19.別の勇者

 兄さんが触るのを躊躇うので、私の魔法でトゥタカルタを岸へ上げた。水面から顔を出したところで、トゥタカルタはせっかくの美人が台無しになるほど咳き込み、岸へ上がった今もぐったりした様子。トゥタカルタが一応生きていると分かると、兄さんは私を置き、ローブを脱いでさっさと泉の中に入ってしまった。余程関わりたくないらしい。


「げほっごほっ……うぐぐ……ソフィーめ……ごっへ……神に対し、なんと無礼な……」


 咳き込みながら恨み節を吐いている人の近くにいたくないのは分かるけども。


 いたたまれない気持ちになった私は、他にすることもないので労わりの言葉をかけて暇を潰すことにした。


〝大丈夫ですか、トゥタカルタさん。いくら神様だからって……本当に神様なのかどうか知りませんけど……人をからかい過ぎるのはよくないですよ。会ったばかりの頃、兄さんにだって絞められていたじゃないですか。それなのに懲りずにやるなんて……大丈夫ですか〟


「げっはー……君は俺を慰めたいのか……ぐふっ……貶したいのか……どっちだ?」


〝前者に決まっているじゃないですかー〟


「そうは聞こえんから聞いているのだ……」


 ようやっと落ち着いたのか、地面に伏せっていたトゥタカルタは、起き上がり濡れて顔に張り付いている髪をどかした。かと思ったら背中から地面に倒れ込んだ。まだ横になっていた方が楽なのだろう。


〝でも、一応心配はしていますよ〟


「一応、な……」


 はあ、と溜息が聴こえた。


 トゥタカルタから喋る気配を感じなかったので、話しかけない方がよかっただろうかと思い直し、私も黙っていた。さわさわと葉の擦れる音が聴こえる。ぱしゃぱしゃという水の音が聴こえる。どこからか鳥のさえずりも聴こえてくる。ここが魔物の出る森の中であるとは思えない長閑さだ。遠くの方から複数の足音も……。


(……ん?)


「何か……いや、誰か来るな」


 先程までの情けない声色から一変して、トゥタカルタが真剣な声を出し、私を手に取り起き上がる。


「恐らくソフィー嬢は気づくだろうが……リーアムはすぐ察知する方か?」


〝いえ、私の方が先に察知して兄さんに教えてます〟


「ああ、何かそんな気はした。……とりあえず、この格好をどうにかするか」


 トゥタカルタの姿が一瞬にして濡れそぼった格好から旅装束に変化した。こうやって真面目にしていれば格好いいんだけどな、と思いつつ、私はこちらへと向かってくる気配に意識を向ける。


〝四人中一人が魔法使い、かな。たぶん他の勇者一行だと思います〟


「わざわざ報告ご苦労。勇者一行なら警戒する必要はないだろうが、万が一ということもあるからな。気を抜くなよ」


〝はい〟


 私とトゥタカルタの周囲に緊迫感が流れる。


 だがそれを打ち破る者がいた。


「何でお前がそれ持ってんだよ」


 水浴びし終えた兄さんがこちらに来て、間の抜けた声で問う。


「……君にはこの空気が分からないか」


〝兄さんにそれを求めるのは酷です……〟


「あ? いや、それよりも返せよそれ。俺のだぞ」


「あらあら。どうしましたか。また喧嘩ですか?」


 兄さんがトゥタカルタからわたしを奪い返そうとしているところに、ソフィーまでやってきた。しかも状況を分かっていないので何やら勘違いしている様子。そんな場合じゃないのに!


「待て待て二人共。リーアム、私は別に君の剣を奪おうとしている訳ではないぞ。ソフィー嬢、私達は喧嘩をしてはいない。とにかく落ち着いてくれ。今はそれどころではない。誰か来て——」


「お前達! そこで何をしている!」


 トゥタカルタが二人を宥めようとしていると、離れた場所から鋭い声が飛んできた。釣られたように皆が一斉に声のした方を向くと、そこには腰に剣を下げた青年を筆頭に、斧を携えた筋骨隆々の男性、魔法の杖をこちらに向けて構えている少女が立っていた。あともう一人は姿こそ見えないが、木の上辺りから気配を感じる。そこで弓でも構えているのだろう。


 兄さん達は困ったように顔を見合わせた。誰だあいつら。恐らく勇者だ。どうする? 素直に水浴びしてましたって言えばいいのでしょうか。いや、それよりも俺の剣返せ。分かった分かった今返す。云々かんぬん。とりあえず誰もあちらの問いかけに答える気は無さそうだ。


 向こうもそんな気配を感じたのか、リーダーらしき青年がこちらに近づいてきた。


「お前達は何者だ? 一般人……がこんな森の奥地まで来るのは危険すぎるから勇者か? だったら素直に……あれ? お前、どこかで……」


 こちらまでやってきた推定勇者の青年は、兄さんの前で立ち止まり、兄さんの顔をじろじろと観察し始めた。


「な、何だよ……」


 兄さんは露骨に嫌そうな声を出し、一歩後退る。すると青年は一歩前へ出る。


「彼は君の知り合いか、リーアム?」


「いや、覚えが……」


「ああ! そうか! リーアム! お前万年銅勇者のリーアムか!」


「……はあ?」


 青年は納得した顔をしたかと思うと、すぐに嘲笑うような態度を取ってきた。


「お前万年銅勇者のクセに美女を二人も連れ添ってるなんて、良いご身分だなぁ? 羨ま……いや、けしからんぞ! おおい、お前達! 警戒する必要全然無いぞ! 美女を連れた万年銅勇者のリーアム様だ!」


 青年が呼びかけると、後方の二人が警戒を解いて武器を下ろし、ついでに木の上からも一人降りてきた。私が予想した通りこちらは弓使いだった。


「お前大した魔法も使えねぇクセに、どんな魔法使ってこんな美女をゲットしたんだ? それともアレか? そっちの方は大層お上手なのか? そんなナリしてるってことは、さっきまでここでお楽しみでもしてたのか?」


「……あ? どういう意味だ?」


 トゥタカルタは彼らが来る前に着替えたから良いものの、青年が言うように、兄さんはついさっきまで水浴びしていたのもあって上裸かつ全身ずぶ濡れだし、ソフィーも未だ薄着のまま。そうした勘違いをされてもおかしくない状況である。しかし兄さんはまるで分かっていないように返す。……って、何で兄さんは分かってないのに私が分かっちゃってるの⁉ おかしくない⁉ 普通こういうのって逆じゃないの⁉ それとも兄さんはわざとそういう風を装ってるの⁉


(いや……兄さんのことだから本気で分かってないんだ……!)


 兄さんははっきり言われないと理解しない時があるから、本当に分かっていない可能性が高い。普段であれば私が説明する時もあるが、内容が内容だし、彼らの前で声を出しても大丈夫なものなのか判断しかねるのでここは静観するしかない。


「おいおい、しらばっくれんなよリーアム。お楽しみなんて言ったらアレしかねぇだろ」


「そうだぞ、リーアム。さっきまで楽しくやっていたじゃないか……魔物討伐を!」


「……ああ」


 険悪な空気が漂う中、トゥタカルタが上手い具合に助け舟を出してきた。すると兄さんはようやく納得したように頷く。


「近くの洞穴で巨大なコウモリと戦っていたのだが、これが酷い悪臭を放っていてな。臭いを落とすためにもこの泉で身体を清めていたのだ。いやぁ、大活躍だったぞ、我らが勇者リーアムは。銅勇者とは思えない剣捌き! 何故銀勇者ではないのか不思議な程だ! ああ、ところで君はどちら様だ? このままでは名乗りもせずに失礼なことばかり言う最低クソ野郎という認識止まりだぞ?」


「ぐっ……」


 トゥタカルタに気圧され、青年が後退る。うわぁ。何から何まで小物っぽい。


「お、俺は銀勇者のバッカスだ。そこのリーアムとは同時期に勇者になったが、俺はその一年後にはめでたく銀勇者になったぞ。……それで、綺麗なお姉様方のお名前べふっ⁉」


 青年——バッカスが急に変な声を出したかと思ったら、どうやら後ろから頭を叩かれたらしい。その犯人は、彼の仲間である斧を担いだ男性だ。


「すまないな、うちの馬鹿が変なことを言って。俺はこいつと共に旅をしている、斧使いのウォーレンだ。後ろにいるのは魔法使いのリリアと、弓使いのカリーナ」


 名前を呼ばれ、魔法使いの少女リリアは「こんにちは~」と言いながら手を振り、弓使いの女性カリーナはふんとそっぽを向く。慣れ合う気は無い、という意思表示か。


「駄目だよ~カリーナちゃん。ちゃんと挨拶しないと」


「うちの馬鹿と同じ様な馬鹿に挨拶するのは馬鹿の所業よ、リリア」


「「馬鹿って何だよ」」


 兄さんとバッカスの声が被り、両者は睨み合った。


 そんな馬鹿……もとい、兄さんとバッカスをまあまあと宥めすかせ、ウォーレンが口を開く。ゴツゴツとした見た目とは裏腹に、物腰は柔らかそうだ。


「ところでそちらの金髪の方……ああ、失礼だが名前をお聞きしても?」


「私はカルカルだ。そっちの赤いのはソフィー」


「ソフィーです。よろしくお願いします」


「カルカルとソフィーだな、よろしく。カルカルはさっき巨大なコウモリと戦ったと言っていたが、それは本当か?」


「ああ、本当だぞ。お陰で酷い目に合った。何しろ全身に体液を浴びたんだからな……」


 そう言ってトゥタカルタが遠い目をする。


「それは災難だったな。その魔物なんだが、依頼を受けて討伐したのか?」


「いや? あの魔物を討伐してほしい、という直接的な依頼を受けてはいないぞ。私達が先日まで滞在していたスマル村付近で小型の魔物が増え、村人達が被害に遭って困っていたんだ。恐らく大型の魔物が増えていることが原因だろうと考えた私達は、こうして旅をしつつ大型魔物を探し、討伐しているという訳だが……なるほど。君達が討伐依頼を受けていたのだな、あの巨大コウモリの」


「ああ、その通りだ」


 ウォーレンが困ったように頭を掻く。


「ようやく巣穴を見つけ、いざ倒そうとしたら既に死んでいてバッカスが激怒。更に異臭も酷くて女性陣も怒り爆発。見たところ倒されてからまだそんなに時間は経っていないことが判明したから、近くにあれを倒した人がいないかと探していたら……君達を見つけた」


「そうだったか。それは何と言うか、迷惑をかけたな。すまん」


 すまん、と言いつつもトゥタカルタに反省する様子は無い。自分達としてはあの魔物に討伐依頼が出ていたことも知らなかったし、悪いことをしたという認識はないので致し方ないが。


「討伐依頼受けてたんなら、あの魔物の残骸でも持ってって俺達が討伐しましたとでも言えばいいだろ」


 バッカスを睨みつけながら、兄さんが突然そんなことを言い出した。だが兄さんの言うその方法は、手柄を横取りするようなものだ。勇者内でそうやって不正に手柄を得ようとする人は酷く嫌われる。恐らく兄さんはそれを分かっていてわざとそんなことを言ったのだろう。バッカスは銀勇者としてのプライドを汚されたとでも言わんばかりに兄さんの襟首を掴もうとして……しかし兄さんは現在上裸のため掴む場所が無く、バッカスは上げた手をそのまま宙に浮かせ続けた。何だか色々と格好のつかない人だ。


「銅勇者のクセにそんなこと言いやがって……銀勇者の俺を馬鹿にしてるのか⁉ はっ。美女を二人も連れて不正を持ちかけるような奴に成り果てたんだ。そりゃああの可愛い妹がお前から離れる訳だ。街に一人でいるのを見かけたぜ?」


「ッ⁉」


〝えっ⁉〟


 こればかりは流石に(小さくではあるものの)驚いて声を上げてしまった。兄さんも驚いた様子で、私を離し、両手でバッカスの襟首を掴んだ。


「テメェ、見たのか⁉ キーヴァを!」


「お、おう……」


「お前らも見たのか⁉」


 兄さんはバッカスの仲間達にも問う。


「え~っと、キーヴァ……ちゃん? って、どんな人?」


「この人の妹ってことは、銀髪の女の子ね。見かけたことあったかしら……」


「あ、たぶんあれじゃないか。ほら、すれ違った瞬間にバッカスが馬鹿でかい声を出してナンパしてた、魔法使いの子」


「ああ~! あの子! うん、見た見た~!」


「どこの街で見た⁉」


「ふん。綺麗な人を二人も連れて、更に出ていった妹を連れ戻したいなんて、とんだお調子者の馬鹿ね」


「うるせぇ! こっちは真面目に聞いてんだよ! あいつは今、身体を乗っ取られてんだ!」


 緊迫した様子の兄さんに、すました態度のカリーナも流石に気圧された。


「ご、ごめんなさい……それは大変ね。あの子を見たのはアンバラスという街よ。あそこで巨大コウモリの討伐依頼も受けたの」


「ああ。だが、バッカスが話しかけた際、彼女は急いで森に行かなきゃいけないと言っていた。バッカスは俺達も森に行くから一緒にどうだと誘ったが、こことは反対方向にある森だと言っていたから、もしかしたら今頃はそちらに行っているだろう」


「そうか、ありがとう。バッカス。お前と以前会ったことがあるかどうかは忘れたが、この恩だけは忘れねぇぞ」


「一緒に試験受けたろ……」


「知るか! 忘れた! おいお前ら! 行くぞ!」


「待てリーアム」


 兄さんはバッカスから手を離し、代わりに私を拾い上げて歩き出そうとする。しかしトゥタカルタが兄さんの腕を掴んで止めた。


「何で止めるんだ! あいつの居場所が分かったんだから早く」


「服を着ろ」


「……」


「……くしゅん」


 ソフィーが小さくくしゃみをした。

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