイント口座残高を確認し溜息を吐いた。
「子供たちは市場を廻り、困っている人がいると率先して手を差し伸べていました。礼を渡す者もいましたが、どの子もそれを受け取らず、笑って去って行くのです。あれほど貧しい暮らしをしながらも、報酬を受け取らない子供を見て、私は我が身が恥ずかしく……対価を得るためだけに働き、その対価を自分の家族のためだけに使っている私は醜い心を持っているのです。どうかお許しください……」
アンナマリはギュッと両手を握りしめて、一心に祈りを捧げている。
「そんなことは当たり前のことなのにな。でも子供たちはなぜ礼を受け取らなかったんだろうか」
ダイダロスがヘルメに聞いた。
「おそらく、その子供たちは役に立つことが嬉しかったのでしょう。大人の中で生きるしかない子供たちは、理不尽な目にあうことも多いでしょうし、正当な評価をしてもらえることなど皆無でしょうからね」
「彼女はクロスの話ばかりだな。付き合ってるの?」
「それは無いでしょう。頼りない弟を心配する姉の心境では?」
「納得」
二人がそんな話をコソコソとしていることなど露知らず、アンナマリーは神との対話を続ける。
「ここに来る前にクロスと話したのですが、明日も明後日も子供たちと一緒に見回りをするのだそうです。子供たちはすっかりクロスに懐いてしまって。とても楽しそうで、見ているだけでも心が明るくなるのです。明日にはいったい何人に増えているのでしょうね」
嬉しそうな顔で話し続けるアンナマリーを見下ろしている二羽の白い烏たちはゆっくりと目を閉じて、唄声のようなその声に耳を傾けていた。
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