第3話 働かざる者食うべからず

 そしてあくる朝、いつものようにゆっくりと目を開けたクロスは、見慣れぬ景色に戸惑いを覚えた。


「はぁぁぁ……良く寝たよ。こんなにぐっすり眠ったのは久しぶりだ。それにしても……帰る途中で寝ちゃったのかな。どこだよ、ここは。あれ? ペシュケちゃんは?」


「何をふざけたことを言っていやがるんですか。あなたはゼウルス様に罰を受けたのです。もう忘れたとか、どんだけスカスカの頭乗せていやがるんでしょうかねぇ」


「え? お前ヘルメじゃないか。お前も罰を受けたのか?」


「ふざけたことを抜かしやがるんじゃありません。私はあなたの監視役です。まったくとんでもない仕事ですよ。迷惑極まりまない。憧れのヘレラ様の頼みでなければ断っています」


「あれって本気だったのか……まあ、こっちにも可愛い子がいるかもだし。来たものは仕方がないよね? せっかくだから観光でもしようか」


「あんた様の頭には脱脂綿かなんかが詰まっているに違いないですね。雨が降ったらシミて重くなるんじゃないですか? 罰を受けたのだと言ったでしょう? その飾りのような耳に開いている穴をかっぽじって良く聞いて下さい。私は親切なので1回は説明しますが、2回も言うほどお人よしではありませんから」


 ポカンとした顔をしているクロスの正面に立ったヘルメが口を開いた。


「あんた様は罰として全ての神力を失っています。そうです、いわゆる神チート能力というやつはもう無いのです。従っていくら指を鳴らしても食べ物も女性も出てきません。自分では素敵だと誤解しているウィンクも何の効果もありませんからね」


「マジで……」


「ええ、マジです。ですから腹が減ったら食べ物を手に入れる算段をしなくてはいけないのです。ああ、先に言っておきますが、ここは人間界ですから人間界のルールに従わなくてはいけませんよ? 分かり易く言いますと、ケガをすれば痛いですし酷いと治りも遅いです。致命傷を負ってしまえば最悪死にます。ここまでは良いですか?」


 聞いてはいるのだろうが理解はしていない様子のクロス。


「はぁ……」


 ヘルメは厭味ったらしく溜息を吐いた後、クロスの鼻を指先でつついた。


「あんた様は現在素っ裸です。素っ裸で出歩くと迷惑防止条例違反と軽犯罪法違反、公然わいせつ罪で即拘留されます。牢屋から出るには保釈金が必要ですが、あんた様は無一文ですからね」


「無一文……」


「人としてまず為すべきは、その無駄に卑猥な体を布で隠し、助けてくれたご一家に心から礼を言うことですっ!」


「うん、わかった」


 一気に捲し立てたヘルメはその美貌を歪ませて肩で息をしている。


「じゃあヘルメ、準備を頼む。それと腹が減ったから食事もね。天界鶴は昨日食べたから、今日は星海魚が食べたいなぁ」


「何をふざけたことをほざきやがっていらっしゃるのですか。私はあんた様のお目付役です。ジャッジマンですよ? 今のあんた様は私に媚び諂いおべんちゃらを言わねばならん立場なのだといい加減理解しなさい。そんな私が、どうしてあんた様などのために動かねばならんのです?」


「だって他に方法がないじゃない。僕は能力を失ったんでしょ? でもヘルメは持っているんだよね? だったら君に頼むしかないじゃない」


「いくら温和な私でもしまいにゃブチきれますよ。憧れのヘレラ様の息子といえど容赦はしません。自分で稼いで来るんです。お金を稼いで必要なものを買うんです。それが人間界の常識です」


「だって僕は初めて人間界に来たんだよ? 他の神達は子供の頃に修学旅行できているけれど、僕は丁度その時『神風邪』にかかっちゃって行けなかったんだもん。ルールなんて知らないさ」


「……わかりました。では仕方がありません。その体で覚えて行くしかないですね」


「そんな冷たいこと言うなよ」


「私は慈悲深い神なので、衣だけは準備してあげましょう。そうでないと昨日のお嬢さんがあんた様のその一物を貝だと思って調理してしまうかもしれませんからね。人間にとって食中毒はとても恐ろしい病ですし」


「なんだ? それ」


 言うが早いかポヨンと薄紫の霞が立ち上り、クロスの体を包み込んだ。

 

「おお! 似合うじゃないですか。さすが私のチョイスです」


 クロスはどこから見ても農家の青年という服を纏っている。

 

「なんだか恥ずかしいな……似合う? っていうか、ヘルメの方がカッコいいじゃん」


「私は狩猟民族設定ですので」


「僕もそっちがいいなぁ……」


「文句を垂れるなら、裸に戻しますよ? そのだらしなくぶら下がっているミル貝を、いっそ切り刻んでマリネにしてケッパーでも添えてもらいますか?」


「いや……これで十分です」


「よろしい。人間働かざる者食うべからず。これを肝に銘じてください。ではルールの説明をします」


 クロスが嫌な顔をした。


「まだあるのか……」


「あんた様は修行に来たのです。修行の進捗度合は『ハッピーポイント』で計ります。これは人助けをしたり、他人のために何かをすると付与されるポイントで、この溜まり具合が判断基準となります」


「ハッピーポイント? 父上が考えそうなネーミングだが」


「ええ、発案者はゼウルス様です。そしてこのポイントは便利アイテムと交換することも可能です。例えば、畑を耕すために鍬という道具が必要だとしましょう。鍬の現物なら100ポイントで交換可能です」


「交換ってことは、苦労して貯めたポイントが減るってこと?」


「そうです。そして食料が必要な場合、お金が無いと手に入りませんよね? 人間界貨幣との交換レートは1ポイント=100エレ(100円)です。ちなみに屋台で帰る軽食だと300エレくらいでしょうか」


「世知辛いな……そのポイントっていうのは善行を施すことで貰えるんだよね? どのくらいのことをすればどのくらいのポイントが貰えるんだろうか」


「良い質問です。目の前で老婆がコケました。手助けをして立たせます。これで1ポイントですね」


「安っ!」


「バカな事をいってはいけません。ちなみにどのくらいのポイントを付与するかは、全て私の権限ですので、私への言動には気を付けた方が良いですよ」


「なんかズルい」


「何か言いましたか?」


「いいえ、何も言っていません」


 こうしてクロスの修行は唐突に始まったのだった。

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