第19話 初めての怪我

 アンナマリーの後ろからヘルメの声がした。


「動かない方が良いですよ、足の骨にヒビが入っていますし、腕もざっくりと切れていますからね」


「痛い……痛いよぉ」


 アンナマリーに縋りつこうとしたクロスだったが、思うように手が動かない。


「怪我ってこんなに痛いんだ……知らなかった」


「クロスって怪我したこと無いの?」


 ロビンが不思議そうな顔をした。


「うん、一度も無いよ。今までで一番痛かったのは父上のゲンコツで、2番目は母上のビンタだ」


 不思議な空気が流れたが、それを一切無視してクロスが続ける。


「ここは?」


「教会だよ。牧師様の部屋さ」


 きょろきょろと見回すと、壁にはたくさんのシミが浮き、小さなヒビがたくさんある。

 ベッドの他には小さな整理ダンスと机と椅子がひとつずつ。

 清貧を絵に描いたような部屋だとクロスは思った。


「牧師さんは?」


 ヘルメが答える。


「神に祈っておられるよ。敬虔な祈りは神界の糧だ」


「そうだね。子供たちは無事だった?」


 今度はロビンが答えた。


「うん、大丈夫。みんな心配してたよ。それとありがとうって言ってた」


「そうか、無事なら良いんだ。ねえヘルメ、あいつらは?」


「生かしてますよ。昨日の男たちとは違って黒幕の直下だったので、少々痛い目には合わせましたけれど」


「神なのに?」


「神の鉄槌というやつですよ」


 何を言っているのか理解できないでいるアンナマリーにクロスが言った。


「アンナマリーちゃんはどうしてここに?」


「今日はお客様が少なくて、お料理が余ったから店主さんに言われて持ってきたの。そうしたらあなたが怪我をしてるって聞いて……大丈夫?」


「うん、アンナマリーちゃんが撫でてくれたらすぐに治るよ」


 アンナマリーが小首を傾げた。


「私でいいの? ペシュケちゃんの方が良いんじゃない?」


 クロスは傷が痛んだ振りで誤魔化した。

 アンナマリーが帰った後、ヘルメに担がれたクロスが聖堂に顔を出すと、祭壇の前で一心に祈る牧師と子供たちの姿があった。

 ヘルメがボソッと言う。


「尊いですね」


「うん、尊いね。意味ないのに」


「それを言っちゃあおしまいですよ? クロス」


 牧師が祈りを中断して立ち上がった。


「クロスさん! 具合はどうですか?」


 子供たちも寄って来る。


「ええ、痛いけれどすぐに治ると思います。守り切れなくてすみませんでした」


「いいえ、守り切って下さいましたよ。ヘルメさんが強すぎるのです。指先だけで吹き飛ばしたように見えましたからね。まさに神業でした」


「ははは……」


 クロスが乾いた笑いを浮かべる横でヘルメが冷静な声で言う。


「私が連れて帰ります。もしまた何かあったら今日のように祈ってください」


「はあ……わかりました」


「それとあの男たちは雇い主のところに送り返しておきましたから、当分は来ないと思います」


「神と聖霊とあなた方に感謝の祈りを捧げます」


 ひょいっとクロスを担ぎなおしたヘルメがロビンに言う。


「さあロビン、帰りましょうか」


 右手にクロスを抱え、左手でロビンと手を繋ぐヘルメの後姿が、夕日に染まり長い影を落とした。

 牧師と子供たちはその背に向かって自然に頭を下げていた。

 市場で売れ残っていた串焼きを買った3人が家に戻ると、トムじいさんとルナが目を丸くして出迎えた。


「あのね、おじいさん……」


 ロビンが今日の出来事を話すと、おじいさんはニコニコしながら頷いた。


「それは良いことをしたのう。まあ、怪我をしたクロスは災難じゃったがなぁ」

 

 ヘルメがニコニコしながら言った。


「このくらいなら虫に刺されたようなものですよ。明日には治っているんじゃないですか? それより夕食を始めましょう。閉店前だったのでとても安く買えたのです」


 パン籠を中央に置き、皿に盛られた串焼きを囲む。

 テーブルにのせられたパンは孤児院に持っていたものとは違い、固くなった黒パンだ。

 ルナが甲斐甲斐しくスープに浸してクロスに食べさせてやっている。

 その姿を見ながらロビンがポツンと言った。


「僕も強くなりたいな」


「ロビンは十分に強いですよ? 腕力が強いとかケンカが強いというのだけが強さではないのです」


 新しい串焼きをロビンに手渡しながらヘルメがそう言った。

 トムじいさんが嬉しそうな顔でロビンを見ている。


「ああそうだ。神様の絵をカブに貰ったんだ。学校で配ってるんだって」


 ロビンがポケットから出して広げてみせる。

 トムじいさんとルナは感心したように手を合わせていたが、ヘルメとクロスは顔を見合わせていた。


「誰だ? これ」


「いや……私も知らないですねぇ」


 二人は頷きあって黙っておくことにした。

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