第9話

航空機エンジンでは愛知航空機がドイツのDB601を、川崎がイギリスのマーリンⅡのライセンス及び自由改造権を言い値で購入した。DB601は史実とは違いIJTSの制定により工業基盤が上がっているため比較的早くにライセンス生産が開始されたが、マーリンⅡは難航した。しかしながらかろうじて1938年6月にライセンス生産にこぎつけた。一方空冷エンジンは三菱が金星の改良型を中島が光をベースに複列14気筒化した嵐を開発した。そして金星をベースに開発された瑞星だがこのエンジンは開発中止にさせた。このエンジンは小型なのはいいのだが将来の発展性に欠けるため開発中止となった。


中島の嵐は当時中島が開発中だった光エンジンの開発を私が働きかけて中止させたのち、元となったエンジンであるR-1820を光四型としてライセンス生産させたことから始まる。そしてその後、このエンジンをもとに複列14気筒化する案がでてその案が承諾されたことで開発が1936年6月に始まった。設計はほぼそのままに排気量を増加させ燃料噴射の方式はディーゼルエンジン開発で開発された燃料噴射装置をベースに航空機用に改良したものを搭載した。このエンジンは1936年12月に制式化され2ヶ月後の1937年2月より大量生産に入った。


一方三菱の金星は1935年時点で史実の50型相当の出力を達成していた。しかし中島の嵐とは違い燃料噴射はキャブレター式でさらに過給機も嵐のような2段2速ではなく1段2速の旧式であったためこのままでは新型戦闘機のエンジン選定で敗北すると危機感を抱いた三菱は急遽その型をベースにさらに出力を上げさらに嵐に採用された新技術をつぎ込み1,600馬力を発揮できるエンジンとして開発を開始し、1937年10月時点で大量生産に入っていた。


これは余談だが中島の嵐も三菱の金星も新たにエンジンマニュアルを作成したそうだがそのページ数はなんと750ページにも及んだそうだ。そのためパイロットや整備員は配属されたあと1ヶ月ほどは部屋にこもってマニュアルをひたすら読んだそうだ。さらにこれに伴い一人一人に対してエンジンを精密に再現した1/10スケールの模型を配布することにしたそうだ。これはのちに機体に関しても同様のことが行われた。驚きなのが一般向けにも模型は製造・販売されたということだ。おかげで戦時中に基地でエンジンの整備をしていた整備士が戦地に派遣された際その整備士の子供が突然やってきてエンジンの整備をしだすという超常現象が起きた基地があったそうだ。(なおその子供はすぐにつまみ出された)


(燃料噴射方式は史実の誉などで研究されたSPIではなく、史実の金星62型などに搭載されたといわれているMPIを採用している。これは航空機用に新規に開発したわけではなくディーゼルエンジン開発の時点でMPIを採用したためである。これ以降のエンジンはすべて史実のキャブレター式ではなくMPI式を採用して開発された。さらに冷却フィンの製造法は欧米に潜入させたスパイが獲得したブルノー法という新型の方式に置き換わっている。最初にブルノー式冷却フィンを搭載したのは史実では誉だったがこの世界では開発が開始された火星に採用され、好成績を残していた。真空ポンプに関しては当初国内で開発する予定だったが難航し最終に海外から輸入したものをコピーし、性能を向上させたものを使用している。)


ちなみにこの国で初めて燃料供給にMPIを採用した火星エンジンだが、(史実でいう火星二三丙型相当の性能)この世界では史実と同様に金星をベースとして開発が始まった。だがしかし開発理由が異なり史実の火星が金星の出力不足により開発が開始されたのに対してこの世界では金星を大型化・大出力化し、大型の爆撃機や陸上攻撃機用として開発が始まったため史実より開発が始まった時期が早く1937年4月に新型金星より早く大量生産に移っている。



そして軍内部では軍の装備の開発に関わりそうな技術は重要なので国外に流出することのないように軍が丸ごと権利を購入した。そして研究者やエンジニアは戦時中であっても大切なので何があっても召集されないように研究階級というものを制定した。こうすることで軍での訓練に呼び出されても訓練期間が3ヶ月に短縮され、さらに給料が士官と同様の給料に変更された。また軍はIJTSの制定により国内での鉄道網の発達や道路の舗装が急速に進み人の移動が活発になったことをうけ、地方の生活困窮世帯に向けて軍の工場または軍が支援しているメーカーのもとで働くことを提案した。給料は家族構成によって変動する仕組みになっているが最低でも1人が軍の工場で働けばその家族は余裕で暮らせるようになっている。そのため地方から大量の子供が出稼ぎにやってきたが、全て工場の寮にいれ生活の基本と文字の読み書きを叩き込んだ。そのうち見込みがあるものは軍籍に入り兵学校に送られたのち研究者やエンジニアとしての才能ありと判断されたものは研究所で働くこととなった。こうして軍内部での人員不足などを改善していった。しかしながらその結果工場で働く工員のうち7割が子供になった工場が発生すると言う事態も発生したが、出稼ぎにきた子供のうち軍の工廠に入ったものは基本的に駆逐艦などの小型艦やプレス加工を多用した新型短機関銃などの比較的軽いもので、ほとんどの子供はもっぱら蒸気機関車や電気機関車、さらにはトラックなどの軍関係ではなく民需向けの製品を生産する工場に入ることとなった。

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