第13話

1939年には「金剛」型が全艦ドック入りし改装を受けた。

主な改修点は以下の通り

・戦闘指揮所および電算機搭載架の設置

・機関の変更及び艦内レイアウトの変更

・主砲を長砲身35.6cm砲に換装し打撃力を強化、新型砲弾に対応

・副砲の撤去と対空兵器の増設

などとなった。


また駆逐艦や巡洋艦も同様に改修を受け、駆逐艦は主砲の換装と対空機関砲の設置と戦闘指揮所の設置、巡洋艦は対空砲の換装と主砲を新型のものに換装と戦闘指揮所の設置などになった。戦闘指揮所は従来までは艦橋で戦闘指揮を行っていたが、艦橋に攻撃を喰らうと一度に戦闘能力を失うため装甲化された艦内に設置し指揮を行うことで被弾時でも戦闘能力損失を最小限に抑えることができ、さらに艦橋で指揮をする時よりも多くの情報を扱うことができるため艦載電算機とともに採用された。



1939年3月、新たな組織が国土交通省内部に誕生した。名称は「海上保安庁Japan Coast Guard」である。海上保安庁は海難救助や領海内の測量、輸送船団の護衛などが主任務の部隊で主な装備は駆逐艦をベースに九九式2号40mm単装機関砲を搭載した巡視船と海軍の海上護衛総隊との統合により移管された701型護衛駆逐艦、九六式陸攻をベースに開発された九九式哨戒機である。のちに零式陸攻が登場すると零式陸攻をベースに開発された一式哨戒機に置き換えられた。


701型護衛駆逐艦は全長120m、全幅12mの護衛駆逐艦で大量生産を考慮して従来型以上の簡略化が行われている。機関には比較的製造に時間がかかる蒸気タービン方式ではなく製造が容易なディーゼル機関を使用したCODAD方式としている。ディーゼル機関に関しては戦略共同研究所が開発した新型の二型艦船用ディーゼルを搭載しているため最大で25ktを発揮可能である。機関配置はシフト配置を採用した。武装は九五式105mm連装両用砲を1基、九九式4連装40mm機関砲を2基装備し、艦中央部に九九式対戦ロケット発射機を2基装備している。魚雷に関しては53.3cm連装魚雷発射管を両舷合わせて2基装備している。


また一式哨戒機の高性能さに目を付けた軍は従来まで運用していた九六式陸攻の後継として一式哨戒機をベースに戦略共同研究所が開発した磁気探知機(MAD)とソノブイを搭載し開発開始から1年後の1942年に二式対潜哨戒機として採用された。


潜水艦にも動きがあり1939年にドイツからUボートを購入し研究したが求める性能に達していないため独自開発を開始し、1940年に試作潜水艦が完成し試験を行ったが開発途中の新型ソナーに容易に見つかってしまったため改良を開始し1942年には新型ソナーでは見つけられないほど静粛性が上がっていたため伊40型潜水艦として大量建造が始まった。この艦はドイツの最新型Uボートには静粛性で劣るもののアメリカのものには勝っていた。しかし1943年に採用された三式ソナーでは容易に発見されたため再び改良が始まり、完成形と呼べる艦が完成したのは1945年になってからだった。


九七式蒸気カタパルトは7tの航空機を2秒で200km/hに加速されられる性能を持っていたものの、今後の航空技術の発展には追いつけない可能性があるため新型のカタパルトが1939年に開発され九九式蒸気カタパルトとして制式化された。このカタパルトは最大で10tの航空機を2~3秒で300km/hに加速させられる性能を持っているものの1940年にはそこまでの重量を持つ機体がなく最終的に対艦誘導弾の発射機として使用された。また重要な着艦装置に関しては1937年に九七式着艦制動装置として最大で7tの航空機を制動させられる能力があったが九七式蒸気カタパルトと同様の理由で制式化から一年が経った1938年には新型の着艦制動装置の開発が始まった。こうして1939年に九九式着艦制動装置として制式化された。この装置は最大で10tの機体を制動させることが可能だ。しかし1941年に最大で15tの機体を制動させることができる一式着艦制動装置が開発されると琵琶湖や愛媛県新居浜市にある発着艦訓練設備の着艦訓練用や航空基地の非常装置として使用された。


1939年時点でパイロットを志望する若者が合計で15,000人を超えたがそこまでの大人数を教育する航空学校は全国各地にあるものの、空母パイロットに必要な着艦や発艦を教える場所は圧倒的に不足していたため1939年に琵琶湖、新居浜、大村、鹿島、阿南、鈴鹿、沼津、男鹿、青森などいった海に接する各県の沖合約20km付近に一号護衛空母を模した訓練施設が設置された。戦闘機パイロットは沖合にある訓練施設で訓練したのちに練習艦隊に配属されさらに腕を磨き、各基地に配属される。満州では基本的に座学や機体の構造や初等訓練を行うため着艦演習を行う中等教育は日本各地に設置された施設で行うことになっている。

ちなみに整備兵もここで訓練を受けることになっている。理由は空母の格納庫で機体を整備する時の感覚をつかませるためである。


1939年4月新たに「航空母艦デノ航空機運用ニ関スル通達」が出された。

内容は大きなところだと

・武装の装着を格納庫内ではなく飛行甲板で行うこと

・格納庫に機体を収容する際は燃料は必要最小限まで減らすこと

・武器は機体と一緒に飛行甲板に上げるのではなく燃料・弾薬用のエレベーターで上げ、専用の運搬機で運搬すること

などがあげられた。

武装取り付けや燃料補充をを甲板上で行うようにした理由としては

・格納庫で行うと爆弾を1発喰らうだけで誘爆する可能性があること

・機体と一緒にエレベーターで上げるより専用のエレベーターで上げた後に運搬機で運搬したほうが武装の変更などがやりやすく、格納庫内での武装の移動を必要最小限に抑えられるためである。

このため「蒼龍」型は弾薬・燃料用エレベーターの設置や燃料・弾薬貯蔵庫の位置変更の改修を受け、さらに船体の延長やアングルドデッキへの改修も受けた。(一号護衛空母や「青龍」型は就役時から弾薬・燃料用エレベーターを設置済み。また「青龍」型ものちにアングルドデッキへの改修を受けた)


同年8月には国家予算の1割を使用して開発を促進させていた新型のシリコンを使用した電子素子が開発された。と呼称されたこれは真空管より高性能で壊れにくいもので有用性が確認されると直ちに大量生産され、軍の新型電算機にも使用された。1940年に最初の艦載用電算機が開発されると直ちに戦闘指揮所にある電算機搭載架に搭載され、試験が始まった。こうして艦載用電算機は1941年1月に一式艦載用電算機として正式採用された。航空機用では同年に性能は低いものの小型の電算機を搭載したスロットルと敵味方識別装置、射爆照準器が開発され、零戦の改良型である21型より搭載された。これらは零式射爆照準器、零式敵味方識別装置として制式化された。電算機搭載スロットルは初期のデジタルコンピュータを使用したため試作機や零戦11型で採用されたアナログ式のものより性能が幾分か向上している。しかし1943年に本格的なデジタルコンピューターを使用した三式射爆照準器と三式統合無線機が開発され、量産されると一気に数を減らした。


1939年には三菱がBMW801を「菱星りょうせい」として生産を開始した。このエンジンは金星より出力が大きいため零戦の33型から採用された。このため33型以降の零戦は「零戦改」と呼称されている。


また1935年より陸海軍穏健派が外務省と秘密裏に行っていたユダヤ人保護だが陸海軍にいる親独派の力が弱まったため1939年より従来より大規模で行うことになった。しかしながら研究者は戦略共同研究所にある寮に入ってもらっているがその家族などの住む場所が問題だったため朝鮮に「朝鮮を独立させ、経済支援を5年間行う代わりに北緯38度より南を割譲してほしい」との連絡を送ると「15年間経済支援を行ってくれるのであれば38度以南の割譲を許可する」との返信が来たため政府および軍部はこれを受諾した。そして1939年5月には朝鮮は独立を果たした。また1か月後の6月には極東パレスチナが建国された。また満州国は極東パレスチナと軍事同盟を結び来るソ連とのに戦いに備えた。軍に関しては満州国、台湾、日本の各国が軍に入ることを志願したものに対し訓練を行うこととしている。


この世界では満州国は日本の庇護下にはなく完全独立しており、日本に対し石油資源の輸出や日本や台湾から発注を受けた製品の製造などを行っており平等な関係を築いていた。台湾に関しても独立させており現在は軍備の強化中だ。

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