第6章 それぞれの居場所へ
29.目覚め
音が聴こえる。
人の話し声。がたがたと何かが揺れる音。
温もりを感じる。
誰かが私の手を握っているような……。
(……?)
視界の端に、兄さんの姿があった。それ以外の部分は……壁と天井? どこか見覚えがある気がする。
「にぃ、さん……?」
「……‼ キーヴァ‼ 気がついたのか‼ よかった……‼」
「あ……」
兄さんが涙を流しながら私の手をいっそう強く握りしめた。
そう、握りしめられた感触がある。
「わた、し……も、どった……?」
「ああ。何もかも元通りだ。お疲れ様、キーヴァ」
そう言って私の視界に現れたのは、人間の姿をしたトゥタカルタだった。トゥタカルタの魂が入った、本当のトゥタカルタだ。ディアミドの魂が入っていた時とは感じる魔力が全然違う。あるべきところにあるべきものが収まっている。これが本来の姿かたちだからか、心なしか格好良さが増している。
(この姿、ディアミドさんの趣味……ってわけじゃなかったのか)
「すまねぇなキーヴァ。オレ様が魔力を大量に消費したせいで、お前の回復が遅くなった。肉体自体の回復は魔法でどうにかできるが、魔力の回復は時間に任せるしかねぇからな」
「そうですか……」
私は起き上がろうとして、ふらりと倒れた。な、何だろう……。この身体の重さ……。
「無理すんな。魔法石の中にいたんだから、今のお前は寝たきりの状態から回復したばかりの病人みてぇなもんだ。今まで通りに身体を動かそうとするのはよせ。まずは人の手を借りながらだ」
「は、はい……。えっと、じゃあ、兄さん。起き上がるの、手伝って」
「ああ」
兄さんは私の手を離して涙を拭うと、私の身体を優しく抱き起した。
「……妙に手馴れてるな?」
「兄さんはたまに、お年寄りや怪我人の介抱の依頼を受けることがあるんです」
「随分お人好しだな」
「そこが兄さんの良いところですから」
「……うるせぇ」
兄さんが口を尖らせた。
「それはともかく」
トゥタカルタも適当に身近にある椅子を持ち寄って、私の傍に座った。そして真面目な顔をする。
「お前達には色々と迷惑をかけたな。にもかかわらず、あの馬鹿勇者を止めてくれたことに感謝する。ありがとう」
ふ、とトゥタカルタが笑みを浮かべた。今までの(偽物)トゥタカルタが見せてきた笑顔とは違い、まさに神々しさのある、自然と畏敬の念を抱いてしまうような笑みだった。
「い、いえ、その……こちらこそ、助けていただいてありがとうございます」
「ああ。お前のせいでキーヴァが魔法石に閉じ込められたが、お前がいなきゃキーヴァを助けられなかった。……ありがとう」
「ふっ。この件においてオレ様がお前達から感謝の言葉を言われる筋合いは無いが……。その気持ち、ありがたく受け取っておこう。さて、そこで、だ。何もオレ様はこれだけを言いに来たわけじゃねぇ。……ディアミドのことだ。奴もそこで寝てる」
トゥタカルタが視線を向けた先には、元の姿に戻ったディアミドがベッドに横たわっていた。その傍らには平原へ向かう前に立ち寄った教会の神父がいる。……つまりここはその教会か。
「あれから丸一日経って、今はあの戦闘をした翌々日の昼だ。お前はやっと起きたが、奴はまだ寝たままだ。いくら人間の基準では強い部類に入るといえど、神の肉体に入れば魂に無理が生じる。あいつの身体もあそこで放置されたままで、所々魔物に食われた跡もあったし、とにかく様々な観点から言っても回復には時間がかかる。どうする? いっそ今のうちにあいつの息の根を止めるか? そうすればもう誰にも迷惑はかけられ……痛っ」
パシン、と乾いた音が響いた。
「まったく。そういうことを言うんじゃありません。キーヴァちゃん、お腹空いてない? スープを作ったから、飲めそうなら飲んでね」
「あ、ありがとうございます、ソフィーさん」
にこやかな笑顔を浮かべながらトゥタカルタの頭を叩いたソフィー。手に持った器を私に渡そうとしたが、私はまだ上手く持っていられそうにないので、代わりに兄さんが受け取った。
「飲むか?」
「うん」
兄さんが匙でスープを掬い、私の口に近づける。立ち上る湯気を鼻から吸い込むと、薬草のものであろう青臭さや、香辛料らしき匂いを感じた。この数日間感じることのできなかった〝におい〟に私はじんわりと涙を浮かべた。開けた口に兄さんが匙を入れスープを流し込む。飲み込むと、温かくて優しい味わいが胸に広がった。
「久し振りの食事……美味しい……うっ」
魔法石に閉じ込められてから今まで、眺めて羨むだけだった食事。ああ、美味しいものを食べるとはなんて素晴らしい行為だろう!
「お、お前……泣くことはねぇだろ」
「だ、だって……美味しくて……嬉しくて……」
「あらあら。良かったわねぇ」
「うっ……はいぃ……」
ソフィーが優しく頭を撫でてくるものだから、余計に涙が溢れてくる。
「食べ物一つで大袈裟だな……。話を進めていいか? あいつに何があったのかは知ったこっちゃねぇ。だが、やたらと最強に拘っているから、回復して目覚めて良かったねで野放しにしたらまた騒ぎを起こしかねない。お前達兄妹……特にキーヴァもまた狙われるかもしれねぇしな。そうさせないためにも殺すのが一番安全な選択だが……それだと納得しない奴もいる」
トゥタカルタが横目でソフィーを睨んだ。
「つまり、オレ様だとこうした短絡的な解決法しか思い浮かばないから、お前達にも何か案がないか聞きたい」
「あいつを生かしたまま、誰にも迷惑をかけさせないようにする方法を考えろってことか?」
「ああ」
「んなこと言われてもなぁ……」
こうしたことを考えるのは苦手な兄さんが頭を抱えた。あ、待って兄さん。私まだスープ飲みたいんだけど。
「に、兄さん……スープ……」
「ん? ああ」
ほら、と兄さんが私の口に匙を突っ込む。
「美味いか?」
「うん」
「よかったな」
「おいお前ら二人だけでほのぼのしてねぇで解決策も考えろ」
「ああ、すまねぇ」
トゥタカルタの一喝でまた兄さんが手を止めてしまった。駄目だこりゃ。
そんな兄さんをうんざりした目で一瞥し、トゥタカルタは私にも聞いてきた。
「キーヴァ。お前にも何か考えはあるか?」
「そうは言われましても、すぐには思いつきませんし……」
「それもそうか。んじゃ、あいつについてオレ様が知ってることを教えてやろう。その一、金勇者とかいう人間の中では強い存在である。その二、最強になりたいとかいう馬鹿な夢を抱いてる。その三、お前の命を狙ってる。その四、とにかく自分の強さを見せびらかすのが好き。その五、自慢好き。……いや、これはその四と被ってるから無し。その五、魂は元の身体に戻ってる。その六、つまり魂との接触は可能。どうだ? 何か思いついたか?」
指折り数えた手をひらひらとさせながら、トゥタカルタがこちらを見る。その顔は、確実に答えを知っていそうに見えた。
「トゥタカルタさんって、実は殺す以外の方法を思いついているんじゃないですか……?」
「さあ、どうだかな。オレ様は人間の自主性に任せたいんだ。あの時はオレ様にも関わることだから手助けしたが、何でもかんでも神様が手伝ってちゃ人間は進歩しねぇからな。本当は手助け禁止って決められてんだ。……あーあ。後で絶対怒られる」
トゥタカルタは苦々しい顔で目をぐるりと回した。一体誰がそんな決まりを作ったのか、誰に怒られるのか。疑問は多々あるが、まぁ神様にも色々あるのだろう。
とりあえず今聞いた情報から、何か策を思いつけないか考える。最強を目指す金勇者。私の命を(だいぶ気持ち悪い意味で)狙っている。自慢したがる……のは道中よく理解した。魂は元に戻った。魂との接触が……可能?
「何らかの魔法を使えば……彼の魂と直接会話ができる……ということですか?」
私が問うと、トゥタカルタはニヤリと笑った。
「ああ。幸いなことにオレ様は本来の力を取り戻したからな。奴と会話がしたいなら、お前がそう願いさえすればその程度叶えてやろう」
「おい。それって、あいつとキーヴァ、一対一でか?」
兄さんが口を挟む。
「そうなるな。あいつの肉体は現在回復に向かっているが、一度に二人分の意識を潜り込ませたら流石に壊れるだろ。再度回復させる必要が出てくる」
「だったら俺がやる。キーヴァはあいつに狙われてんだろ? キーヴァを行かせるのは危険過ぎる」
「確かに、それももっともな話だが……ここはキーヴァに任せよう。思考が短絡的っぽそうなお前よりはキーヴァの方が適任だ。魔法使いだし、耐性も強い。……できるか、キーヴァ」
トゥタカルタが真剣な目を、兄さんが心配するような目を、それぞれこちらに向ける。私は……。
「私も回復して起きたばかりですので、多少無茶することになりますが……でも、やらなきゃいけない気がするんです。彼が何故最強であることを求めるのか、気になるんです。何だか凄く……焦っているように見えたから」
「ふぅん。ま、オレ様にはそういう理由はどうでもいい」
病み上がりの頭で必死に考えたのに〝どうでもいい〟と一蹴されてしまった。
「要はやるってことだな。よし。まずはあいつの側に行くぞ。リーアムはキーヴァを支えてやれ」
「ああ。立てるか、キーヴァ」
「ううん……まだ難しいかも」
「あ、私も手伝いますよ」
ぱたぱたとソフィーが寄ってきた。スープをくれた後どこで何をしていたのか分からないが、さっきと言い今と言い、妙にタイミングよく現れる。
私は兄さんとソフィーに両側から支えられ、ゆっくりとディアミドの寝ているベッドの前まで歩いた。歩くだけでこんなにも大変な思いをしたのは初めてだ。なにせ身体が重く感じるし、兄さんとソフィーの身長差のせいでバランスがすこぶる悪い。
やっとの思いでベッドに辿り着き、私はディアミドの足元に腰を下ろした。
「神父、少し失礼するぞ。今からキーヴァとディアミドに魔法をかける。誰もこの二人に触れるなよ。ああ、リーアム。キーヴァが倒れる前に寝かせろ。よし、それでいい。あともう一つ。……ほら」
トゥタカルタが私に押しつけたのは、魔法石のはめ込まれた、私の杖。手に触れると懐かしい感触がした。何年も使い続けた、私の大切な杖。
「念の為のお守り代わりだ。襲われるようなことがあれば使え。離すんじゃねぇぞ」
「はい」
私の返事を聞き、トゥタカルタが頷いた。
「危険を察知できるよう僅かにオレ様の魔力も入れるが、基本的にお前とこいつ、一対一だ。気を抜くなよ」
「分かりました」
「よし。んじゃ……お前の意識をこいつの魂と接触させる」
パチン。
指を鳴らした音が聴こえた瞬間、私の視界は暗転した。
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