第10話

1937年航空母艦「蒼龍」に試作油圧カタパルトが搭載され、様々な試験が行われた。そこで問題になったのが甲板で様々な作業員が入り混じるため混乱を引き起こすことだった。そのため甲板作業員は色のついたベストとヘルメットを着用させることで発艦にかかる時間を短縮することができた。のちにヘルメットは空母に限らずすべての艦に配備され、平時であっても着用して過ごすことが義務付けられた。


軍内部では石油や物資を運搬する輸送船や油槽船の数が1937年時点で計400隻となった。しかしながらこれを護衛する部隊はあるものの装備が貧弱でとても海上護衛の任を行えるとは考えられないため一度解体し海上護衛総隊として再編された。

装備は主に軽巡洋艦、駆逐艦、そして小型の護衛空母である。この護衛空母は新型重巡である「五十鈴」型の船体をベースに設計された空母で搭載機数は40機を誇り、さらにカタパルトやアングルド・デッキを採用しているのでその気になれば大型の爆弾や魚雷を抱えた艦攻を搭載可能だ。(建造は③計画を計画した後に開始された)主要諸元はこちら


https://kakuyomu.jp/my/works/16818093086201913730/episodes/16818093086211036473


艦爆だが急降下爆撃は対空砲火が激しい中では満足な戦果が得られないとのことから反跳爆撃に置き換わり、艦爆は廃止されすべてが艦攻に置き換えられた。


また改①計画及び②計画で計画された造船所の整備が完了し全国の海に面する都道府県にある港には少なくとも二つの小型ドックと1つの中型ドックが整備された。大型ドックうち横須賀、呉、佐世保にあったものは拡張、新設されさらに舞鶴、函館、大分、松山に新設された。その結果国内にある造船所は130か所ほどになった。


しかしある一つの問題が起きた。それは軍内部だけではなく内閣も頭を悩ませていたことだった。それは鉄道網が急速に発達したことで現在の輸送量では追いつかなくなっていた。このため国土交通省鉄道課および軍との共同で標準軌(1435mm)を使用する高速旅客線及び貨物線の整備が閣議決定された。こうして建設が1936年の5月より開始され、1940年に東京大阪間が翌1941年に東京仙台間が開通した。それぞれ東京大阪間が東海道新幹線と東海道貨物新幹線、東京仙台間が東北新幹線、東北貨物新幹線と名付けられた。史実より建設期間が短いのは軍の人員と一般募集した作業員が各メーカーが開発した建設機械を大量に使用してをスローガンに建設したためである。路線は全線電化・高架化されており、のため世界初の高速鉄道用の電車列車と貨物機関車が開発された。また国内の鉄道輸送量強化のために主要な幹線は全線電化され、多くの電気機関車が開発・製造された。これにより余った蒸気機関車は改軌され海外に送られたり、改軌されずに送られたりした。最も多くの蒸気機関車が送られたのは台湾および南樺太でそれ以外にも1939年のノモンハン事件でどさくさに紛れて占領した北樺太にも同様に送られた。

1938年貨物用の新型電気機関車が開発・製造された。この機関車はEF58と命名され貨物機関車の牽引で真価を発揮した。

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