2.剣の中
「先程、走って逃げていった奴がいたよな。俺はそいつを追っている」
ずしん、と衝撃を与えながら地に足をつけたらしい有翼の何者か。遠くて見にくいが、どうもゆったりとした歩調でこちらに近づいてきているようだ。ずん、ずん、と振動を感じる。もっと言えば、強い魔力も感じる。見た目も魔力も只者ではない。どうにも嫌な感じだ。
兄さんもその人(……かどうかはすこぶる怪しい)に嫌悪感を覚えたのか、棘のある口調で突き放すように言った。
「だから何だってんだよ。俺達に構ってねぇで、さっさと追いかければいいだろ」
「俺〝達〟……? ああ、やはり。この場にいるのは君だけではないのか。あいつ、生きた人間と入れ替わったな……」
(……?)
さっきの人といい、この人といい、一体何のことを言っているのだろう。私だっているのに、この場で生きている人間が兄さん一人しかいないような言い方をするのは何故なのか。
有翼の人はついに私達の前までやってきた。普通の男の人よりは一回りも大きな体躯。布を巻きつけただけのような風変わりな格好。そこから覗く手足には羽毛が生えている。恐らく髪も羽毛に酷似しているに違いない。爪も鋭く、もし角が生えていたら悪魔だと勘違いしていただろう。一度見たら忘れられない大きな翼は、今もなおその背で広げられている。炎がその人に近づこうとすると、翼の一振りで払いのけられた。
「君の言う通り、さっさと追いかけたいのは山々なんだが……この視界の悪さだ。不覚にも見逃してしまった。それに、どうもあいつを追いかけたいのは俺だけじゃないようだしな」
「っ……」
「君もあいつを追いかけたい。だがその傷だらけの身体では難しい。違うか?」
あいつ、というのは先程兄さんが私だと思って声をかけていた人のことだろう。だがその人と兄さんの間に何があって、どうして兄さんはその人を追いかけたいのかが私には分からない。私はただ黙って話を聞いていた。
「俺なら君を……いや、君達を助けてやれる。俺にはそれだけの力があるからな」
己の力を驕るような物言い。普段の兄さんであれば酷く嫌う傾向にある類いの人だ。しかしながら今この状況で他に頼れる人がいないためか、兄さんはこの人の話を真剣に聞いているようだ。恐らくあちらはこちらを利用する腹積もりだろう。だったらこちらだってあちらを利用してやろう、とか考えているのかもしれない。
それでも私は一応忠告だけでもしておこうかと声をかける。この人は〝まとも〟じゃない。
〝ねぇ、兄さん。この人――〟
「ああ、分かってる。大丈夫だ。利害は一致している」
(ほ、本当に大丈夫かな……)
兄さんなりに色々と考えているのかもしれないけど、こと魔法に関しては私の方が上手だ。この人の魔力の異常さを私ほど理解していなさそうな兄さんにあれこれと任せておくのは不安でならない。でも今の私は未だに身体を動かせないからどうしようもない。
その時、不意に兄さんがこちらに手を伸ばしてきた。兄さんが私をどうしようとしたのかは不明だが、私に触れた瞬間――今まで何の感覚も無かったのに、何故か兄さんが私に〝触れた〟ことは分かった――、私の魔力が兄さんに送り込まれた。
「ッ⁉」
〝あ、ご、ごめん、兄さん……!〟
先程から意識してもいないのに結界が展開され続けているらしいし、どうも今の私は魔力の調整が上手くできないみたいだ。魔力が垂れ流し状態になっているのかも。
〝何だかさっきから上手く魔力が扱えないみたいなの……。ごめんね、兄さん。身体は何ともない? 大丈夫?〟
「あ、ああ……。大丈夫だ、が……?」
兄さんは困惑した表情で自分の身体を確認し始めた。腕を動かしたり、身体を触ったり。
(あれ……? 兄さんの顔が……)
「ふぅん……? 君、意外と見てくれがいいんだな? ま、俺には劣るが」
「それは皮肉か? こんな火傷を負った状態……で……」
兄さんは自分の顔をぺたぺたと触り始めた。そう、先程まで火傷を負っていた顔が(恐らく全身だろうけど)綺麗になっている。火傷などしていなかったかのように。
「君がその剣を触った途端、君の火傷跡は綺麗さっぱり無くなったぞ」
剣を触った途端……?
〝な、何を、言ってるんですか……? 兄さんが触ったのは私で……〟
私が反論すると、嘲笑うような声が聴こえた。
「なるほど。君、その子に何も言っていないのか。その子がどんな姿になっているのか」
どんな姿……? 何を言っているのだろう、この人は。私だって火傷を負っているかもしれないけど、それでも、私は……。
(私は……今、どんな姿をしているの……?)
身体を、せめて頭だけでも動かして確認したいけど……あれ? 頭はどこ? 手は? 足は?
「じゅ、順を追って説明しようとしてたんだよ! そしたらお前が来て変なこと言い出すから……!」
兄さんが声を荒げる。ねぇ、兄さん。どういうことなの? 私は今、どうなっているの?
「まあまあ。そうカッカするな。その子も混乱しているだろうから、どんな姿になっているのかだけでも教えてやったらどうだ? でないとこれからのことを話し合うのに支障が出る」
「ぐっ……」
やたらと余裕たっぷりなこの人の言葉に、兄さんはこれ以上反論できなくなった。兄さんは意を決したように息を吐くと、またこちらに手を伸ばして私を持ち上げ目線を合わせた。
……持ち上げた?
何故私は今そう感じた?
「キーヴァ……」
私の混乱なんて露知らず、目の前の兄さんは物凄く言い辛そうに顔を歪めながら言葉を紡ぐ。
「お前の魂は今、俺の剣についている魔法石の中に閉じ込められている」
〝……へ?〟
魂が、魔法石の中に……?
「恐らく、お前は肉体と魂が切り離されたんだ。んで、魂は魔法石の中に、肉体は……切り離した張本人に乗っ取られた」
普段からあまり冗談を言わない兄さんの顔は、真剣そのものだった。それにずっと一緒にいた私だから分かる。この顔は、この真っ直ぐな眼差しは、本当の本当に本当のことを言っている時のものだ。
〝え、じゃあ、私……あ……ああ! あああああああああああああああああああああ‼〟
「うおっ⁉」
私が突然絶叫したものだから、兄さんは驚いて私を――剣を落っことしそうになった。一瞬の浮遊感の後にまた柄を掴まれたから落ちなかったけど。
〝そ、そうだ……。そうだよ、兄さん! あの時、勢いよく向かってくる炎が見えたから咄嗟に結界魔法を展開したんだけど、破られちゃったの! そうしたらね、その人が言ったの! 身体を借りるぞ、って! あああああ! 思い出したあああああああああ!〟
「うるせぇ!」
兄さんは私を黙らせるためか私を――つまり剣を――振り回したけど、あの一瞬の出来事を思い出した私にはその程度些細なことだった。
そう。あの時。業火が襲ってきたあの時。咄嗟に展開した結界を破られたあの時。
一瞬の出来事が、永遠にも感じられた。
結界を破られた私は、驚いて固まってしまった。何故破られたのかも、誰に破られたのかも分からなかった。結界を破った人の姿が見えなかったから。
でも、耳元で声が聴こえた。
「身体を借りるぞ」
その時だけ、炎の燃え上がる音や人の叫び声は聞こえず、その声だけが聴こえた。私はその言葉の意味を理解する暇も無く、身体の感覚を失い、地に倒れ伏した。
(あの声の人が、私の身体を奪っていったんだ……)
だから兄さんは私が走り去っていったと勘違いしたんだ。私の姿をしているから。
「状況は理解できたか? なら話を進めるぞ」
黙っていた有翼の人が口を開いた。兄さんは少し警戒しながら立ち上がり、剣を肩に担いだ。勢いよく持ち上げられた私は少し眩暈のようなものを覚えた。だが視界が上昇したおかげで有翼の人の顔がよく見えた。人間と鳥を掛け合わせたような、不思議な顔立ちをしている。目付きは猛禽類のように鋭い。身体に生えている羽毛は炎に照らされて禍々しさを醸し出している。
「君達は奪われたその子の身体を取り戻したいんだろう? そして俺は奪っていったそいつを倒したい。あいつはこの村を火の海にした張本人だ。俺はこの地を守る者として、なんとしてもあいつを倒さねばならん」
「この地を……守る者?」
この光景と相まって悪魔にでも見えそうなその姿でこの地を守る者とは、随分大仰なことを言う。だが次の言葉でどうやら本当らしいことが判明した。
「ああ、まだ名前を言っていなかったな。俺は古よりこの地を守ってきた神、トゥタカルタだ」
己の存在を誇示するかのように、トゥタカルタは音を立てて翼を広げた。神。本当にその通りなのであれば、この目の前の人物がやけに高慢な態度を取ることに納得がいく。
「君達の名前は?」
「……俺は、リーアムだ」
〝わ、私はキーヴァです。えっと、よろしくお願いします……?〟
「ああ、よろしく頼むぞ、リーアムにキーヴァ」
こうして兄さんは私を助けるために、私は私の身体を取り戻すために、そして神は民のために、一人と一本と一柱の旅が始まった。
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