第15話
時は少しさかのぼり1939年9月、第二次世界大戦が勃発した。ナチスドイツは日本の諜報機関である東機関が予想した通りポーランドへと侵攻した。これに伴い③計画は実施期間が短縮され、④計画と戦時急増計画である第一次マル急計画が計画された。
④計画建造艦から見ていく
空母:「青龍」型の設計をベースに建造当初からアングルドデッキを採用し、飛行甲板にはCNC剛を使用し多少の抗堪性を確保する。艦の全長を将来の艦載機の大型化に備えて建造期間の長期化を承知で延長する。
重巡洋艦:20.3cm砲の搭載数が「妙高」型や「高雄」型より少なく拡張性が乏しい「青葉」型重巡及び「古鷹」型重巡の後継艦「生駒」型重巡ベース
防空巡洋艦:「北上」型の発展型
駆逐艦:「秋月」型と「陽炎」型の発展型
④計画で建造された艦には新型の近接防空用の機関砲が搭載される予定である
この機関砲は1936年より使用する新型弾薬とともに研究・試作に入っており、開発に難航したものの何とか1939年時点で試験で重巡洋艦「鳥海」に搭載して試験を行っていた。この試作機関砲は翌1940年に零式25mmガトリング砲として採用された。本機関砲は25×137mmを使用する5砲身の25mmガトリング砲で発射速度は毎分3,600発を誇っており、艦船の最後の砦として開発された。なお従来の96式25mm機銃は作動方式はそのままに弾薬を25×137mm弾に変更した99式25mm機銃に置き換えられた。しかし製造が追いつかないためバーツの交換だけで25×137mm弾を運用できるようにする現地改修キットが製作され、各地に送られた
一方の第一次マル急計画建造艦は以下の通りだ
空母は一号型護衛空母の設計をベースに全長を197mから220mに延長した空母となる予定だ。搭載機は50機から60機程度を目標としている。
巡洋艦は計画されず駆逐艦のみである。駆逐艦は701型護衛駆逐艦の設計はそのままに全長を120mから133mに延長し、延長した箇所に対潜兵器と対空兵器を増設する。
どちらも建造から就役まで6か月程度を目標としている。大量建造すると問題になる乗員の錬成に関しても帝国海軍は艦の基本的な操艦方法の統一化に力を入れており、駆逐艦は駆逐艦ですべてが同じ操艦方法だし、巡洋艦や空母、戦艦も同様に艦種ごとの細かな違いはありつつも基本的にはほとんど同じなため比較的短時間の講習と研修で操艦員を錬成することが可能となっている。艦の舵を取る操舵輪はすべての艦が現代の軍艦のように羅針艦橋にあるため操舵室がなくなっておりその代わり艦橋の操舵室があった部分には当直員の乗員区画が設置された。戦闘指揮所は艦橋の真下の船体に設置されているため艦橋が破壊されても艦の指揮を執ることが可能だ。
ちなみにブロック工法だが製造工場ごとに製造するブロックが決まっているため基本的には新型の艦船のブロック製造依頼が来ない限りは同じブロックを製造し、納入しているので設計を流用していれば基本的には建造期間は対して伸びない。このような体制のためもし戦闘の結果、艦が損傷したとしても工作艦を擁する支援補給艦隊で簡易修復を行いその後、本土または艦が入れるドックがある港に戻り、そこであらかじめ準備されている交換用ブロックと交換するというような運用が組まれている。各ドックにはその艦に対応するブロックを保管する専用の施設がある。もし仮に交戦国によってドックが空襲され破壊されてもその保管施設が無事であれば移動式の浮きドックを使用して工廠の機能を回復させることが可能だ。
1939年12月時点で新幹線設計主任の島秀雄が主導し製造された車両の試験は一通り終わっており、建設主任兼新幹線総合運輸局局長の大石重成が主導して建設を行ったことにより東海道はすでに完成し試運転中、東北新幹線は現在工事の9割が完了しておりどちらも開通日は予定通りだ。鉄道省は国土交通省へ編入されたため新たに発足した日本国有鉄道が日本全国の鉄道を管理することになり、初代総裁には島安次郎が就任し、新幹線総合運輸局長には十河信二が就任した。
自動車やバイクに関しては1940年から製造・開発されたものから日本技術研究所(通称技研)が開発したABS(アンチロック・ブレーキ・システム)を装備するようになり急ブレーキが原因の事故が大幅に減少した。これは鉄道車両にも採用されたが鉄道車両用のものは技研式のものをベースに鉄道技術研究所が開発したものを装備している。
また日本が1934年ごろに米国から言い値で購入し、省人化のために産業用ロボットなどの追加により独自の進化を遂げていた石油精製技術だが1939年時点で航空機、自動車用に限らず全てにおいて102オクタンガソリンが基本となっていた。しかしながら国内の場所により石油価格の差が激しかったり軍に納入される分は陸海軍が共同で設立した総合補給群が管理していたためそこまで問題にはならなかったがそれでも国内産業に影響を与える可能性があったため専門の委員会が総務省内部に新設された。これにより国内のガソリン価格は基本額から+10円程度に抑えられた。(お金に関しては1935年に2024年仕様に改められた。そのため当初かなりの混乱があったが1937年までに収束した)
産業用ロボットでは1935年より開発を開始し、1938年に試作機が完成し九六式艦戦を複座化した中等練習機である九七式中等練習機の生産ラインに組み込まれ試験を行っていた。そして1939年に試験の結果を受け改良された物が完成し、日本各地の工場に送られた。ロボットの導入により失業者の増加が懸念されたが国鉄や地方公共団体、軍がバス運転手や列車の運転手、輸送機のパイロットとして多くの人材を必要としていたためそこまで問題にはならなかった。
1941年には日英同盟締結による日英の技術者の交流やコンピューターの小型高性能化に成功したため1940年型や1939年型以上の性能を持った産業用ロボットが開発され導入された。(それまでは人間が安全なところから有線接続の操作盤を使って操作していた。)
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