白銀のソロディウス

みーこ

第1章 一人と一本と一柱

1.業火の中の

 ごう、と炎が舞い上がる。黒い煙が空を覆う。視界が赤と黒に染め上げられる。


(失敗……しちゃった、のかな……)


 突然襲ってきた業火。私は咄嗟に結界魔法を展開した。だが何者かにその結界を破られてしまった。その結果私は身体の感覚を失い、地面に倒れて空を見上げることしかできなくなっていた。


 他の人はどうなったのだろう。あの炎に巻き込まれて死んでしまったのだろうか。私も身を焼かれ、苦しみながら死ぬのだろうか。兄さんも……。


(兄さん……)


 大切な兄の無事を確かめたくても、起き上がるどころか首を動かすことすらできない。ああ、なんて情けないんだろう。兄さんを助けるために魔法を沢山練習したのに……。


 視界も思考もぼんやりとしている中、視界の端に〝何か〟が現れた。


「うっ……ごほっ……」


 その〝何か〟は人間だった。何度か咳き込み、よろりと立ち上がる。誰かは分からないが、この惨状の中で生き残った人がいるようだ。その人物は己の身体を確認するように手足を動かしながら、ぽつりと呟いた。


「ちょっと小せぇけど、仮の器としては上々か」


(……?)


 その人物の言葉に私は違和感を覚えた。この状況で発する言葉として不釣り合いすぎる。一体どういう意味だろう。それにこの声――。


「おい……待て、キーヴァ。どこに……」


(兄さん……?)


 私の思考を遮るように、別の声が聴こえてきた。今のこの声は兄さんの声だ。よかった。兄さんも生きている。兄さんは私を探しているのだろうか。だったら、ここにいるよと声を――。


「お前は……ああ、そうか」


 また最初の人の声が聴こえた。


「すまんな。今はこの器が必要なんだ。借り受けるぞ」


「……? 何、言ってんだ……キーヴァ……」


(えっ……?)


 兄さんこそ何を言っているの? キーヴァは私だよ? それなのに何でその人をキーヴァって呼んでいるの……?


「いや、本当にすまんが、今この器に入っているのは……ッ!」


 兄さんに〝キーヴァ〟と呼ばれたその人から、警戒するような気配を感じ取った。


「悠長に説明している暇は無い。詳しいことはその〝キーヴァ〟に聞け」


「……お前、何言って……⁉」


 その人が突然視界から消えた。振動を感じため、どこかに走り去っていったのだろう。しかし炎に囲まれているのに、どこへ行けると言うのか。


「何でだよ……キーヴァ……」


 兄さんが戸惑うような声を上げた。


(兄さん……その人は私じゃないよ……。私はここだよ……!)


 何故兄さんがあの人を私だと勘違いしているのかは見当もつかない。けれどもとにかく本当の私はここにいることを伝えたくて、口の感覚は無いけど声を出そうと頑張ってみた。


〝にぃ、さん……!〟


「ッ⁉ キーヴァ? キーヴァなのか……⁉ どこだ……どこにいる、キーヴァ!」


 よかった。兄さんに私の声が聴こえたみたいだ。兄さんらしき影が、立ち上がって辺りを見回している。こんなに近くにいるのに、何で気がつかないんだろう? 私はもう一度声を出す。


〝兄さん! ここ! 私はここだよ!〟


 兄さんが頭を動かして私の姿を探している。お願い。気づいて。下を見て。


〝私はここだよ、リーアム兄さん……!〟


 未だに身体は動かない。だが、ぼんやりしていた視界は、依然として煙が立ち込めてはいるがだいぶマシになっていた。私の声に気がついた兄さんの、驚愕した顔が見えた。何故か怯えているようにも見える。


「キーヴァ……?」


 兄さんはしゃがみ込み、観察するように私を見つめる。兄さんの銀色の髪は煤で汚れ、顔は火傷を負っていた。青空のような瞳には陰りが見える。


〝兄さん……! ねぇ、いったいどうなってるの? 何が起きたの⁉ 色々ありすぎて、もう、何がなんだか……!〟


「落ち着け、キーヴァ」


 兄さんは諭すように言った。しかし兄さんも落ち着いていられる状況でないことくらい理解しているのだろう。声に焦りを感じる。痛みを我慢しているようにも見受けられる。兄さんに治癒魔法をかけてあげたいけど、手を動かすことすら叶わない。悔しくて涙が出そうだ。実際に出ているのか、出ないほど枯れてしまったのか、判別できないほど身体の感覚が無いけれど。


 兄さんは私のすぐ横に腰を下ろし、周囲を確認するとこう尋ねてきた。


「キーヴァ。お前、ずっと結界張ってんのか?」


〝え?〟


 結界は破られたはずだ。でも身を守るために、無意識にずっと展開している可能性も無くはない。言われてみれば、あんなにも燃え盛っている炎がこちらに迫ってくる気配は微塵も無い。


〝意識はしてないけど、たぶん、そうなのかも〟


「たぶん?」


〝うん……。上手く説明できないけど、兄さんがそう言うのなら、ずっと結界を張っているのかも〟


「そうか……」


 それだけ言って、兄さんは黙り込んで考えるような素振りを見せた。こんな状況だからこそ、兄さんは今起きていることを自分の中で整理している。しかし身体が痛むのか、すぐに苦しそうに呻き声を上げた。


「なぁ……治癒魔法をかけることって、できるか?」


〝ど、どうだろう……。結界を張りながら他の魔法を使うことはできるけど、でも、私今……全然、身体が動かなくて……〟


 きっと今、私は涙を流しているに違いない。それほどまでに悔しい思いでいっぱいだった。助けたいのに助けられない。それがどれほど辛いことか。それにしては口を動かしている感覚が無いのに、兄さんと会話できているのは不思議だ。


 対する兄さんは更に顔を歪めさせた。凄く苦しそうで、悔しそうで、悲しそうだ。無理もない。このままでは死を待つ他に何もない。炎に焼かれて死ぬか。その前に身体を蝕む痛みで倒れるか……。


「俺が手を貸してやろうか?」


「は……?」


〝え……?〟


 その声は突然、空から降ってきた。視界の中心に大きな黒い影が現れていた。初めは鳥かと思った。でも違った。ゆっくりと舞い降りたその影は、半分程を羽毛に覆われた人間の身体の背に、捕食者を思わせる大翼が広がっている。



 その姿は天使と呼ぶには禍々しく、悪魔と呼ぶには壮麗すぎた。

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