18.水浴び

雨よ降れテル・チ・ニラ!〟


 洞穴の近くに運よく泉を見つけた私達は、身体や衣服についた悪臭を落とすためにも水浴びをすることにした。必要最低限の衣類のみ身につけたトゥタカルタとソフィーは喜び勇んで泉に飛び込み、ほとりにぶっ刺された私は魔法でぱらぱらと雨を降らせている。ちなみに兄さんは「一緒に入るのは不味いだろ」と混浴を断り、少し離れたところで服を洗っている。


「いやぁ、一戦交えた後の水浴びというのは気持ちが良いな! 身も心も洗われる気分だ!」


「カルカルさんが一番大変な目に合われていましたからね。どうぞゆっくりくつろいでください」


「うむ!」


 先程までとは打って変わって上機嫌なトゥタカルタに、のんびりとした様子で水をぱしゃぱしゃと弾くソフィー。二人共薄着かつ水を浴びて服が体に張り付いているものだから、何と言うか……。


(め、目のやり場に困る……!)


 どちらも美人だし、スタイルも良いのだ。同性の私が見てもドキドキしてしまう。とは言えトゥタカルタの本来の性別は不明だし、わざとスタイルの良い女性の姿に変身しているだけという可能性は捨てきれない。それでも私は自分の身体との違いを感じずにはいられなかった。成長途中の私の身体は起伏に乏しい。お洒落な服を買おうとしても、胸部の厚さが足りないせいで貧相に見えてしまい、購入を断念することもあるのだ。


 こうもありありと見せつけられると、兄さんが混浴を拒否したのも納得する。兄さんが一緒に入ろうものなら、ソフィーはともかくトゥタカルタは絶対イジってくる。そんなことをされたら耐性の無さそうな兄さんは爆発してしまうかもしれない。


(兄さんの身の安全は私が守るよ……!)


 私が兄さんの周囲に薄く防護結界を張ると、それに気がついたソフィーがこちらを見て軽く笑った。


「キーヴァちゃんはリーアムさんのことを大切にしているのね。そんなに警戒しなくても、取って食いやしないわよ」


〝いえ、ソフィーさんのことは警戒していませんが、カルカルさんが兄さんに何かしないか心配で……〟


「ん? 私がどうかしたか?」


 潜っていたらしいトゥタカルタが、泉の中からざぱりと出てきてこちらに近づいてくる。水中にいたのに何で聴こえているんだ。恐るべき耳の良さである。


「キーヴァちゃんが、カルカルさんにリーアムさんを取って食べられてしまうんじゃないかと心配しているんですって」


〝いや、取って食べるとか言ったのはソフィーさんですよね……?〟


 流石にそこまでの心配はしていない。


「肉は好きだが、人肉を食べる趣味は無いぞ……」


 髪に滴る水を振り払いながらやってきたトゥタカルタも、これには呆れた様子で返した。


(……って、え?)


〝取って食べるってそういう意味……?〟


「え? 食べるって言うから飯の話じゃないのか?」


 不思議そうに首を傾げるトゥタカルタ。ソフィーも思案顔をする。


「部位は言っていませんから、もし目玉のみを食べるのであれば人肉とは言い難いかもしれませんね」


〝待って待って。急にソフィーさんが恐ろしいことを言い出した。え、何? ソフィーさん最初からそういう話をしてたんですか?〟


「だって、キーヴァちゃんがリーアムさんの周りに結界を張るものだから、魔物や何かに襲われて食べられるのを心配しているのかと……ああ!」


 ソフィーが何かに気づいたように顔をぱっと明るくし手を打った。


「私達が扇情的な姿をしているものだから、もしリーアムさんも一緒に入っていたら、耐性の無さそうなリーアムさんにトゥタカルタさんがちょっかいをかけて大変なことになるんじゃないかという心配を」


〝わあああああああああああああああ⁉ 待って待って待ってくださいソフィーさん⁉ 何で言い当て……じゃなくて、そんな、そそ、その、そういう考えは、その、よくないと思います!〟


 身体があれば赤面していそうな勢いでソフィーに待ったをかけた。なんて危ない人なんだ。私の考えがバレているだなんて。


 しかし更に大変なことに、トゥタカルタまでこちらにニヤニヤ笑いを向けてきた。


「ほう? 何だ? 君はリーアムが私達に取られることをそんなに心配しているのか? 君の本来の姿がどうなのかは知らないが、今ここにいる私とソフィー嬢はご覧の通り、見目麗しい姿をしているからなぁ。一緒に冒険してきた兄が突然現れた美女に横取りされて、自分と旅をしてくれなくなったらと思うと心配だよなぁ。どれ。ちょっくらリーアムに私のこの姿を見せてくるか。どんな反応をするのか楽し」


「誰が誰を横取りするって?」


〝あ……兄さん〟


 いつの間にか兄さんがすぐそばまで来ていた。服を洗っている最中だからか、肌着の上にローブを羽織るという妙な格好をしている。それよりも、兄さんに今の会話が聴こえていたに違いない。眉間には皺が寄り、声には怒気が孕んでいた。そんな兄さんの登場に、流石のトゥタカルタもぎくりとした様子。ソフィーだけが相変わらずにこやかにしている。


 はあ、と呆れたように溜息をついて、兄さんは頭をがしがしと掻いた。


「キーヴァ。服を乾かしたいから来い」


〝来いと言われても動けな……わ〟


 兄さんは否応なしに私を地面から引き抜き、この場から立ち去ってゆく。


(怒ってる……よね?)


 多少離れた場所にいたとは言え、私達の会話が(全てかどうかはともかく)聴こえていたのは確かだろう。でなければこんな誰が見てもあからさま過ぎる態度は取らない。


〝あの……ごめん、兄さん〟


「あ? 何謝ってんだ?」


〝だって、兄さん怒ってるから……〟


「いつお前に対して怒った。……風出してくれ」


〝う、うん……〟


 兄さんの服が木の枝に引っ掛けられている。それに向けて兄さんが剣を構えたので、私は言われた通りに風を——熱風を出した。


 今までも時々やっていたことだ。汚れた服を二人で洗って、私の魔法で乾かして。戦ってる最中に破れちゃったから、後で繕おうか、なんて言ったりして。


〝これくらいでいいかな〟


「……ああ、丁度いい」


 兄さんは服を触って乾いたことを確かめると、短く礼を述べた。一人分だと、こうもあっけなく終わるのか。


「あいつらは、まだ出ねぇのか?」


〝え? ああ……どうだろ〟


 はっきりとは聞き取れないが、トゥタカルタの声と、水の弾く音が聴こえてくる。兄さんは「早く入りてぇんだけどな……」とひとりごち、その場にどかっと座った。私には分からないが、自分から発せられる悪臭が気になるのだろう。


〝一緒に入っちゃえば?〟


「んなことしたら、どうせあいつがからかってくるだろ。……苦手なんだよ、ああいうノリ」


 苦々しく兄さんが言う。ノリの問題だったのか。


「お前さっき、あいつらとどういう会話してたんだ?」


〝え⁉ 今それ聞く⁉〟


 まさかここでその質問が来るとは思わず、私は冷や汗を掻く思いをした。どうしよう。兄さんはどこまで会話の内容を把握しているのだろう。


 しかし私の心配はどうやら杞憂だったようだ。むしろ兄さんの方が心配するような声色を出す。


「お前が焦ったような声出してたから、あいつらに何かされたんじゃねぇかと思って……。あいつらがお前に嫌がるようなことをしてたとかじゃなけりゃ、別にいいんだけどよ。……横取りして旅がどうとかって、どういう意味だ?」


〝うああ……〟


 やっぱり杞憂じゃなかった。兄さんよ。それを聞くのか。私に。


〝そ、それは、その……〟


「あれはカルカルさんがキーヴァちゃんをからかうために言っていただけなので、気にし過ぎない方がいいですよ」


〝え⁉ ……あ、ソフィーさん〟


 突然背後からソフィーが現れた。接近してくる気配を感じなかったのに、いつの間に来ていたんだ。


「カルカルさんには、あまりからかい過ぎないように言って聞かせておきました。複数人で旅をしているのですから、空気が悪くなるようなことは避けたいですものね」


 よいしょ、とソフィーが兄さんの隣に腰掛ける……のだが、そんなことを言っているソフィーはまだ泉から上がったばかりの様子。髪は濡れ薄手のワンピースも肌に張り付いている状態。きめが細かく柔らかな肌を滑る水滴をつい目で追ってしまいそうになる。そんな状態で柔和な笑みを浮かべるものだから……物凄く色っぽい。それを見た兄さんはぎょっとして目を見開き、ソフィーから少し距離を置くようにそろりと横にずれた。


(い、一番危ないのソフィーさんだ……!)


 トゥタカルタであれば、わざとやっているのだと分かるから止めるのは簡単だ。しかしソフィーの場合、わざとやっているのか何も考えずにやっているのかが判別し難い。だからこそ怖い。危ない。どう止めればいいのか分からない。


「ああ、そうそう。リーアムさんも、どうぞ身体を清めてきてください。少し冷たいですが、とても気持ちが良いですよ」


「あ、ああ……分かった」


 なるべく隣を見ないようにしながら兄さんはぎこちなく頷き、恐る恐る立ち上がって私を手に持ったまま泉へと向かった。


「あいつ……怖ぇ」


 独り言なのか、私に聞かせるように言っているのか。ソフィーからある程度離れたところで兄さんが呟いた。


〝……そう、だね〟


 泉のそばまで来たところで、何故かうつ伏せで泉に浮かんでいるトゥタカルタを発見し、私は同意するように呟いた。


 言って聞かせるってレベルじゃなくない?

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