第14話
1939年5月、ノモンハン事件が勃発し陸海軍ともに大きな損害を被った。陸戦隊を投入して北樺太の占領に多くの死傷者を出したものの成功した。これに対しソ連側は国連安保理の開催を要求し開催されたが最終的に日本が遼東半島から完全撤退することで何とか折り合いをつけられた。ここで陸戦と空戦での戦いを見ていく
まず陸戦では従来の九五式戦車や八九式軽戦車を投入したがソ連軍の戦車に有効に対抗することはできず開発されたばかりでまだ満州および本土に本格配備が始まったばかりのに九八式中戦車一型を満州および本土より急遽取り寄せて投入した。(開発中に要求が変更になったことが原因で九七式は開発中止になっている)結果は主砲である70口径57mm砲は特に問題ないが装甲に不安があるとされたため、改良型である二型ではより装甲圧を増すようだ。
航空戦では九六式艦上戦闘機の改良型が投入され、ソ連のI-16相手にほぼ互角に戦った。(よく陸海共通にすると問題になるスロットル操作だがスロットルは前に倒すと出力が上がっていくタイプに統一された。九六式艦上戦闘機はその第一号である)そして試験評価隊で試験中だった十二試艦上戦闘機の量産試作機計4機が秘密裏に投入され戦闘を行った。結果的に我が国はソ連のI-16Pに搭載された20mm機関砲が原因で多数の九六式が撃墜された。しかしながら20mmを搭載していないI-16やI-153などといった7.62mmをメインに搭載している機体相手では初期のものとはいえど防弾装備のおかげで被弾しても多くの機体が帰還することができた。しかし損傷が激しく大半の機体はスクラップになったそうだ。
そして秘密裏に投入された十二試艦戦だったが投入された4機のうち2機が修復不可能な損傷を受けながらもかろうじて帰投する。(一機は片翼がもげてなくなっており片翼で帰還したらしい)この機体は九六式の7.7mmから進歩して12.7mmに耐えられるような設計であったがI-16Pに搭載された20mm機関砲はその防弾装備をやすやすと食い破った。そのため量産先行機ではエンジンを予定通り試作機の金星30型から大きく性能向上を果たした40型に換装する。防弾装備のうち胴体の防弾に関するものは20mmに耐えられるように設計を変更したため胴体の一部はソ連のIl-2のように防弾装備で構成されるようになった。このため十二試艦戦は要求が変更され、十三試艦戦として開発が始まった。しかしながらほとんど十二試艦戦の設計を流用しているため変わったところは防弾装備が12.7mmから一部20mmに変更されたこととスロットルにアナログ電算機を利用すること、動翼の稼働に電動モーターを使用することぐらいである。
また私が開発させたポリカーボネートおよびアクリル板の試作品が完成し九六式艦戦のキャノピーとして試験搭載された。パイロットいわく防弾ガラスより透明度が高いため見やすいとのことだ。これを受け共同航空本部は改設計試作機が製造中の十三試艦上戦闘機のキャノピーとして使用することを決定した。なお機体の生産に対して製造及び加工が間に合わない可能性があるためポリカーボネートとアクリルの製造及び加工の工場を十二試艦戦の製造工場の周りに建築することでなんとか対応することとした。排水に関しては軍が主導して行ったインフラ整備により下水処理に関しては世界一と言ってもおかしくないレベルに達していたため大した問題にはならなかった。
こうして紆余曲折ありつつもノモンハン事件から約1年が経過した1940年ついにあの戦闘機が正式採用された。
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この世界では要求が史実と似ているところが少ないため機体の見た目が全くの別物となっている。まずエンジンだがこれは三菱の金星が搭載された。また機体の外見だが見た目はFw190と四式戦闘機のハーフでキャノピーをポリカーボネート製のバブルキャノピーに変更した形そのものである。これは風洞実験の結果と量産性に考慮したためであろう。また武装は翼内にホ102とホ102の20mm版であるホ5を各2門ずつ搭載している。胴体には九九式敵味方識別装置や九九式射爆照準器、アナログ電算機搭載型スロットルを搭載した影響でスペースがなく搭載していない。またフラップなどの動翼は電動モーターで動かすようになったため駐機中でも外部電源を使用して動かすことが可能だ。ちなみにこの機体以降日本軍の機体は動翼の稼働には電動を採用している。
また機体には厚板構造を採用し、さらに機体をブロックごとに分けたため機体表面が滑らかになっているほか生産性の向上に一役買っている。
機体性能はこちらから
https://kakuyomu.jp/my/works/16818093086201913730/episodes/16818093087783676839
またほぼ同時期に開発されていた十二試陸上攻撃機が零式陸上攻撃機として正式採用された。この機体は九六式陸上攻撃機の後継機で最高速度、航続距離、兵器搭載量全てにおいて九六式を上回っていた。エンジンは中島の嵐を搭載しており最高速度は6,000mで260ktを叩き出している。無論この機体も動翼の稼働には電動モーターを採用している。
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また同年6月には「妙高」型が艦橋を「高雄」型に似た艦橋に変更すべくドックに入渠した。また同時に第3主砲を撤去し対潜ロケット発射装置の設置と船体の改修を行い戦闘指揮所を艦内に設置し、同時に電算機も設置する予定だ。これは2ヶ月後にドック入りした「高雄」型も同様の船体改修工事などを受けた。
8月には③計画で計画され、廃艦になる「赤城」「加賀」を改修して実証実験を行い続け建造された「明石」型工作艦が就役した。この艦は全長205m、最大幅21mという大型の船体に多数の工作機械を搭載しており、同時期に就役した「間宮」型給糧艦、301型補給艦とコンビを組むことで洋上で損傷した艦の修復や補給が可能であった。一番艦は「明石」と命名され同型艦は8隻建造された。
301型補給艦は「高雄」型重巡の船体をベースに設計された補給艦で燃料や弾薬、食料を補給することを目的として開発された。50t対応のクレーンを2基、100t対応のクレーンを1基装備しており、合わせて開発された移動式浮きドックと合わせて臨時の洋上修理基地を開設することが可能である。これに合わせ帝国海軍の全戦闘艦に対して洋上補給対応のバルブや配線が追加された。
「間宮」型給糧艦は艦隊や前線の兵士に食料などを届ける給糧艦で艦内には豪華客船並みの食堂や衣服の修復設備が完備されており、「明石」型や301型補給艦などとともに移動する食堂付きドックとして活躍した。同型艦は4隻である。
501型病院船は一号護衛空母をベースに建造された病院船で艦内にはいくら技術の向上により普通病院の設備がよくなったとは言えど軍の病院には劣っていたがこの艦はそれらより豪華な設備が整っていた。合計16隻が建造されたが、うち4隻はイギリスに日英同盟復活の証としてイギリスに送られた。かのアメリカからも注文が入ったため4隻が建造され送られた。
これらの後方支援艦を運用する艦隊として補給艦隊が編成された。この艦隊には
「明石」型工作艦2隻と「間宮」型給糧艦1隻、301型補給艦4隻、501型病院船2隻、九八式浮きドックとその他護衛の艦で構成される艦隊で各地に赴き損傷艦の補修や負傷者の治療が可能な艦隊である。
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あとがき
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