15.ぼたん鍋

 街道からはだいぶ離れたと思う。その証拠に、こちらに危害を加えようとしてくる魔物が増えた。この辺りを住処としているのか、猪に似た姿の魔物が多い。こちらの姿を認めた途端に突進してくるので、先程までののんびりした旅路と一変し、私達は臨戦態勢を取る必要に迫られた。


「強さはそこそこだが、素早さだけは一流だから対処に困……るぅわっ!」


 気がつけば眼前に迫っている魔物の猪を間一髪で躱し、トゥタカルタは投げナイフを素早く召喚し投擲。風の魔法で軌道を操られたナイフが猪に突き刺さる。


「さっきまで退屈そうにしてたんだから、このくらいが丁度いいんじゃねぇの……かッ!」


〝ひぎゃあああああああああ⁉〟


 突進してきた猪を兄さんが一刀両断。突然振り回され魔物の肉や骨を断ち切る感触を味わった私は阿鼻叫喚。


「うおっ⁉ おい、キーヴァ。慣れたんじゃなかったのか?」


〝いきなりは無理ぃ‼〟


「あらまぁ。キーヴァちゃんも大変……ね!」


 背後から突進してきた猪の牙を、ソフィーは軽く身体を捻るだけで掴み取り、そのまま片手で頭上へ持ち上げて勢いよく地面へと叩きつける。ずどん、という大きな音と共に振動が兄さんの手を伝って私にまで届いた。


「……」


「……」


〝……〟


「あら。皆さんどうかしましたか?」


 ぱんぱんと手をはたきながらソフィーが首を傾げる。あなたの部屋を掃除しておいたけど、別になんの文句も無いよね? みたいな顔で。


「ソフィー嬢……いや、ソフィー様。この旅で不満があれば何なりと申してくれ……ください」


 トゥタカルタが急に平身低頭してソフィーにごまをすり始めた。


「あら、カルカルさん。急にそんな畏まってどうかしたんですか?」


「な、何を仰いますやらソフィー様。わたくしめはいつもこんな調子ですよ」


「急変しすぎて気持ち悪ぃ……」


 しかし兄さんがぼそりと呟くと、トゥタカルタはいつもの調子で兄さんに掴みかかった。


「おいこらリーアム。ソフィー様の御前でそんな口の利き方をするとはなんたる無礼だ」


「あのぅ、カルカルさん? 不満があるとすればそうやってすぐリーアムさんに突っかかるのが少々不満で……」


「失礼いたしましたああああああああああ! 今すぐやめます!」


 ソフィーの一声で、トゥタカルタは兄さんを瞬時に放しソフィーの前で土下座した。その素早さだけは神がかっていたが、神としてのプライドとか無いのだろうか……。


「この馬鹿は置いといて、だ。今ので片付け終わったのか?」


〝うん。もう何体かいたはずだけど、怖がって逃げていったみたい〟


 最後のあの衝撃が決め手になったのか、猪達は散り散りに逃げていった。


「あら、皆さんお手柄ですね」


 当の本人は自分のお手柄だとは露とも思わず、うふふと和やかな笑みを浮かべているが。


「日も落ちてきたし、完全に暗くなる前に野宿できそうな所を探すか」


「ええ、そうですね。ほらカルカルさん。いつまでも蹲っていたら置いていかれちゃいますよ」


「う……はい……立ちます……」


 トゥタカルタが立ち上がるのを待たずに兄さんが歩き始め、追いかけるようにトゥタカルタが続く。そしてソフィーは「よっ……と」と軽い掛け声を出しながら仕留めた猪を背負って歩き出す。


「……なぁ、リーアムよ。〝あれ〟は必要なのか?」


 兄さんに追い付いたトゥタカルタが小声で訊く。


「ああ? じゃあお前夕飯の肉いらねぇのか?」


「ええ……? 何で誰も何も言っていないのに〝あれ〟が夕食になることが決まっているんだ……?」


「食料は現地調達できるならした方がいいだろ」


「それは分かるが……魔物だぞ?」


「あ? だから何だよ」


 兄さんの返事があまりに素っ気ないものだったからなのか、話が通じないと思ったのか、トゥタカルタはそれ以上兄さんには問わず、私に矛先を向けてきた。


「なぁ、キーヴァよ。君のお兄さんはいつもこんななのか?」


〝まぁ……だいたいそうですね。ちょっと言葉足らずなところが玉に瑕と言いますか〟


「言葉が足りないとかそういう問題じゃないぞこれ。会話する気が全くないぞこれ」


「〝これ〟呼ばわりすんな」


「あらあら? カルカルさんはまたリーアムさんにちょっかいを……」


「してません! してませんぞソフィー様!」


 またしても電光石火の速さで謝罪するトゥタカルタ。それにソフィーは「なら安心しました」と微笑み返す。兄さんと二人で旅をしているだけでは味わえなかった賑やかさに、私も笑みを漏らしていた。普段無愛想な兄さんも、密かに笑っていた。




 完全に暗くなる前に、野宿できそうな開けた場所を見つけた。しかし火を起こして料理をしたり、寝転がることができる空間があるといえども、魔物の棲む森の中であることに変わりはない。私とソフィーの二人で魔物が近付けないよう周囲に結界を張り、兄さんが「念のためだ」と言って何故か私を結界の中心にあたる地面に突き立てた。理由を聞くと、


「あの時おまえを中心として結界が張られ続けた状態だったろ?」


 と返された。炎に襲われた時の話だろうが、その時の私はそこまで状況を把握していなかった。同意を求めるように聞かれても困る。とは言え剣の状態では料理も何も手伝えないから、今は結界を張り続けることくらいしかできることはないんだけど……。


 剣ではない三人は手分けして調理を始めた。兄さんが猪を解体し、その間にトゥタカルタが火を起こし、ソフィーが適当な食材を魔法で切り分ける。鍋に食材を全て入れ火にかけ暫くすると、スープが完成した。


「……うめぇ」


「沢山動いた後ですからね。お腹いっぱい召し上がってください」


「なぁ、私の分だけ肉が少なくないか……?」


 わいわいと言い合いながら、三人は具材たっぷりのスープを食す。


(いいなぁ……)


 身体が無いからお腹が空くこともないのだが、それでも複数人で鍋を囲みながら食事を共にする姿は羨ましく感じた。


(私も、いつかは……)


 身体を取り戻した暁には、私も含めた四人で鍋を囲んで、くだらない話で盛り上がりたい。




 朝が来るまでは、一人ずつ交代で見張りをすることになった。そこに私は含まれていないが、私も出来得る限りは起きて結界を張り続けていようと思った。魔法石に入っているお陰か、この程度であれば魔法を使い続けていても疲労はあまり溜まらないのだ。


「無理することはないぞ、キーヴァ。自分でも気がつかない内に疲労は溜まっているものだ。いつでも寝て構わない。……と言うか、その……その状態で寝ることってできるのか?」


 最初の見張り番となったトゥタカルタが訊ねた。


〝はい。意識すれば寝ることもできますよ。これを睡眠と言っていいものかどうか、疑問の余地はありますけど〟


「ほう。それは興味深いな。この手の研究家が君のことを知れば、こぞって調べたがるだろう」


〝うう……それは勘弁してほしいです。なんか怖そうですし……〟


「はは。ま、そうなる前に身体を取り戻せばいい話だ」


〝……そう、ですね〟


 ぱちぱちと焚火が静かに音を立てる。その静けさに合わせたように、トゥタカルタも声を一段下げる。


「俺は、必ず奴を倒す。倒さなければならないんだ」


 それは、決意のような後悔だった。


「奴を無力化させれば大丈夫だと、愚かな考えを抱いていた。殺さずともよいと。そんな俺の甘い考えが招いた結果が君のその状態だ。……君にはすまないことをした」


〝……〟


 昼間とは打って変わって、トゥタカルタは真面目な顔で私に謝罪をした。あれはただ道化を演じていたのだと思わせるような真摯さだ。そのせいで何と返すべきか暫し迷った。


〝……いえ、トゥタカルタさんのせいではありませんよ。誰だって、未来のことなんか分からないんですから〟


「ふ。君はリーアムと違って優しいな」


〝そんなことありませんよ。兄さんも優しいです〟


「……すまんが俺にはあいつの優しさというものが全く分からん」


〝そのうち分かりますよ〟


「そうか……?」


〝そうです〟


 ぱちぱちという音と共に、ゆっくりと時間が過ぎていく。




 なるべく起きていようとは思ったものの、やることが無いと段々と意識がぼんやりしてきた。そのため見張り番がトゥタカルタから兄さんに変わっていたことに気がついたのは、いつの間にか兄さんの顔が真正面にあったからだった。


〝に、兄さん……?〟


「ん? あ、起きてたのか」


 全然分かんねぇな……などと呟きながら、兄さんは私から顔を離した。


〝起きてた……って言うよりか、ぼーっとしてたかも〟


「そうか。寝れるなら寝とけ」


〝うん……〟


「……寝れねぇのか?」


〝ううん。寝ようと思えば寝れるよ〟


「じゃあ休んどけ。何かあったら起こす」


〝うん〟


 ほとんど火が消えかかった焚火の音を聞き流しながら、私は寝ることに意識を傾けた。やっぱりこれは睡眠で合っているのだろうか、と片隅で考えながら。




 歌声が聞こえた。


 風の音に紛れ込むような、微かな歌声だった。


 歌詞は全く聞き取れなかった。どこか遠い国の言語なのか、それとも古い時代の言葉なのか。とにかく意味は分からなかったが、聞いていると穏やかな気分になれた。きっとこの歌には魔法がかかっているのだろう。そんな感じがする。


 朝もやに包まれぼんやりとした視界の中で、声の主を見つけた。声の主は私が見ていることに気がついたのか、柔和な笑みをこちらに向けた。


「もう少しだけ休んでいても大丈夫ですよ、キーヴァちゃん」


 それだけ聞き取れた私は、再度眠りに落ちた。

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