第2章 スマル村
5.山裾亭
これといって人にも魔物にも出会うことなく進んでいくと、やがて木々が開け、小さな集落が見えてきた。
「ここらで少し休憩するか。……休憩できる場所があればだが」
身体が無いからかお腹が空かず、兄さんの背中に負われているだけなので疲れも特に感じない今の私とは違い、二人は朝食の後飲まず食わずで歩き続けていた。既に空腹感と疲労感に襲われているに違いない。そのためトゥタカルタの提案に兄さんも特に否定はせず、集落に立ち入りひとまずは食事のできる場所を探すことになった。
ここでは皆自給自足の生活をしているのか、畑仕事に精を出している人や、家畜の世話をしている人が何人もいた。その内の一人に声をかけて食事処はないかと尋ねると、この村に一軒だけあるという酒場兼宿屋を紹介された。この村に旅人が来るのは珍しいのか、やけに驚いた顔をされたと宿屋に向かう道中で兄さんが溢した。それを耳にしたトゥタカルタは俺の美貌に惚れたのだろうと言っていたが、たぶんどっちもだと思う。なんにせよ、先程までの居心地の悪い空気感が無くなったのは良いことだ。
畑を進むと段々と建物が増えてきた。平屋建てが多い中、ひと際目を引く三階建ての大きな建物が見えた。軒先には看板が掛かっている。これが件の酒場兼宿屋だろうと当たりをつけたトゥタカルタがいの一番に扉を開ける。
「やあやあ、ごきげんよう! ここはこのスマル村唯一の酒場兼宿屋、山裾亭で間違いないかな?」
トゥタカルタのよく通る声が室内に響いた。だがしかし、それに続く返事は来なかった。
「ここ本当に酒場か? 誰もいねぇぞ」
兄さんが辺りを見回すように動くのに合わせ、私も魔法で視野を拡大できないか試しつつ室内を観察した。テーブルや椅子が幾つも置かれている様子からして、ここが酒場であるのは確かだろう。しかし、誰もいない。食事をするには微妙な時間だから、というのもあるだろうが、それでも今まで訪れた村々の酒場では常に誰かいたと記憶している。酒場では飲み食いするだけでなく、情報交換が行われたり、依頼を持ち寄ったり受けたりもするからだ。
二人が顔を見合わせながら困惑していると、頭上から声が聴こえてきた。
「やあ、いらっしゃい! お待たせしてすまないね。今そっちに行くから」
声から察するに、中年くらいの男性で、たぶんここの店主だ。次いでどたどたと階段を下る音。何だいたのかと兄さんが呟き、いてくれなきゃ困るとトゥタカルタが呟き返す。それからすぐに声の主が私達の前に現れた。
「いやぁ、お待たせしました。……おや」
ふくよかな体格で優しそうな笑みを浮かべていた店主が、二人を見て——もしかしたらどちらか一人だったかもしれないけど——驚いたような声を上げた。しかしそれを気にする様子もなく、兄さんは率直に告げた。
「ここは山裾亭か? 腹が減ってるから何か食いたい」
流石にもうちょっとこう言い方ってものがあるでしょ兄さん。と言いたかったが、剣が急に喋り出したら黒魔術の類いだと思われかねない。知らない人の前では声を出さないように気をつけるとしよう。
「あ、ああ。ここが山裾亭だよ。君達は旅の人かい? ここまで来るのは大変だったろう。今作るから待っていてくれ」
店主は始め、少し困惑しているようだったが、すぐに気を取り直したように感じた。踵を返して厨房へと向かおうとしたが、それを兄さんが呼び止める。
「あー、その、ちょっといいか」
「ん? 何だい?」
「えっと……」
急に歯切れが悪くなった兄さんに、トゥタカルタも「どうした急に?」と心配するような声をかけた。
(あ。もしかして……)
兄さんにはちょっとぶっきらぼうな所とか、他人と接するのが苦手な所がある。だから今までの旅では、兄さんが苦手とする部分を私が補っていた。しかし私がこうなっている今、「実は俺勇者なんだけど、何か困っていることはないかい? 手助けするぜ! あ、ここでの支払いは依頼料から引いてくれよな!」と言うのは兄さんの役目! それを頑張ってこなそうとしている!
(頑張れ……! 頑張れ兄さん!)
しかし、私の応援も虚しく兄さんが衝撃の一言を放つ——!
「……肉、多めがいい」
(兄さん……‼)
ただの食いしん坊の要求だった。
「君、それ顔を赤くしながら言うことじゃないだろう……」
隣でトゥタカルタが呆れた声を出した。
テーブルいっぱいに置かれた肉料理の数々をがっつく兄さん。その横で、この身体だと沢山食べられないと腹をさすりながらトゥタカルタが贅沢な不満を溢した。私は一口も食べられないのに……。
私達以外に客もいないので、料理を作り終えてしまったら店主も暇なのだろう。こちらに来て二人と色々な話をしていた。と言っても受け答えをしたのは主にトゥタカルタだが。
「さっきは待たせてしまって悪かったね。ここは見ての通り小さな村だし、定期的に来る行商人以外、外から誰か来るのも珍しい。だから賑わう時間以外は宿の修繕をしていて、君達の突然な来訪にすぐ対応できなかったんだ」
「いやいや、気にすることはない。すぐに対応してもらえなかったからと、怒る様なタマではないからな。ところでここは店主殿一人で切り盛りしているのか?」
「ああ、妻に先立たれてしまってね。子供達も村を出ていってしまったし、ここにはわし一人だ」
「ほう、それは大変だな」
椅子に立て掛けられた私は内心で頷いた。一人で調理に掃除に修繕に客の対応……。考えただけでも目が回りそうな忙しさだ。身体があれば、何か手伝えることはないかと聞きたいくらいだ。
「いや、大変ってほどでもないよ。この村の住民達は誰もが助け合いながら生きている。忙しい時には皿洗いを手伝ってくれたり、雪が降り積もった時には店の前の雪をかき分けてくれたり、そうやって助けてくれる人達がいるから、こうしてやっていけているんだ」
「なるほど。皆温かな心の持ち主なのだな」
「ああ。本当に助かっているよ。ただ……」
そこで店主が顔を曇らせた。
「どうかしたのか、店主殿?」
「いやぁ、その……。村の皆には手伝ってもらってばかりで、わしは皆を手伝えていないことが時折申し訳なくなるんだ。最近は魔物の被害が多くなっているとかで、皆で分担して見回りをしたり、魔物をとっちめたりしているようなんだが、それでも対処しきれていないみたいでね。わしにも見回りに協力してくれないかと声がかかったが、恥ずかしいことに怖気づいて拒否してしまったんだ。何もできない自分が不甲斐ないよ」
そう言って店主が深いため息を漏らす。
と、そこでようやく兄さんが口を開いた。
「お前は飯を作ってるだろ」
「え……?」
店主がぽかんと口を開く。
「えっと、どういうことだい?」
「見回りするのにも、魔物を倒すのにも体力を使う。体力を使えば腹が減る。腹が減ったら飯を食べたくなる。そういう腹を空かせた奴らのために、お前は飯を作って出している。違うか?」
「い、いや……まぁ、家に帰って食べる人もいるけど、うちに来て食べていってくれる人もいるよ……」
「じゃあ、そいつらの助けになってる。魔物被害の対処は、魔物を倒す奴だけでやってるんじゃねぇ。魔物を倒すための武器や防具を作る奴、怪我したら治してくれる奴、腹が減ったら飯を作ってくれる奴。そういう奴らがいるから倒せるんだ」
店主とトゥタカルタがまじまじと兄さんを見つめると、兄さんは急に恥ずかしくなったのか視線を下ろし、また料理を口に運び始めた。
そんな兄さんの言葉に、店主がふと顔を綻ばせる。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。君は何かそういう経験でもあるのかい?」
「……ああ。一応、勇者だから……」
兄さんが更に恥ずかしそうに尻すぼみになりながら言うと、店主が驚きの声を上げた。
「君、勇者なのかい⁉ おお、なんと、勇者様だったとは! こんなところに勇者様が来て下さるなんて嬉しいよ!」
店主は両手を広げて喜びを露わにした。兄さんが食事中でなければ抱き着いていそうな勢いだ。対する兄さんは「げっ……」と声を漏らす。兄さんは大袈裟に歓迎されたり、過度な期待を寄せられたりするのが苦手なのである。
「もしかして、魔物被害の話を聞いて来て下さったのかい? それなら皆大助かりだよ! 腕自慢の若者でも魔物には苦労しているようだけど、勇者様が来たとなれば百人力! こうしちゃいられない。すぐに皆に知らせなくちゃ」
「え。あ、待っ……」
兄さんが制止させるよりも早く、店主は店を出ていってしまった。
「……君、勇者として依頼を受けることでタダ飯を食らい、小遣いを得ているのだろう? 魔物退治の依頼が来るのならいいではないか」
トゥタカルタが肩を竦めた。
「いや、そうなんだが……」
〝兄さんは勇者として注目を集めるのがあんまり好きじゃないんですよ。いつも自分は勇者にふさわしくないって言っているので……〟
「うむ。盗賊だと言われた方がしっくりくる目付きの悪さだものな」
「うるせぇな……」
とは言えどこに行ったかも分からない店主を止めに行くのも難しいので、大人しく帰りを待つことにした。
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