白銀のソロディウス

17.巨大コウモリ

「……っ」

　兄さんが立ち止まり、背負っている剣の柄に手をかけた。

「いるな」

「ええ」

　普段魔力に鈍感な兄さんでも分かる程の、こちらを威圧するような強い魔力。ソフィーが出した光の照らす範囲よりももう少し奥に〝それ〟はいる。警戒するようにソフィーは光を弱めた。

「どうする？　今までは一人ずつバラバラで魔物を倒してきたが、こいつはそうはいかねぇぞ」

　兄さんが声を落として問う。

「それくらい君に言われずとも分かっている。……ソフィー嬢。その光をもっと強くすることは可能か？　相手はこんな暗闇にいるような魔物だ。強い光には弱いだろう」

「なるほど。強い光を浴びさせて弱体化させればいいんですね」

「ああ。できるか？」

「もちろんです」

「よし。では光を強くさせて相手に飛ばしてくれ。目が眩んだ隙に、私とリーアムで攻撃する。それでいいな、リーアム」

「分かった」

　トゥタカルタの指示に従い、ソフィーが光の玉に強い魔力を送る。私達でも眩しいと思う程強い光を放つようになったそれを、ソフィーは奥にいる魔物に差し向ける。

「えいっ」

　ソフィーが手を前に出すと同時、光の玉は勢いよく魔物目掛けて飛んでいった。

（うわっ……）

　露わになった魔物の姿は酷く醜いものだった。でっぷりと太った巨大なコウモリ、とでも言えばいいのだろうか。人の背丈の倍はある黒い巨体に大きな翼。目は爛と赤く光り、頭には角のようなものが生えている。それが突然現れた強すぎる光を追い払おうと、耳障りな鳴き声を出し、ずしん、どしん、と音を立てながら暴れている。

「今だ！　行くぞリーアム！」

「おうっ！」

　できれば目を背けていたいのだがそうは言っていられない。兄さんとトゥタカルタが巨大コウモリ目掛けて走り出す。つまりそれは、私も強制的にそちらに向かわされているということで、剣の間合いまで近づいた暁には、兄さんがあの巨体に剣（わたし）を突き立てることを意味していた。

〝ひいいいいいいいいいいやああああああああああああああ‼〟

「うおっ⁉　急に叫ぶなキーヴァ！」

〝だってだって！　あのキモチワルイ魔物に！　私が！　突き刺さることになるんだよ⁉　いいいいいいやあああああああだあああああああああ‼〟

「んなこと言ったってどうしようもねぇだろう……が‼」

〝ひぎいいいいいい⁉〟

　叫んでいる間に間合いまで到達し、兄さんが魔物の身体に剣を突き刺す。厚い皮膚を貫き、柔らかな肉の感触が伝わってきた。巨大コウモリも叫び声を上げる。

「キーヴァ！　この感触が嫌だって言うなら何か魔法使え！」

〝うぅ……それくらい分かってるよぉ。……爆ぜろ（プロクシード）！〟

　爆発音と共に、魔物の身体が弾け飛ぶ。巻き込まれないよう兄さんはバックステップで回避した。

「……やったか？」

「いや、部分的に削れただけだ！　狙うなら急所を狙え！」

　離れたところからトゥタカルタの声が聴こえた。

「どこだよ急所って！」

「知らん！」

「知らねぇのかよ⁉」

〝うぎゃああ⁉〟

　イラついた兄さんが勢い任せに剣を振るうから、私は目が回ったり突然皮膚を切り裂く感触に襲われたりで大変目まぐるしい思いをした。

「チッ！　このままじゃ埒が明かねぇ。キーヴァ、何かでけぇ魔法ぶっ放せるか？」

〝やれるとは思うけど、狙いたい位置に向けて剣を固定しておいてくれないと当てるのは無理！〟

「そうか。だったら、カルカル！　こいつの狙いがお前だけに向くように何とかしてくれ！　そうしてくれたらキーヴァが何とかする！」

「ビックリする程あやふやな命令だな⁉　だが勝算があると言うなら任された！　おらおら怪物ゥ！　こっちを狙えェ！」

　トゥタカルタが巨大コウモリの前に躍り出る。光の玉をどうにかしようと暴れていたコウモリは、突然現れたトゥタカルタに驚いて一瞬動きを止め、それからそちらを攻撃し始めた。

「うわあっ⁉　爪鋭っ⁉　リーアム！　キーヴァ！　私が串刺しになる前に仕留めてくれよ⁉」

「ああ！」

〝はい！〟

　兄さんは巨大コウモリの翼が届かない位置まで下がり、剣を構え、切っ先をコウモリの首に向けた。

「流石に首を刎ねられれば倒れるだろ。いけるか、キーヴァ」

〝いくしかないんでしょ、兄さん！　とにかくやってみる！〟

　私は意識を集中させた。離れた場所から巨大な生き物の首を飛ばすには、それなりの魔力が必要になる。この場に存在する魔力を全てかき集めるくらいが丁度いいだろう。

（切っ先に魔力を集めて、一気に放出……って）

〝兄さん！　剣を動かさないで！〟

「魔物が動いてんだから仕方ねぇだろ！」

　魔物に狙われているトゥタカルタがちょこまかと動くものだから、それに合わせて魔物も動き、魔物を狙う兄さんも剣を動かしている。

「あいつが止まっててくれなきゃ無理だ！」

〝そ、それはそうかもしれないけど……〟

「動かないようにすればいいんですね？」

「⁉」

〝⁉〟

　魔物の動きが、止まった。

　いや、正確に言えば定位置から動かなくなった。同じ場所でトゥタカルタを狙って鋭いらしい鉤爪を振り回している。

「これだけ大きいと同じ場所に固定しておくのも大変です。カルカルさんも疲れているでしょうし、早めに片を付けてください」

　いつの間にか隣に来ていたソフィーが、魔物を見据えながら笑顔で言う。これだけ大きな魔物の動きを抑えて、それでも笑顔でいられるのか、この人は。しかもただ、そこに立っているだけにしか見えないのだ。

「あ、ああ……」

〝わ、分かりました！　兄さん、吹っ飛ばされないように踏ん張っててね！〟

「おう！」

　私は再度、切っ先に魔力を集める。

（もう少し……今！）

〝いくよ……水の刃（レタウ・レチュース）‼〟

　切っ先から水が迸る。

　ただの水ではない。一点集中型の、刃のような鋭さを持つ、魔力による強化を受けた水だ。

　威力を調整すれば、邪魔なものを押し流すのにも使える。だが今回の目的は敵を倒すこと。針のように細く鋭い水を出し、首に穴でも開けられればあとはこっちのものだ。

〝兄さん！〟

「……ふッ！」

　兄さんが剣を振り上げる。それに合わせて水の刃も軌道を変える。槍で突き刺すようにコウモリの首を穿ち、そのまま刃で切り上げる。コウモリは首から白い体液を噴出させた。

　ぼとり、と大きな音を立てて巨大コウモリの首が落ち、ずしん、と地面を震わせ巨躯が倒れた。

「……今度こそ、やったな」

〝うん！〟

「お二人共、お疲れ様で——」

「うぎゃわあああああああああああああ⁉　気持ち悪ううううううううううううう‼」

「……」

〝……〟

「……とりあえず、あちらに行きますか」

「……だな」

〝……うん〟

　魔物を倒して一息つけると思ったらトゥタカルタの悲痛な叫び声が聴こえたので、そちらへと助けに（？）向かった。

　近づいていくと、異臭でもするのか、兄さんもソフィーも呻き声を出した。私は臭いこそ分からなかったが、倒れた巨大コウモリの姿を見てその気持ち悪さに吐き気を覚えた。

　首の切り口は見るにおぞましく、謎の白い粘着性のありそうな液体がこぽこぽと流れている。

　そしてそんな液体を、トゥタカルタが全身に浴びている。

「頼む……。誰か、洗い流してくれ……」

「……キーヴァ」

〝うん〟

　兄さんが剣を掲げたので、私はまた水を出した。ただし先程とは違い、優しく、柔らかく、花に水をやるようにトゥタカルタに水をかけた。ついでに軽く風を吹かせて濡れた身体を乾かせた。

「うう、ありがとうキーヴァ。恩に着るぞ。君達が仲間を見捨てない人で良かった」

「……まぁ、こいつを倒すために囮にさせたからな。これくらいは……」

　兄さんは最後まで言わず、恥ずかしそうに俯いた。

「おいおいリーアム。感謝の言葉を述べるのであればもっとはっきり言ってくれ。その方が嬉しいぞ」

「……うるせぇ」

〝もう、兄さんてば。こういう時くらいちゃんとお礼言おう？〟

「う……。あ、ありがとう……」

「うむ！　リーアムとキーヴァよ。私が串刺しにされる前にこいつを倒してくれて感謝する。ありがとう、二人共」

　兄さんから感謝の言葉を引き出したトゥタカルタが満足そうに頷いた。

〝どういたしまして。それと、私からもありがとうございます、カルカルさん。……あ。ソフィーさんも手伝ってくれたんですよ。ありがとうございます、ソフィーさん〟

「うむ、そうだな。先にこいつを怯ませてくれたのだってソフィー嬢だものな。ありがとう、ソフィー嬢」

「私は大したことはしていませんよ。ですが、どういたしまして」

　柔和な笑みを浮かべ、ソフィーが頭を下げる。大したことはしていない、なんて言うけれど、十分凄いことをやっていたと私は感じている。

「ところでソフィー嬢。……本当に、これをご友人に渡すのか？」

「そうですねぇ、これだけ大きいと喜びそうなんですけど……臭いがきついと道中大変なことになっちゃいますから、残念ですがやめておきます」

「賢明な判断だ」

　うむうむ、とトゥタカルタは心底安心した顔をして頷いた。体液をまともに浴びたのだし、よっぽど嫌な思いをしたに違いない。

「さあ諸君。ずっとここにいては鼻が折れ曲がってしまう。さっさと洞穴から出るとしようじゃないか」

「だな。これ以上長居したくねぇ」

「ええ、そうですね。新鮮な空気を吸いたいものです」

〝臭いは分かんないけど異論なーし！〟

　巨大コウモリの亡骸は、きっとここにいる他のコウモリ達や、外にいる魔物が食べてくれるだろう。であれば放っておいても問題は無い。武器や防具の素材になりそうなものや、換金なり物々交換できそうな素材があればそれだけ剥ぎ取ることもあるが、今回ばかりは誰にもそれをできるだけの嗅覚の余裕が無かった。私達は亡骸を背に、来た時よりも早足気味に出口へ向かった。